2016/06/13

気兼ねない麻布の下町──麻布十番

2016.5.21【東京都】──「渋谷川水系を歩く_14」 旧赤羽川

 旧赤羽川の流れは現在麻布十番大通りとされ、商店街にも旧流路の雰囲気が漂うため気兼ねなく歩けますが、「麻布」の冠が無粋な気取りを生んでいるようにも……



鳥居坂

 普段通勤で利用する港区コミュニティバス「ちぃばす 田町ルート」は、座席の荷物が転がり落ちてしまうような急坂を、ジェットコースターのように下ります。
 坂の名称は神社の鳥居ではなく、付近に鳥居氏の屋敷があったことに由来し。坂上には先日オープンしたスヌーピーミュージアム東洋英和女学院等があります。
 カメラの背後にも急坂の暗闇坂があり、谷底の旧赤羽川(現 麻布十番大通り)沿いにあった、麻布十番温泉(テレビでよく目にした)は2008年に廃業。
 坂の下でひとっ風呂浴びて、帰りの坂道で汗をにじませるのも風情とされたようです。


麻布十番

 江戸期、四ノ橋付近に白金御殿(麻布御殿=鷹狩りの休息所)造営に伴い、古川(渋谷川)の川幅拡張・改修工事が行われた際、工事の担当を一番から十番組に分け、付近を十番組が受け持ったことに由来するらしい。
 工事により低湿地帯に生まれた新開地に入り込んだのは私娼窟(非公認の売春施設)で、明治期には神楽坂と並ぶ繁華街だったとのこと。
 水辺に人が集まった時分は平等でも、上水道が整備された高台に水害を避け移り住むことの可・不可から、格差が明確になり始めたのではないか?
 右は映画『ローマの休日』のスペイン広場をめざした? パティオ十番広場。

 交通手段がバス路線しかない時分は「陸の孤島」とされ、周囲の高台にある大使館等の施設からも坂下に位置するため、当時は「知る人ぞ知る」隠れ家的遊び場とされましたが、2000年地下鉄南北線+大江戸線開通から多くの人が訪れるようになり、町の評判は高まります。
 右のようなおばあちゃんの焼き鳥が健在なのは、個人経営中心の商店街が発展したためで、豆屋、蕎麦屋やたいやき屋等、庶民向けの店にはいつも人が群れています(ここも5〜6人並んでいる)。
 交通の便が劇的に改善されてからは、売り上げが増えたとしても、地価や物価も上がり暮らしづらくなったのではないか?


 上は、付近の名士とされる善福寺(都内では浅草寺、深大寺に次ぐ古刹とされる)参道の湧水。
 幕末期には、初代アメリカ合衆国公使館が設置され、駐日総領事タウンゼント・ハリス、通訳のヒュースケンが在留するも、攘夷派の焼き討ちに合い、横浜を経て築地外国人居留地(現 聖路加国際病院)に移転します。

 福澤諭吉の墓、越路吹雪の碑(母がファンで、先日テレビを見た妹が「小学生の頃、怖かった」と)があるそう。
 右は看板だけが残る店だが、上・右とも柳の存在(上は葉)から、流れの畔だった名残りが感じられます。

 大使館関係者など外国の方が多く暮らす地域では、東日本大震災による原発事故後は多くの人が母国に避難したようで、人口が半減したかのような静けさに「日本人には逃げ場がない」と感じたことを思い出します。

 下は麻布十番マハラジャの跡地で、現在のしゃれたカフェも流れを受け継いでいるように。
 外からも見えるマリリン・モンローの写真を撮りたかったが、昼間はガラスに光が反射するため、会社帰りにiPhoneで撮ったので雰囲気だけ……


 付近を調べるうちに『美少女戦士セーラームーン』の舞台は、麻布十番(作中では十番街)と目にします。現在、六本木ヒルズで『美少女戦士セーラームーン展』が開催されていますが、何でいまなのか?(関心が無いもので……)


追記──113番元素「ニホニウム:nihonium」誕生へ

 「科学」と「学習」を大分類とすれば科学に関心を持ちますが、化学分野には素養が無く(数学・物理方面のため)、分子構造のおもしろさには関心を持てぬまま終わりそうですが、そんなやからも、日本で初めて発見された元素には科学のロマンを感じます。
 「ゲルマニウム」はドイツの古名ゲルマニア(germania)にちなむなど、名称の命名経緯など考えたこともなかったが、今後はそんな意識を持って研究に取り組む研究者が増えてくれれば、大きな希望となりそうです。

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