2015/11/16

お堀を活用する──市ヶ谷〜飯田橋

2015.10.21【東京都】──「神田川を歩く_外濠2」

 本日も四ッ谷三丁目付近からスタートしますが、今回は、新宿通り(尾根道)北側の谷沿い(曙橋、防衛省)〜お堀沿いを歩きます。




曙橋付近(旧紅葉川)

 神田川の水源でもある武蔵野台地の地下水面は浅く、付近の分水嶺(新宿通り)を挟んだ両側は(反対側の新宿御苑は渋谷川の水源)、地下水が湧き出る地域でした。
 曙橋付近の急峻な谷筋(右:旧紅葉川)は、前回の荒木町付近にあったとされる景勝地の滝を始め、湧水量が多い複数の流れにより刻まれたようです。

 防衛省付近にエスニック系の飲食店が多いのは、怪しまれない国をカモフラージュしたスパイ活動の拠点? は、言い過ぎと思うも脇が甘い国なので……(失礼)



市ヶ谷

 以前、付近の職場に通った時分と変わらないと感じたのは、早い時期から企業が事務所を構えたため区画整理も進まず、妙に細長い古い区割りが残るためか?
 忘れることのできない阪神淡路大震災当時ですから、もう20年なんて、時の流れ、はやすぎ〜!

 右は駅のホーム下に見える市ヶ谷フィッシュセンター。外野の「釣れやしない」と、当事者の「やっぱりダメか」のベクトルは似ていても、ぼんやりと集中するリフレッシュは効果ありそうで、ハマちゃんのように「坊主は仕事に戻ります!」と、仕事への意欲が高まるかも?

 右は一目瞭然、「各駅停車と快速のスピードの違い」を撮った絵です(嫌いじゃない)。
 これは2本とも上り電車(右に進行)ですが、4本あるレール全部に電車が走ると左右の速度差が互い違いに見え、面白い絵になりそうです。
 土塁上の桜並木遊歩道は、ビルの谷間のオアシス的存在らしく(お堀の水は仕方ないが)、サラリーマンや学生が何とな〜く寄ってくる憩いの場となっています。


靖国神社

 明治期以降の、海外侵略戦争の愚かさを忘れてはいけないと国民は心に刻みますが、個人の心情による参拝を国民の代表のように語る姿は、国民の思いをないがしろにする無礼な行為と映ります。
 創建当初(1869年:明治2年)は明治維新に尽くした幕末志士を祭ったが、現在は戦争を主導した国の失政を国民に謝罪するための施設となります。
 施設の維持費は国民への慰謝料とも言えるが、秋のレビュー(←やる気のないページ)で、「支出を抑えるべき」と問題視する人が出てくるのは、戦後100年頃か……


飯田橋付近のお堀端

 以前のお堀には、市ヶ谷の釣り堀に加え、飯田橋ボート場の景色から、レクリエーション施設の印象がありましたが、現在はおしゃれな水上カフェ(下)が憩いの場となっています。
 ルーツとなる東京水上倶楽部(1918年:大正7年)のボート貸し出しは、現在も営業しているらしい。  
 飯田橋駅に隣接するが、人・電車・道路の騒音も、凹地のお堀では気にならないらしく、決してきれいなみなもではないが、都心に「なごみ?」をもたらしてくれるようです……(右は、お堀端のギャラリー)


 飯田橋の名画座「ギンレイホール:1974年開館」は健在で、神楽坂入口付近の大きな看板(現在は無い)に、誘われた方も多いのではないか。
 近ごろでは、体力が必要な2、3本立ては「もう無理!」と、意欲すら芽生えません。
 以前の「気力」「体力」に満ち1日何本でも挑めた様は、「食欲旺盛」だった時分を振り返る感慨に近いと思ったりします……


追記──ミャンマーの民主化革命が現実のものに!

 ミャンマー総選挙で、アウン・サン・スー・チーさん率いる野党が第一党となる勝利により、軍部支配の政治に終止符が打たれました。
 この爆発は、国民に蓄積された不満が解放される際に生まれるもので、外国からは判断が難しい国民の叫びを、初めて確認できた瞬間になります。
 民主化革命実現への多難な道を、同時代に考えさせてもらえたことはとても貴重な経験ですし、これからは、国の再構築に挑むスー・チーさんのお手並み拝見! です。
 彼女を美しいと感じるのは「迷いのない姿」が放つ輝きではないか、と……


追記──防げなかったフランスのテロ事件

 言い方は悪いが「やりたいようにやられた」テロ事件で、「パリに住みたくない」と思わせる犯行目的を達成されてしまいます。
 国内に潜伏する仲間の手引きとすれば、どの国にも起こりえる事態です。
 これは宗教戦争でなく、ドロップアウトした連中の母国への反抗と捉えると、武力での封じ込めばかりでなく、資金源となる「オイルマネー:支援者」を断ち切る、国際社会の包囲網の確立が重要になってきます。
 オランド大統領は「フランスは戦争状態」としましたが、これは紛争地域を越えて広がる戦争という認識を持つ必要があります。

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