季節柄、桜並木を物色するうちに、認識してなかった川の存在に気付きました。
立会川と呑川の間を流れる内川は、北馬込付近に始まり、大森ふるさとの浜辺公園付近で海に注ぎます(上流は暗きょ)。季節感を伝えるため掲載順を入れ替えます。
立会川と呑川の間を流れる内川は、北馬込付近に始まり、大森ふるさとの浜辺公園付近で海に注ぎます(上流は暗きょ)。季節感を伝えるため掲載順を入れ替えます。
※国土地理院 標高地形図「東京都区部」から途中で切れるため標高図は掲載しません。
松原橋(リンク先は以前の空撮写真)
都営浅草線 馬込駅〜西馬込駅周辺を歩くのは初めてで、近くを通る横須賀線も切り通しが続くため景色がつながらなかったが、Gulliverの看板を目印にしてみようと。
第二京浜(国道1号線)の松原橋(右)は環状七号線を跨ぐ橋で、昭和15年(1940年)に完成した日本初の幹線道の立体交差点。当然渋滞の常習地で、二酸化窒素排出量が全国ワースト3と聞くと、付近に暮らしたいと思えません。
高台を通された環七は海辺の平和島方面に向かうため、切り通しから低地へと下ります。
第二京浜(国道1号線)の松原橋(右)は環状七号線を跨ぐ橋で、昭和15年(1940年)に完成した日本初の幹線道の立体交差点。当然渋滞の常習地で、二酸化窒素排出量が全国ワースト3と聞くと、付近に暮らしたいと思えません。
高台を通された環七は海辺の平和島方面に向かうため、切り通しから低地へと下ります。
長遠寺(ちょうおんじ:真言宗智山派)
山門脇のしだれ桜はソメイヨシノより開花が早く、ちょうど見頃でした。
門前の道は古道とされ、付近は馬込八幡神社、小学校、郵便局が集まる、地域の中心地だったようです。
商店街の代替わりした店の小ぎれいさに、需要はありそうと感じるも、店主の高齢化により要望に応えられない店の活気は失われるように。
後継者のいない店舗が、歯が欠けるように売却されると、商店街の枠組みが失われてしまいます。丘陵の尾根を通る古道はバス通りで集客力はありそうなので、身の丈に合った活気なら取り戻せるのではないか。
門前の道は古道とされ、付近は馬込八幡神社、小学校、郵便局が集まる、地域の中心地だったようです。
商店街の代替わりした店の小ぎれいさに、需要はありそうと感じるも、店主の高齢化により要望に応えられない店の活気は失われるように。
後継者のいない店舗が、歯が欠けるように売却されると、商店街の枠組みが失われてしまいます。丘陵の尾根を通る古道はバス通りで集客力はありそうなので、身の丈に合った活気なら取り戻せるのではないか。
右の時計台は、校舎改築時(大正4年:1925年)に設置され、再改築(昭和37年頃)の際、取り壊しを惜しむ現所有者に払い下げられ、隣接地の個人宅に移設されます。
時計台のある家に暮らすのは地域の有力者としても、その行動には財力だけでなく責任感が求められます。
ですが近ごろは、地域外から大資本を後ろ盾とする連中が侵攻してくるため、名士とされた地主でも対抗できないのではないか?
後継者のいない店舗から切り崩されては、地域の文化も失われてしまいそうです。
時計台のある家に暮らすのは地域の有力者としても、その行動には財力だけでなく責任感が求められます。
ですが近ごろは、地域外から大資本を後ろ盾とする連中が侵攻してくるため、名士とされた地主でも対抗できないのではないか?
