2011/03/07

長期予報の憂鬱──小石川後楽園、新宿御苑

2011.2.26
【東京都】


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※以前の東京地図(Googleマップ)を利用するつもりが、動きがとろく旧世代のようなので新規作成しました。Googleも一時の勢いを失ったのか?

 東京では2月25日に春一番が観測されましたが、どうもコイツにはありがたみが感じられないので(初冬の木枯らし1号も同様)、本来の「季節便り」ではなく「だまされないぞ」と、気を引き締め直す指標とする面があります。
 結局一喜一憂するだけで、夕方の森田さんの天気予報に登場する子どもたちの「春はもう目の前まで来ていま〜す」と手を振る姿に、苦笑しながら春を待つことになります(残業夕食時のそば屋で見かけます)。
 それでは悔しいから、自分の足で「春の兆し」を探したくなるのです。


小石川後楽園(Map)


 前回の梅が消化不良だったので「梅を撮ろう」と、梅→水戸偕楽園→水戸黄門→小石川後楽園の連想でやってきましたが、特に梅の木が多いわけではないようです。古木のようですが、こんな写真ならどこでも撮れますわね。
 梅の花は派手ではないため、観察者側の受け止め方・伝え方によって表情が変わりますから、自分らしさを表現するには格好の題材かも知れません。
 とは思ったものの、今年はこんなところですか……(この庭園は柵越しになるので、撮影場所には向いてません)

 梅に限らず、草木や季節感の表現には木造の日本家屋がとても似合い、お互いの風情を引き立てることを京都で学んだのですが、東京近郊では昨春の横浜三渓園以外には、ピンと来る庭園が思い浮かんできません。
 「次回は梅の季節に訪れたいものです」などと書いてながら忘れていたら、自分の力では思い出せないようなのでご指摘下さい……

 ここは、水戸光圀(黄門)の代に完成(1629年)とされる水戸徳川家の庭園ですが、当時この全貌が完成していたとすれば、彼の見識の広さに驚く「さまざまな趣向」がちりばめられた庭園になります。
 当時の明国から訪れた知識人のアドバイスを取り入れたそうですが、書物や絵からの知見しかない時代でしたから、具現化された姿には感心しきりだったことでしょう。
 ですが、光圀は儒学思想に傾倒していて、その教えにもとずく築園だったと聞くと、きっと言いなりだったんだろう、と思ってしまいます……

 この橋は通天橋(京都東福寺の橋は紅葉の名所として有名。通天閣は大阪浪速区。通天:天に届くほど高い)とされますが、他にも渡月橋(京都嵐山が有名)、円月橋(旧神田上水跡に架かる)、西湖堤(中国の写真を見た覚えがある)などなど、さまざまな意味が込められた造形が箱庭的に散在しています。
 立ち入り制限や修復工事で入れない場所は仕方ないにせよ、周囲の構造物が背景に容赦なく入ってくるので、写真を撮るには制限の多い庭園になります。でも、そこで撮るのが工夫ってもんなんですがね……

 パンフレットに「明るく開放的な六義園(りくぎえん)と好対照をなす」とあります。
 「来年は六義園をめざします」。覚えていればですが……


 平べったい東京ドームの上空には、空が抜ける空間があるはずなのですが、この白い屋根に結構邪魔されます。
 よけられないなら撮ってやろうと思ったものの、中途半端に距離があるとマヌケな写真にしかなりません(反省材料です)。


新宿御苑(Map)

 飯田橋からの移動なので、めずらしく千駄ヶ谷門から入りましたが、圧倒的に人出の少ない門のためか、入園券売機の前に置き忘れた女性用の財布が、かなり冷えていました。
 ごつい財布で錠までついていますが、紛失しては意味がありません。拾ったわたしが開けられないようにということ?
 係員がすぐにアナウンスをしていたので、やはり飾りだったようです。

 門の係員に届けると、礼の言葉より先に「報奨金はどうしますか?」と詰め寄る声。
 財布を拾う機会などないので、一瞬「この人何を言ってるんだろう?」と困惑しました。
 入園券売場周辺では多い事例でしょうから、門番のおばさんはマニュアル通りの対応をしたのでしょう。その迫力に「いいえ結構です」と答えたものの、口座番号を伝えておけばとも……

 でも後で考えると「報償を求められないような対応」が、マニュアルに明記されているのかも知れない、と思ったりしました。
 善意とは、助け合いの精神から生まれるものですが、勘ぐられる態度を見せないようにしても、そこでゴネられ後々まで尾が引くと仕事に支障をきたしてしまいます。
 件数の多い場所柄なので「その場のニコニコ現金払いにて、一件落着!」と考えると、謝礼抜きでも経験してみたかった気がします……


 梅の次はモクレンの出番ですが、もう準備万端のようです。
 これからはそんなバトンタッチが連鎖していくので、そんな姿に春への期待感が膨らみます。
 年齢と共に、四季のうつろいを実感するようになる、というのは、暑さ寒さに体がついていけなくなるため、温暖な季節の到来を切実に待ち望んでいるだけ、との実感があります(暑さに弱くなったと同時に、寒さにも弱くなったと感じます)。

 気象庁の長期予報っていつもこんな時期の発表でしたっけ?
 「この冬は寒かった」とまだ震えている時期に、「今年の夏も暑くなりそうです」との予報を出されては、気象庁も「異常気象」と認めた昨夏の暑さを想起し、うんざりしてしまいます。
 これは、あの暑さが「平年並み」になることの序章なのだろうか?

 夏の暑さは景気を押し上げるとされるので、新手の景気浮揚策(?)であれば少しは我慢してみようと思いますが、先の見えないグローバル社会ですし(?)、いまは春の訪れだけを心待ちにしています……

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