2015/11/23

自由な空気感が心地いい──神保町

2015.11.3【東京都】──「日本橋川を歩く_1」

 今回から、江戸時代に水害対策や濠の造成などの改修が繰り返された旧平川の、残された流路である日本橋川を歩きます。
 ほとんど首都高速に覆われるので、その周囲を歩かないと絵にならないだろうと……




 伊勢神宮の流れを受ける社の所在は知るも、初めて足を運びます。開設には大隈重信が尽力しますが、後の変遷は説明できそうもないので、リンク先を参照下さい。
 神前結婚のスタイルは、大正天皇の結婚の儀を元にここで確立されたそうで、歴史が浅いというか、以前はそんなことできなかったんでしょうね。
 参拝者男女比「1:9」の女性を引きつけるのは、万物のムスビを司る造化三神が祭られるためで、東京一有名な縁結び神社の自負も納得できる人出です。
 どうりで足が向かなかったわけだ……


日本橋川分岐(リンク先の絵が分かりやすい)

 前回の外濠が神田川に合流する飯田橋駅付近から、日本橋川が分岐する小石川橋付近一帯は、水の要衝というより低湿地帯だったようです。
 江戸開府当時の平川には、外濠(紅葉川)・神田川・谷端川鶏声ヶ窪筋の流れが集まり、日比谷入江(現在の和田倉門付近)に流れ込むため水害も多く、幾度となく流れが付け替えられました。
 洪水対策に加え、平川を天然の濠とする事業として「北から攻めてくるのは伊達政宗」と警戒する家康に、お茶の水付近の水路開削(現神田川)を命じられ、みずから攻め手を封じたことで、恭順が認められたとのこと。

 付近には、中央本線のルーツである甲武鉄道「旧飯田町駅:旧貨物駅付近」の案内があります。
 開通当初、東京のターミナル駅として賑わった様子は、付近に立ち並ぶ「東京農業大学開校の地」「日本大学開校の地」等々、案内の多さにうかがえます。

 日本橋川は、後楽園の黄色いビル付近から日本橋を経て、霊岸島の脇で隅田川に流れ込みます。
 首都高速は付近で、神田川から日本橋川に進路を乗り換え都心に向かうため、ほぼ全流路が高架下とされます。


神保町周辺

 専修大学本部前に、開校当時の門が再現されています。
 以前この隣のビルに、イギリス金融情報誌の日本版を出版する会社があり、毎週通ったことを思い出します。国際的に信頼される情報誌ながら日本版はバブルと共にはじけ、移転後に『磯野家の謎』を大ヒットさせた出版社が入居したらしい(はじけても泡っぽい?)。

 俎橋(まないたばし)近くで存在感を示した、「旧今川小路共同建築:九段下ビル」は姿を消しました。

 神保町の中心を東西に分断する靖国通りには、「文化の境界線」とも言えるギャップが横たわります。
 南側の古書店街に対し、北側の裏道は歓楽街的な町並みで、気軽に入れそうな雰囲気だけに、大学街から本を探しに来た学生を手前で誘い込もうとする関門にも見えます。そんな立地から「人生劇場:パチンコ屋は健在」なのかとも(左奥ピンクの看板)。
 ですが、付近の気取らない店に集まるオヤジの様は、希少本に限らず「中古で十分」と古本を物色する精神に通じるようにも……

 一方、靖国通り南側の古書店街にも、三省堂書店裏口から続く裏道があり(すずらん通りとの間)、「ラドリオ」「ミロンガ」「さぼうる:上」等、アングラワールドへの呪文のような店舗は健在です。
 路地を曲がり店を目にするたびに「ここも入った」の記憶がよみがえり、「神保町でどれだけコーヒーを飲んだんかい?」と、改めて驚きます。
 以前の岩波ホールが持っていた独特の雰囲気(ミニシアターの先駆け)や、本を探して喫茶店に立ち寄る「神保町スタイル」にスッと馴染めたのは、必要以上に「人をかまわない」自由な空気感が心地よかったようです。

 神田神保町一丁目(すずらん通り南方)の再開発で、ジェイシティ東京となったビルに、「うちは大丈夫?」と世間を震撼させる「Asahi KASEI」の看板があります。
 要因は、一人で何役も担当させられる過重労働と、元請けのミスを押し付けられたためではないか、とも。
 再開発前の、狭い道に小規模な活版印刷、製本、配送の店舗が並ぶ「本の町を支える」雰囲気や、震災復興期からの建物は、愛着を感じる「町の風景」でした。

 隣接する学士会館は東京大学開設の地に建てられた(1928年:昭和3年)施設で、日本野球発祥の地(右のモニュメント)&同志社大学創設者の新島襄生誕地とのこと。


追記──「プレミア12」韓国戦敗退の詰めの甘さ

 7回まで躍動した大谷投手も、握力がなくなった印象での交代は仕方ないし、8回を押さえた則本を「9回も行っていいのでは」と、なぜわたしも思ったのか? 7回までは、8・9回はピッチャーを6人つぎ込んでも! と思っていたのに……
 そこが、WBCで優勝した原監督采配の厳しさとの違いです。
 決勝戦のクローザーに、ダルビッシュを指名する「最善の策」を選択することで、チーム内や見る側にも監督の「これで負けたら仕方ない」の覚悟を示しました。
 トーナメントでは高校球児のように、どの試合も全力で立ち向わねば、勝ち抜けないことを忘れてしまったようです……

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