2015/11/09

江戸城へ続く分水嶺──四谷

2015.10.18【東京都】──「神田川を歩く_外濠1」

 今回は、旧玉川上水終点の大木戸水番所(新宿御苑付近)から、外濠の最上流である四谷濠(真田濠:四ッ谷駅周辺)に至る、神田川水系の分水嶺(水系の境界)に通された新宿通り付近を歩きます。



旧玉川上水(新宿御苑、旧大木戸水番所 付近)

 玉川上水は多摩川の羽村堰で取水され、武蔵野台地を潤しながら江戸を目指し、旧大木戸水番所(下はその碑)から江戸市中へは、地中の水道管で配水されました。
 時代劇で目にする長屋の共同井戸は、その水道管から水を汲み上げるものらしく、確かに浅そうな井戸でした。

 地下に現存する旧水路は大雨時の排水路とされ、地上は玉川上水・内藤新宿分水散歩道に整備されます。
 右は木の実落下防止柵で、付近では「ボコ、ボコ」と当たると痛そうな音が頻繁に聞こえるので、柵は必要そうです(流れに落ちた際の水はね防止用かも)。

 付近から四谷に向かう新宿通りは、周辺の分水嶺(尾根道)を通されます。北側の旧厚生年金会館付近の坂は早稲田方面に続く神田川水系、南の新宿御苑の斜面は渋谷川水系と知ると、ここが江戸市中への配水地にふさわしい場所であると納得できます(赤坂や青山方面にも配水した)。
 水は高所から低所に流れることは、誰もが目で見て理解できますから、「どこを通せば江戸城まで水を届けられるか?」という道筋探しは、楽しそうにも感じられます。


荒木町(四谷三丁目駅付近)


 旧大名屋敷にあった、滝のある庭が明治時代に景勝地とされ、周辺に飲食街や花街が栄えた歴史を持ちます。
 名前は知るも初めての潜入で、通り両側に伸びるムカデの足のような行き止まりの路地に店が並ぶため、出口をふさがれたら観念させられそう、と……
 右写真の左側に見える電灯柱の遺構が多く残されるのは、町の意思のように感じられ、再開発に屈しない宣言のようにも見えました。
 上の光はビルの窓からの反射光ですが、淡い光線を楽しむ場所柄のわけもなく、日の当たらない低層飲屋街の花は、やはり夜に開くようです。

 かなり前ですが、付近の「随園菜館:2009年閉店」に職場仲間とよく足を運び、そこで「豆苗:エンドウの若菜」を覚えました。多少のエグさ(青さ)が酒のつまみにもってこいの味で、舌の記憶がよみがえります。

 四ッ谷駅に近いしんみち通り(右)には、何かの機会のために飲み屋情報の収集に足を運びます。
 ネット検索は最終手段で、飲み屋情報はやはり「鼻」と「足」で探さねばと。


四谷濠(真田濠)

 右は、外濠の最上流になる四谷濠(真田濠)で、江戸城への水道管が通る分水嶺付近を掘り下げたもの。
 真田の名は、関ヶ原合戦以降豊臣側についた弟 真田幸村(信繁)に対し、徳川側で戦った兄 信之によるもの。
 濠の建設工事には伊達・上杉家も参加したが、家康が信之を気に入った様が読み取れる気がします。
 戦時中に東京大空襲被害の瓦礫廃棄場とされ、その後埋め立てられ現在は上智大学のグラウンドとされます。


 上は千代田区の区民体育大会閉会式の様子(つまらない絵でゴメンナサイ)。
 四ッ谷駅〜市ヶ谷駅間の市ヶ谷堀は半分ほどが埋め立てられ、千代田区外濠公園総合グラウンドとされます。
 千代田区内にあるスポーツ施設は、神田にあるスポーツセンターとこのグラウンドだけらしく(郊外施設は小平市などにある)、広い土地を確保できない自治体には、遺構の保存ではなく目の前の土地に見えたようにも……(埋め立て後なら妥当な選択とも)

 人手による施設を経由した外濠の水は、飯田橋駅付近で神田川に合流します。


追記──岸恵子さんの姿がカッコいい!(市川崑 生誕100年記念映画祭)

 町中で見かけた「市川崑 生誕100年記念映画祭」のチラシの、岸恵子さんの姿に引き寄せられ手に取りました(リンク先)。『おとうと:1960年』(傑作!)の絵と思うが、立ち居振る舞いはキリッとしながらも、可愛い印象を受けたと思います。
 ハッとするカッコいい絵をみせてくれる市川さんにとって、「ちゃき ちゃき」動きまわる岸さんは、格好の被写体というかベストマッチの印象がありました。

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