2016/07/11

熱中症予防は緑の木陰で──烏山

2016.6.18【東京都】──「目黒川を歩く_1」 烏山川_1

 今回から目黒川水系をたどります。
 目黒川は、池尻大橋付近の烏山川と北沢川(共に暗きょ)合流地点から下流側の名称とされるので(中目黒付近で蛇崩川が流入)、最上流である烏山川水源付近から下ります。



 標高図の色の濃さから、前回の三田周辺との高度差が分かります。




 烏山川の水源は、以前立ち寄った烏山寺町にある高源院(弁天池)とされ、池には流入下水が無いおかげで、湧水や雨水だけの澄んだ水で満たされています。
 寺は、久留米藩 有馬家藩主により品川に建立されますが、震災により荒廃した寺をこの地に移転させたのも、15代当主 有馬頼寧(よりやす:伯爵)とのこと(「なさけありまの水天宮」は健在!)。JRA理事長時代には、出走馬をファン投票で選ぶ「有馬記念」を創設し名を残す方で、一族には直木賞作家や、水天宮の神職を輩出する名家。
 味方かは分からないが、庶民サービスを率先する家柄だったようです。




 熱中症関連で耳にする「暑さに慣れてない体」を慣らそうと挑むも、当初は「クラ〜ッ」とくる瞬間もあるわけで、それを救ってくれたのは以前も訪れた竹林の木陰でした。
 自然との距離感はなるべく近い方がいいと考える、日本人の絶妙なさじ加減を実感します(来る者は拒まず介抱してやる、のようにも……)。
 都心のビル風でひと息つくことと、寺町での深呼吸は別物で、木々がやわらげてくれる空気こそ、熱中症を予防してくれるように感じます。



 施設は、ウテナ本社および創設者 久保政吉旧邸(右)の隣接地を貸借し建てられたもの(1995年開館)。
 自治体側としては、駅・学校や蘆花恒春園にも近い好立地ですし、企業側にも地域貢献としてこの上ない、ベストマッチの印象を受けます。
 この手の施設では「コレクション」として、間口を広げたがるもので、「キネマ旬報バックナンバー揃う(全巻は無理)」は、区内在住の方からの寄付だったりします。ちなみに第一号を刊行したのは、東京高等工業学校(現・東京工業大学)の学生なので目黒区がルーツ。


都営八幡山アパート

 右は付近に健在の都営住宅で、号棟の字体がガキ時分に暮らした公団とそっくりなのが懐かしく……
 現在ランドマークの座は、清掃工場の煙突に奪われるも、環八通り沿いの給水塔も健在です。
 若い時分の、車に乗りたい盛りは車窓からよく目にしたものですが、オートバイを手放してからは都心の幹線道を走ることは皆無となり、散歩でも大通りを避け裏道を歩きたいため、幹線道沿いが弱点と気付かされます。
 久しぶりの「昭和遺産」を懐かしく見上げました。




 明治期の小説家 徳冨蘆花(とくとみろか)の旧宅・耕地・墓地(も残る)を整備したもので、周囲の施設も含め芦花公園(京王線駅名も同じ)と呼ばれます。
 蘆花とは「蘆(あし)の花:紅色」で、目にしたことはあっても、ススキとの違いを意識してないことに気付かされたので、次回はちゃんと観察します。
 右はスズメのお宿のようでいい雰囲気と思うが、以前は田舎だったイメージを払しょくしたいのか、自動車の世田谷ナンバーには自負を持てないようです。
 わたしには、ちょうどいい生活環境の印象があります。



 旧流路は、芦花公園付近から緑道として整備され、岸辺に並んだと思われる並木が残る右写真周辺には、ひと息つける安堵感があります。

 京王線沿線には、父の実家や、通った大学があるため、些細なきっかけから懐かしさがよみがえります。
 大学の野球大会に向け、芦花公園で練習したことを思い出した際、3人しかいない同級生女子全員で試合の応援をしてくれたのに、「少な…」と感じた寂しさがよみがえるのは、当時の素直な印象だったようです……(感謝すべきなのにね)


追悼──アッバス・キアロスタミ(イランの映画監督)

 大好きな監督が亡くなりました。
 人の生き様はまどろっこしく、面倒くさいほど遠回りを強いられ、つづら折れの道を歩くようでも、着実に前進しているはずである、と諭してくれた。
 『友だちのうちはどこ?:1987年』の宿題ノートの押し花が忘れられないのは、間違いをやり直そうとする努力は報われるはず、とのメッセージを応援したいからである。
 1990年の大地震以降も繰り返される地震からの復興や、光が差し始めた欧米との関係修復に注がれる努力が報われることを祈り、『そして人生はつづく:1992年』のでしょう……
 ありがとうございました!

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