今回は、洗足池水源のひとつとされる、清水窪湧水からの流れをたどります。東急目黒線 洗足駅〜大岡山駅間の谷間の流れは、導水管(暗きょ)で洗足池まで流されます。
大岡山周辺
清水窪の湧水は、高台を通る環状七号線(立会川との分水嶺)を背にした窪地にあるため、神が宿るロケーションとして清水窪弁財天(上:個人所有の敷地)を祭った心情は理解できるものです(東京の名湧水57選)。
東急線 大岡山駅の上に建つ東急病院(右)は日本初の駅上病院らしいが、いくら音や振動を防止しても気になる敏感な患者さんもいそう。
駅のホームには、他では見ることのない技術系会社の広告看板が並びます。一般人には響かなくても、東工大生をターゲットとする戦略は正しそうですし、特殊な分野に関心を持つ子どもがいるかも知れません。
東急線 大岡山駅の上に建つ東急病院(右)は日本初の駅上病院らしいが、いくら音や振動を防止しても気になる敏感な患者さんもいそう。
駅のホームには、他では見ることのない技術系会社の広告看板が並びます。一般人には響かなくても、東工大生をターゲットとする戦略は正しそうですし、特殊な分野に関心を持つ子どもがいるかも知れません。
洗足池周辺
起伏の多い地域にとって平坦な池は貴重なため、周囲には水生植物園、ボート乗り場、グラウンド、図書館などを整備し、幼児から年配の方までが集える、いこいの場を目指しています。
その一方、「花見は車で来ないで」の看板が並ぶように、近隣は違法駐車に迷惑するようですが、近場の公園で宴を開きたい(いまどきは道具も多い)との思いも、分かる気がします。
上は千束八幡神社の絵馬で、源頼朝が池に映る月のようにたくましと「池月」と名付け、平氏討伐で活躍した馬。
関東の八幡神社は源氏由来のため、日蓮が池で足を洗い「洗足池」となっても、神社名は「千束」のままです。
その一方、「花見は車で来ないで」の看板が並ぶように、近隣は違法駐車に迷惑するようですが、近場の公園で宴を開きたい(いまどきは道具も多い)との思いも、分かる気がします。
上は千束八幡神社の絵馬で、源頼朝が池に映る月のようにたくましと「池月」と名付け、平氏討伐で活躍した馬。
関東の八幡神社は源氏由来のため、日蓮が池で足を洗い「洗足池」となっても、神社名は「千束」のままです。
勝海舟は、西郷隆盛との「江戸城無血開城」交渉に向かう際に立寄り気に入った、池の東側に別邸 洗足軒を建てます(現在 夫妻の墓地)。当時は未開の地でしたが、1922年(大正11年)田園調布と同時期に造成された西側の丘にはシャレた住宅街が広がります(立派な庭のある家も)。
翌年の目蒲線 洗足駅開業・関東大震災以降、山手の宅地が注目され急速に発展します(池上線 洗足池駅は27年開業のため、当初の最寄りは洗足駅)。
洗足池を検索し、皇太子妃 雅子さんの実家が洗足駅に近いと知るのも、ネットらしさと。
翌年の目蒲線 洗足駅開業・関東大震災以降、山手の宅地が注目され急速に発展します(池上線 洗足池駅は27年開業のため、当初の最寄りは洗足駅)。
洗足池を検索し、皇太子妃 雅子さんの実家が洗足駅に近いと知るのも、ネットらしさと。
湖畔の袈裟掛けの松は鎌倉時代の日蓮に由来し、現在の松は三代目。付近に創建された「御松庵」が現在の妙福寺(上)の始まりとのこと。
右は、これまで車で数百回通っても気付かなかった、洗足池駅の五反田側にある1.4m程度の低いガード(徹夜明けのタクシーなので寝てたか? 何て仕事か…)。
建設された昭和期の、鉄道も人も通れるから何とかなるという「前だけを向く」気分は分かるが、現在の周辺住民の気分はいかに?
右は、これまで車で数百回通っても気付かなかった、洗足池駅の五反田側にある1.4m程度の低いガード(徹夜明けのタクシーなので寝てたか? 何て仕事か…)。
建設された昭和期の、鉄道も人も通れるから何とかなるという「前だけを向く」気分は分かるが、現在の周辺住民の気分はいかに?
追記──NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』終了
子ども服メーカー ファミリアを、戦後のどん底期に立ち上げた深窓の令嬢たちがモデル。
以前大阪制作の、『マッサン』『あさが来た』のような地域を越える広がりがないため、「神戸物語─戦後復興編」のように見えるが、ドラマ完結の十数年後に発生した阪神淡路大震災にも、くじけない心は受け継がれる、とも受け止められます。
神戸+淡路島(?)の合成らしき、異人館を見下ろす丘が重要な舞台とされるが、あんな場所があったら大人気スポットになりそうと。
芳根京子ちゃんの、大きな目と頬がプルンとした可愛いさを「ペコちゃんのよう!」と表現する感性は、この歳まで変わらないので一生このままのようです。彼女は涙もろいのか、泣き上手(?)をそのまま使ったのは正解と。
マスオさん的な立場を演じる永山絢斗(けんと:瑛太の弟)の朴訥とした存在感と、いにしえのVAN(←現在も変わらず懐かしい!)創業者役の松下優也が印象に残ります。
子ども服メーカー ファミリアを、戦後のどん底期に立ち上げた深窓の令嬢たちがモデル。
以前大阪制作の、『マッサン』『あさが来た』のような地域を越える広がりがないため、「神戸物語─戦後復興編」のように見えるが、ドラマ完結の十数年後に発生した阪神淡路大震災にも、くじけない心は受け継がれる、とも受け止められます。
神戸+淡路島(?)の合成らしき、異人館を見下ろす丘が重要な舞台とされるが、あんな場所があったら大人気スポットになりそうと。
芳根京子ちゃんの、大きな目と頬がプルンとした可愛いさを「ペコちゃんのよう!」と表現する感性は、この歳まで変わらないので一生このままのようです。彼女は涙もろいのか、泣き上手(?)をそのまま使ったのは正解と。
マスオさん的な立場を演じる永山絢斗(けんと:瑛太の弟)の朴訥とした存在感と、いにしえのVAN(←現在も変わらず懐かしい!)創業者役の松下優也が印象に残ります。
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