2016/07/04

丘の上が似合う学府──三田

2016.6.11【東京都】──「旧入間川(いりあいがわ)を歩く」

 旧入間川は渋谷川(古川)の下流と並行する流れで、海水の影響を受ける場所柄から、縦横に作られた運河(水路)の、海とつながる幹線だったのではないか?




かんぽ生命東京サービスセンター(旧簡易保険局)

 「かんぽ」にはお世話になるので身近と感じるも、このサービスセンターは敷居が高すぎです。
 ルーツの逓信省(交通・通信・電気を管轄)は、戦後に通信事業だけの官庁となり、1948年二省分離(郵電分離)で郵政省(2001年廃止→日本郵政へ)と電気通信省(1952年日本電信電話公社→1985年NTTへ)に分割され廃止。
 残された、国営銀行(旧貯金局庁舎:現麻布郵便局)、国営生命保険(旧簡易保険局:右)の資産(震災後に移転した建物)は、日本郵政が引き継ぎます。
 サービス低下の迷惑を被ったのは、郵政民営化を急いだ政治家のせいではなく、資産にあぐらをかく体質としたら、利用者が声をあげる必要があります。




 門から結婚披露宴の出席者と思われる一行が出てきます。日立目白クラブ同様、関連社員は利用可能と聞くと、のぞいてみたい気も。
 ジョサイア・コンドルの設計により、三井財閥の迎賓館( 1913年:大正2年竣工)として建てられたが、戦後は米軍オフィサーズ(士官)クラブとされた時期も。
 旧佐土原藩(さどわらはん:現宮﨑県)屋敷跡に建てられたもので、明治期の伯爵を輩出した名家への配慮か、少し前まで佐土原藩藩邸の長屋が保存されていたらしく、名士とされる勢力の変遷を伝えていたようです。




 震災後の復興計画により大使館が転入した1932年(昭和7年)当時の付近は、旧簡易保険局等も受け入れられる、ゆとりを持つ郊外(田舎)だったようです。
 旧公爵邸跡の精神を引き継いだのか、派手さを抑えたイタリアの田舎風というか、日本に配慮した佇まいで、1965年に建てられた施設内部には和風を意識したシックな印象があり、イタリア人のセンスに好感を抱きます。
 敷地内の池は、旧入間川水源の位置としてはピッタリですが、流れを生むほどの水量ではななかったようにも(近くのマンホールから聞こえる流れの音は、一般の下水か?)。



 本学のルーツは、中津藩士 福澤諭吉が藩命により築地鉄砲洲(中央区明石町:聖路加病院近く)の藩屋敷に開校した蘭学塾(1858年:安政5年)で、1868年(慶應4年・明治元年)に年号から名称を定め、1871年(明治4年)に現所在地に移転します。
 三田の丘(三田段丘)に現存する施設としては最古参。キャンパスへの道はどこも坂道と「丘の上:応援歌」で歌い、右の東館アーケード上部には、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」を意味するラテン語が記され、門前からも学府(丘の上)への坂道に威厳を感じます。

 丘の下に広がる慶應仲通り商店街の迷宮には、戦後から変わらぬような町並みが残ります。学生街というよりビジネスマンの溜まり場的な印象は、慶応のお坊ちゃま・お嬢ちゃま方は、路地には近寄らないとの思い込みか?
 ですが、週末にリーズナブルな店の前に並ぶ姿は、「社会経験から身につけた嗅覚」に違いありません。

 三田の由来とされる「献上米を作る屯田:みた」「伊勢神宮または御田八幡神社の神田:みた」は、一ノ橋方面にあったのではないか? 付近の水田地帯は潮の影響を受けるため、いい米は上流側で作られたように思えます。


Topが腐った企業の方程式?


 以前よく耳にした「腐ったミカンの方程式:金八先生」の表現には、箱の底でつぶされたミカンが腐り始め、それが周囲に広がるイメージを持っていたが、そもそもTopが腐っていたら下のミカンは「君たちも腐るのだ!」と、強要されるようでおそろしくなります。
 近所で「ゲスな会社:こんな使い方にはピッタリ」を目にするのは(三菱自動車はアパートの並び、東芝は第一京浜から見える)気分がいいものではありません。
 それでも、「浦和レッズ問題」は何とかしないと(三菱が日産の子会社になると、マリノスとレッズが同じ会社のチームとなり、Jリーグ規定に抵触する)、一帯がレッズサポーターに取り囲まれそうです。
 他にも、軽自動車S社のラジオCMで、アイドルたちが燃費の優位性を強調させられる様には、言わされる側の気持ちを察してしまう……


芝浦にあった海水浴場

 明治期の付近には、病気療養、健康増進の目的で開設された海水浴場がありました。
 波の穏やかな付近は、江戸期から観月の景勝地(海に映る月を楽しむ)でしたが、1872年(明治5年)防波堤上の鉄道敷設を契機に、埋め立てが本格的に始まります。
 手前のツインタワーは、1991年建設のシーバンス、右端は東芝ビルディング。
 不正会計問題後、白物家電を手放しても『サザエさん』は継続らしいが、アニメの主人公がスポンサーによるイメージ低下を不安視するって、なかなかありません……


 渋谷川(古川)と田町間には、現在も整然とした町並み(格子状)や、あぜ道 or 水路跡のように見える場所が残るので、ルーツをひも解くヒントを得た気がします。
 今回の旧入間川は、一話で完結です。


追記──新おがさわら丸 就航!(リンク先はPDF)

 本土(竹芝桟橋)と小笠原諸島 父島を結ぶ船旅が、片道1時間30分短縮され「24時間」となり、小笠原村村長は「短くなった1時間30分をどう使うか。その余裕ができることで、小笠原にやってくる関東圏中心の観光客層が、さらに中京圏や関西圏にも広がることを期待する」と語るが、「行くぞ!」と決心する側にとって1時間30分は誤差範囲ではないか?
 「日本一贅沢な船旅」とされる、島影も見えない「孤高な船旅」を味わえるが、3食同じ食堂で、同じオヤジ(乗組員が兼務のため仕方ない)の顔を見て食べる状況から逃げられないことに、息が詰まった印象が残ります(もちろん、帰りも同じ顔……)。
 それだけの時間をかけても、訪れる価値のある島であるとの応援は続けますが、島に暮らす大学の同級生には申し訳ないが、もう「行くぞ!」の気力は無さそうです……