2015.1.11【東京都】──「神田川を歩く_3」
國學院久我山
久我山といえば國學院久我山と、玉川上水の先まで足を伸ばします。
全国大会常連の部活動が多いため報告の横断幕も慣れたもので、先頭の「全国大会出場」が1枚で、後ろに出場する各部の幕が付け加えられていきます。
本学は、隣接する岩崎通信機(株)が設立した「岩崎学園」をルーツとし、戦後に國學院大学と合併後は中高一貫校(男女別学:男子部・女子部に分かれる)となり、進学校として評価されます。
スポーツで名を広める進学校とは、まさに理想的です。 下校時の姿は可愛いものですが……
右は、すぐ左に建物があるため道路側に伸びた枝を、丸く刈った木。
井の頭(いのかしら)線車両基地付近
右は、久我山〜富士見ヶ丘駅間にある井の頭線車両基地対岸の川岸で、神田川が水源地の吉祥寺から駅3つの間に削り込んだ高度差の様子。
武蔵野台地上の軟弱な関東ローム層を浸食したため、付近では農業用水に利用できなかったのではないか。
川の北側には吉祥寺周辺でも目にした、短冊状の区割りが見られ計画的に開拓されたようですが、南側(國學院側)にその痕跡が無いのは、玉川上水開設以来、早くから農耕が盛んだった名残りと思われます。
上の、井の頭線車両基地で「パステルカラーの車両」を撮ろうとしたのに、何で同じ色が並ぶかなぁ〜。
現在のカラーバリエーションは、7色のレインボーカラーとのこと。
ガキ時分に電車を待つ際「次の電車の色は?」と、色当てごっこをしましたし、そんな親近感を現在も持ちますから、カラフルさが好印象を与える成功例と言えそうです。
「高井戸公園」整備計画地
現在まで残される広大なグラウンド群(旧NHK富士見ヶ丘運動場、王子製紙グラウンド、印刷局久我山運動場(上))は、一見して旧軍用地の払い下げと見てとれます。
そこには「この姿のまま残すよう:バラ売りするな」の条項があったのではないか? と思うほど、見事に広大な土地が維持されています。
終戦間際のこの地には、米軍機B-29迎撃用の高射砲が2門(だけ?)設置されました(久我山陣地)。
当時の三鷹市方面は、中島飛行機(エンジン工場)などがある要所でしたが、時すでに遅しで、間もなく終戦となります(隣接の岩崎通信機も攻撃対象だったのでは?)。
その一帯を、まるっと『高井戸公園(pdf)』とする整備計画は、付近の道路整備計画を抱え込んで動き出します。
便乗するのは、隣接する玉川上水沿いに「放射第5号線」を建設するものと、中央自動車道が開通し首都高速道路と接続(1976年)当時から、地元の反対により着工できなかった「高井戸IC下り線入口」建設です。
反対理由とされた高速道に面する富士見丘小学校の移転話の浮上から、転がり始めます。
大気汚染が深刻な当時は「交通量が増えるのは困る!」でしたが、周辺の慢性的渋滞による不便さや、排気ガス規制強化等により、意識が変わったのかも知れません。
整備後はかなり広い公園になりそうですが、隣接の畑(上)も飲み込まれてしまいそうです……
右は、付近(中央自動車道との合流地点:浅間橋)から暗きょとされる玉川上水。
追記──やはりタイトルのリンク先を指定できなくなったらしい……
前回は、自分のミスかと思いましたが、やはり機能としてNGになったようです。
確かにわたしのリンクの使い方は一般的なブログとは違いますが、別ページへのリンクを許さないというのは、自由度が低すぎます。
もう、いい加減に考え時と思えてきました……
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