2010.9.4
【東京都】
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東京競馬場(Map)
この夏、この手の屋外施設を管理する人たちには、大変な苦労があったことと思います。
カンカン照りの猛暑続きで雨も降らず、この広大なグリーンの手入れを考えるだけで途方に暮れてしまいそうです。
と思ったら台風の大雨では極端に降りました。本来地球のシステムは、もっと効率的に機能していたはずなのに。
それを人類がコントロールすることは可能かも知れませんが、大変なお金、労力そして規制が必要となることでしょう。
これまでも人類は困難にチャレンジしてきたのですから、次の世代のためにやってみませんか?
駅名には「府中競馬」とありますが正式名は東京競馬場で、1907年(明治40年)に開設された目黒競馬場(バス停名に「元競馬場」が残されます)が初代で、1933年(昭和8年)府中に移転します。「目黒記念」とされるレースは目黒競馬場にちなむものです。
2007年にリニューアルされたスタンドの内部は、アミューズメント施設を想起するような装飾がほどこされ「ここは一体どこ?」と驚かされます。
子ども連れでも違和感がないばかりか、施設内で撮った写真を「ディズニーランド」と言われても納得してしまいそうな装飾です。
とはいえ目についたのは、キレイな施設の中でも床に新聞紙を敷いて座り込んだり、寝ころんでいる人が多いことです。
ベンチが空いていても床に陣取っているので、好きな場所やテリトリーがあるのかも知れません(○○の巣窟的な暗いイメージはありません)。
ここでレースが開催されなくても、土・日は地方競馬の場外馬券売場として開場しているので、猛暑日の避暑地(暑さを避ける場所)としては、最適かも知れません。
随時アナウンスは入りますが、図書館以上の真剣さで(?)新聞をにらむ人や、スタンドテーブルで熟慮を重ねる方々は、図書館のように静かです。
でもモニタに食い入る人には、突然大きなかけ声を発する人がいるので、それも雑音と受け入れられれば、気持ちよく昼寝ができそうな施設です。
ギャンブルには関心がないので、この手の施設を知らないためどこも珍しく見えてしまい、興味の尽きない子どものように施設内をポコポコ歩き回っていました(ワクワクと楽しんで歩けました)。
一般人が立ち入れる最上階の指定席ゲートに立つ警備員のおばちゃんが、無線で何やらやり取りしています。
そこでふと、大きなお金が動く施設ですからバッチリ監視されていて、「明らかに金を使おうとしないヤツがウロウロしている」と、いくつもの監視モニタでチェックされているかも知れない、と思ったりしました(近ごろの繁華街はどこでもそうなのでしょうね)。
でもそんな映像は、捜査の際には利用されるわけですから、常に下を向いて歩かねば? イヤイヤ、上を向いてやましさのない、アホ面をさらして歩んでいきましょう。
コースの内側(馬場内)には、入場無料の子ども向け遊戯施設等があり公園感覚で立ち寄れるのですが、見通しが求められる場所柄ゆえ木陰等はありません。
親にすれば、こんな暑い日には遊びに来たくない場所でしょうね。
右写真のロボットのような設備は、インフォメーションモニタで「日差しの下で、芝生に寝そべってご観戦下さい」との趣旨なのですが、この猛暑日にもモニタを独り占めにする、太陽がとっても好きな人がいました。
外野からは、やけくそ? とも見えてしまいます。
馬場内にも投票所(馬券の購入窓口)はちゃんとあり、季節がよければ芝生で昼寝しながらトイレに行く感覚で馬券が買えるというんですから、至れり尽くせりというか、とことん巻き上げてやろうという意図のように感じます。
この日は地方競馬をモニタで観戦するだけなのに、画面に向かって叫ぶ人がいます。
大きなレースが開催されれば、もの凄い数の人たちが押し寄せ「ウォ〜!」という地響きのような歓声を上げるのですから、一種のお祭りや宗教行事のようにも思われます。
しかし、負け続けても決してあきらめないその原動力とは何なのでしょう?
お小遣いを増やしたいお父さんたちの「バブリーな夢」がはじけた後の、「このままでは終われない」未練という気もします。
よく「銀行に預けてある」と聞きますし、それを取り戻すまではあきらめられない、という気持ちは理解できるところですが、増えてもうれしくない預金残高もあると思うのですが……
今回のこの豪勢な「夢の殿堂」の建設は、出資者であるをお父さんたちへの還元サービスといえるかも知れません。
座席の数席分かは出資したかも? と嘆くなかれ。これは立派な(?)次世代への投資なのですから。
「元本保証無し。ペイオフなんか当たり前」でも、列を作って人が集まる、最もつぶれにくい銀行かも知れません……
現在、乗馬関連の雑誌制作をしていますが、そんな雑誌をシコシコ作ってる場合じゃないよね。ギャンブルは不滅です!? もの。
天気はどうすることもできないので、動植物にはとにかく水分補給が必要になりますが、あれだけ日照りが続いても水不足にならないのは自治体のおかげと、少し持ち上げておきましょうね。
でも先日の台風のような土砂降りの雨を、整然と排水してくれる施設整備にはちょっと時間とお金がかかりそうですから、可能な部分は自己防衛していくしかないのでしょう。
訪問時にはまだ台風が来てなかったため(台風来襲前の週末)散水の写真を多く撮っていて、訪問時の願望が表れていると、昔を振り返るように感じています。
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)(Map)
ここは競馬場近くにある大國魂神社で、特に格式の高い「東京五社」(東京大神宮、靖国神社、日枝神社、明治神宮とここ)のひとつとされます。
他の四社は、天皇が東京に移った明治以降に造られたので、この神社だけ111年(景行天皇41年) 創建というのがどうもピンときませんが、素盞鳴尊(すさのおのみこと:アマテラスの弟で海の神)などを祭るとされます。
卑弥呼(175年生?)が作ったとされる集権国家でさえ、限られた地方とされる歴史研究からは、ちょっと飛躍しすぎの感があります。
伝説では、2世紀頃ヤマトタケル(日本武尊)が「東方の蛮族討伐」に訪れたことになっているので、それを神社側が引き受けたように思われます。
ですがここの例大祭である「くらやみ祭り」では、関東三大奇祭のひとつとされる「淫靡(いんび)な風習」が江戸時代まで続いたとありますから、源流には土着的な信仰があったようです。
その風習は「歌垣(うたがき)」とされ、決まった日時に若い男女が集い、求愛の歌を掛け合い気を引き合ってカップリングを目指すもので、同様の風習は中国沿岸部、インドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在し、沖縄の毛遊び(もうあしび)も同じ流れとされるそうです。
歌垣はその後日本の、歌合(うたあわせ:優劣を競う)、連歌(れんが:多人数による連作)のルーツとされ、和歌や俳句もその流から生まれたとされます。
そんな背景を知ると、和歌に感じていた「愛憎の表現手段」との印象が、すんなり納得できる気がします。
現代でも形は変われど、出会い系サイト等では、歌垣のようなコミュニケーションが求められています。
そんな歴史を踏まえると、そこには現代の「淫靡なコミュニティ」という性格があっても、しかるべきという気がしてきます(金銭問題や犯罪が絡んだ活動の温床となるのは、現代の大きな問題です)。
しかし昔の風習も、現代の風潮も、結局は人々が求めているわけですから、決してなくならない普遍的な欲求に違いありません。
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