後継者のいない店舗から切り崩されては、地域の文化も失われてしまいそうです。
ここは、日本画家 川端龍子(文化勲章受章)の作品を紹介する龍子記念館向かいで公開される、旧居+アトリエ+庭園で、竹に対する愛着が印象に残ります。上は、縁側のひさし裏(下から見上げた絵)に施された竹細工。
説明員の方の「この奥が仏間」の意味が分からなかったが、東京国立博物館に寄贈した重要文化財「毘沙門天立像」などを安置した部屋の説明だったようです。
個人の思いから文化財を迎える空間を作り上げ、主張(自然物の美しさは人の手で輝きを増す)を具現化した家屋・庭園に圧倒されました(突っ込むスキが無い)。
右は、松の枝にシダ類を根付かせようとする姿。
説明員の方の「この奥が仏間」の意味が分からなかったが、東京国立博物館に寄贈した重要文化財「毘沙門天立像」などを安置した部屋の説明だったようです。
個人の思いから文化財を迎える空間を作り上げ、主張(自然物の美しさは人の手で輝きを増す)を具現化した家屋・庭園に圧倒されました(突っ込むスキが無い)。
右は、松の枝にシダ類を根付かせようとする姿。
文士村とは、関東大震災後の大正末期〜昭和初期に多くの文士・芸術家がに移り住んだ地域の別称で、人物・作品を知らなくても記念館のたたずまいを楽しめます。
今年の桜は満開まで足踏みしたため、桜まつりの時期でも2分咲き程度でしたが、ならば「わたしが咲きましょう!」の盛り上げに、春を待ちきれない人々が集まります。
季節感を盛り上げる踊りなので、招かれた流し踊り、阿波踊り、郡上踊り等のチーム(連)は、元々春の踊りではなくても「春のよろこび」を表現してくれます。
花はイベントに合わせてくれないので、今日のところは団子を味わい、花で盛り上がるのは仕切り直しということに……
今年の桜は満開まで足踏みしたため、桜まつりの時期でも2分咲き程度でしたが、ならば「わたしが咲きましょう!」の盛り上げに、春を待ちきれない人々が集まります。
季節感を盛り上げる踊りなので、招かれた流し踊り、阿波踊り、郡上踊り等のチーム(連)は、元々春の踊りではなくても「春のよろこび」を表現してくれます。
花はイベントに合わせてくれないので、今日のところは団子を味わい、花で盛り上がるのは仕切り直しということに……
ローカル感漂う終着駅ですが、都営地下鉄北端の三田線 西高島平駅の「地の果て感」とは違い、京へのみちのりが続くようにも(共に延伸計画は消滅)。
浅草線(1968年)、三田線(1976年:旧区間)開通時は、都営1号線、都営6号線と呼ばれ(ジジ臭い記憶…)、連番は2号線:日比谷線、3号線:銀座線、4号線:丸ノ内線、5号線:東西線と続くように、都市計画では都営・旧営団も同じ土俵で議論されました。
一枚上の赤いはっぴのチームは近所らしく、衣装のまま上の第二京浜を渡る姿に「祭のあと」のけだるさが漂います。見事に咲いてくれました!
馬込の地名由来は馬の放牧場と思っていたが、馬は傾斜地で暮らせても急傾斜地が多いので調べてみると、「ま」を接頭語とすると狭く窮屈な場所の意味になる、の説明がピンと来るような地域でした。
浅草線(1968年)、三田線(1976年:旧区間)開通時は、都営1号線、都営6号線と呼ばれ(ジジ臭い記憶…)、連番は2号線:日比谷線、3号線:銀座線、4号線:丸ノ内線、5号線:東西線と続くように、都市計画では都営・旧営団も同じ土俵で議論されました。
一枚上の赤いはっぴのチームは近所らしく、衣装のまま上の第二京浜を渡る姿に「祭のあと」のけだるさが漂います。見事に咲いてくれました!
馬込の地名由来は馬の放牧場と思っていたが、馬は傾斜地で暮らせても急傾斜地が多いので調べてみると、「ま」を接頭語とすると狭く窮屈な場所の意味になる、の説明がピンと来るような地域でした。
追記──長年お世話になった理髪店が閉店……
髪型の注文って伝わりにくく、たいした髪型でなくても納得できるまで数回かかるものですが、仕方なく初め入った店でパツンパツンに短くされました。寝ている間に切られては文句も言えません。
暖かくなりはじめた季節でよかったと思うも、来月の理髪店新規開拓が憂鬱になってきました……
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