2016/06/20

江戸っ子のひいき──赤羽橋

2016.5.28【東京都】──「渋谷川水系を歩く_15」 古川(渋谷川)



一ノ橋


 江戸期、首都高速「一ノ橋ジャンクション」付近には新河岸とされる荷揚げ場があり、下流域が運河として整備された様子は現在も見て取れます。
 そのおかげで周辺は物資の集積地として栄え、旧赤羽川沿いに麻布十番の商業地、古川沿いに歓楽街が発展し、路面電車が開通した明治期には映画館や芝居小屋もあったそう。
 付近は谷底の低湿地帯で、地下鉄駅も浸水被害を受ける場所柄のため、古川の護岸整備と共に地下調節池整備(恵比寿橋付近〜一ノ橋の約3.3km)が行なわれますが、環状七号線の地下調整池のような大規模工事のため、長期に及んでいます。


元神明宮(もとしんめいぐう)

 コンクリートの建物なのに、軽井沢高原教会のような印象を受けます。もちろん教会とは異なりますが、ここでも神前結婚式を挙げられます。
 ここは、1005年(平安時代:陰陽師の安倍晴明が亡くなった年)に創建され、江戸幕府の命により飯倉神明(現芝大神宮)に移されたことから「元」とされます。
 貝塚が残る四ノ橋周辺は縄文時代(縄文海進:約6000年前の海水面上昇期)の生活圏で、海退(海水面下降)により付近に姿を現した格段に広い平坦地に文化を築くまでの、時間の長さを感じます(5000年で2km程度の歩み)。

 右は神社下の石垣で、崩壊してしまった熊本城の「武者返し」(下はなだらかで上は垂直)のようでもあるが、上部が圧力で外側に膨らみ、波打つように見えるので、補修が必要では? とも。

 明治期、付近の平坦地は工部省赤羽製作所~海軍造兵廠とされますが、移転後の空き地は「ありまっぱら:下記に由来」と呼ばれ、戦後のバラックに始まったような住宅密集地が残るも、そんな下町風情も風前の灯です。
 進行中の再開発により、巨大なマンションが2棟完成し、現在1棟工事中ですが、いずれもデカイ!


中ノ橋

 江戸末期、付近には諸外国との条約締結により「赤羽接遇所:外国人の宿泊施設」が設けられます。幕府が独断で進める条約交渉に訪れる外国人を、攘夷派が見過ごすわけも無く、アメリカ公使タウンゼント・ハリスの秘書兼通訳ヒュ-スケンは、中ノ橋付近で暗殺されます。

 右は、中ノ橋から見た首都高速「芝公園入口」の裏側。
 首都高速は川沿いに建設されるが、崩れて川へ真っ逆さまでは二重苦のように思えてしまう。
 路上側は、空に向かう銀河鉄道のような道なのに、物事の見方全般で裏を取るようになってきたか?



 江戸期、中ノ橋付近にあった久留米藩 有馬家屋敷内の「水天宮:久留米から勧請(分霊を他の地に祭る)」は、塀越しに賽銭が投げ込まれるほど庶民に信仰され、後に屋敷内のお参りを認めると、有馬家・情け深さを掛けた「なさけありまの水天宮」という地口(じぐち:駄洒落)がはやります。
 また、当時では異例の高さ三丈(約9m)の火の見櫓を建てると、有馬温泉(出身地)・水天宮・火の見櫓を掛けた「湯も水も火の見も有馬の名が高し」とされるほど、江戸っ子がひいきにしたのは、「ありま」の語呂が受けたような気がします。
 水天宮は日本橋蛎殻町に移転し、現在も信仰を集めますから、ご利益は健在のようです(先日、新社殿が完成)。
 右は、いまどきでは贅沢な土地利用に見える「三田国際ビルヂング」(手前は低層部分の屋上空間)。


台徳院霊廟(たいとくいんれいびょう)惣門


 上は以前、増上寺で江戸幕府二代将軍 秀忠を祭った台徳院霊廟惣門。普段は表の日比谷通り側から見上げるも、この日は逆の霊廟(現 公園)側から見下ろします。
 一帯の霊廟は空襲で被災したため、秀忠の遺体は発掘調査後に火葬され徳川将軍家霊廟に改葬されます。秀忠正室の江(浅井長政女、豊臣秀吉養女)も、戦国乱世の終結を目にした後に、戦渦にまきこまれてしまい「これで最後に…」の思いでしょう。


アクアフィールド芝公園


 港区は、芝公園周辺に公園やグラウンド等をこまごまと整備しており、都心部の他区からはうらやまれそうです(上はフットサルなどのグラウンドで、この地下に屋内プールがある?)。
 ですが、先日の区長選挙結果はどうなったのだろう? 関心が無いわけではないが、まるで伝わってこない印象があります。


追記──前人未到の道を歩み始めたイチロー

 イチローにとって、これまで通過してきた記録は「一里塚」的な目標でしかなく、彼が目指すのは、われわれがギョッとするような、とてつもなく大きなものなのでしょう。
 「常に人に笑われてきた悔しい歴史が、僕の中にある」と語る道のりは、孤独な戦いだったと思われるが、「前人未到のフロンティア」に足を踏み入れ、42歳から「本当の孤独との戦いが始まる」状況は、歳と共に孤独感が深まるわれわれにも理解できるような気がする(って、意味が違うか……)。
 われわれも経験する、チャレンジする際「どうやって、やっつけてやろうか?!」の、ワクワク感こそが原動力なのではないか? と励まされます。
 これからの活躍こそ応援します!


追記──イギリスは「何を」選択するのか?

 イギリスのEU離脱是非を問う国民投票前に、残留を支持する議員が離脱支持者に殺害される事件が起きました。イギリス国民にとってEU離脱の是非は国を二分する議論であっても、今回の事件を受けて先鋭化するのではなく、同じ国民として「団結」の道を模索する姿には、敬意の念を抱きます。
 ですが「国際協調」vs「国粋主義」の対立は、経済が低迷する国に「資本主義に対する疑問」と共に拡大しているように感じます。国政への民意の反映は、民主主義国の大前提ではあっても、現実には「はじめに経済活動ありき」が実情です。
 そんな中で行なわれる国民投票に、イギリス人の「プライド」を守ろうとする選択肢があることに、世界の名士たる自負を感じました。
 リーマンショックのような、激震とならないことを祈るばかりです……

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