2011/04/18

上を向いて歩く国民の儀式──震災後一ヶ月

2011.4.18

 近ごろ上を向いて歩く人が多いのは、リレーで『上を向いて歩こう』を歌うCMのせいではなく、満開の桜に表情がゆるむ時節によるものでしょう。
 活発な地震活動が続く日々の、つかの間の楽しみだからでしょうか、例年以上に明るさやまぶしさが感じられる気がします。

 大地震から一ヶ月が経過しても余震や誘発地震が多いことにウンザリさせられられますが、地震研究でも事の重大さ(千年に一度という大地震)に見直しが迫られています。
 情報収集・分析が進む中で、M(マグニチュード)9規模の地震を引き起こすメカニズムについては、研究どころか意識すらされてなかったことを思い知らされ、一から考え始めねばという状況のようです。
 これまでは耳なじみのある、東海(静岡〜愛知)・東南海(紀伊半島)・南海(高知)沖の海底で起こるとされる地震を、発生頻度・研究のしやすさからM8規模の地震発生域となる3ブロックと考えていました。
 それが連動した場合にはM9規模の地震も起こりうるという認識でしたが、それに匹敵する規模の地震が一度に起こったことになります。
 M8とM9の規模では地震発生エネルギーに約30倍の違いがあるので、これまで考えられてきた発生メカニズムモデルが当てはまらない事態に直面しています。
 不鮮明な古文書記録から推測するしかなかった大地震を、「こういうことだったのか」と初めて経験したことになります。
 今回の大災害で言い訳的に聞こえ嫌いなった「想定外」という言葉ですが、経験してないことを想定する「想像力」を養うことが研究だとすれば、人類は地球についてまだ何も知らない、という原点に立ち返って研究に取り組む必要性が証明されたことになります。

 その研究成果の市民への還元について防災の観点からは、現在鳴りっぱなしの「緊急地震速報」を、精度を向上させ信頼性を高め、実現可能な最大の防御とするしかない、というのが現状と思われます。
 「はずれ」は多くとも、心構えができるだけでも画期的なシステムだと思います。「はずれて良かった」と思っていただければ……


2011.4.10
【東京都】


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日比谷公園(Map)

 映画街は日比谷・有楽町か新宿という時代によく来ましたし、帰りにこの公園で一服した記憶があります(あこがれ的な場所だったのでしょう)。
 スキあらば寄りたいと思いながらも、近ごろでは機会は激減していますが、訪れる度に「都会のオアシス」を再確認させられます。
 部分的には変わっているのでしょうが(こんなに飲食店が多かった?)、公園内の「まったりムード」は昔と変わりません。
 日比谷見附跡の下に広がる心字池付近では「ここはむかし海だって『ブラタモリ』でやってたよ」の声が聞こえます。
 特に何の役にも立たない知識でも、その土地に関心を持てるのですから「見聞が広がる=新しい経験」となることが、わたしの歩き回る動機付けでもあります。


皇居前広場(Map)


 先日散髪屋で聞いた話しでは、自宅から徒歩15分程度の「等々力アリーナ:体育館施設」で福島県からの避難者を受け入れているものの、子どもが「放射能がうつる」等の差別を受けるため、小学児童の親には、菅直人(伊達直人ではない)からの手紙が配布されているそうです。
 ガキの時分を思い出し反省する面もありますが、これは根拠無き完全な風評・いじめですから、親がきちんと言い聞かせる必要があります。でも元を正すとそんな親が「福島の子と遊ぶな」と言ってるのかも知れません。
 自分の身の回りの事だけ考えて、買い占めにはしり、のうのうと生きている連中がいるから、メディアは「日に日に善意の輪が広がっています」と流す必要があるのかも知れません……


皇居東御苑(二の丸庭園)(Map)


 この施設の入園は無料ですが、普段は入園時に入園票を受け取り退園時に返却することで、人の出入りを管理しています。出入りには大手門・平川門・北桔橋門があり、どこからでも出ることができます。
 普段はとても静かで落ち着いた雰囲気の庭園ですが、さすがに桜の季節は人出も多く管理しきれないのでしょう、出入りはフリーとなっていました。

 下写真手前はシャクナゲでその名を聞くと、学生時代に海洋測量のアルバイトで行った屋久島で、ひと月以上お世話になった宿の母さんの「行ったわよ、シャクナゲ登山」の話を想起します。
 屋久島の小学校では、初夏のシャクナゲの季節に登山する行事があるそうで(山地で咲く時季なので5月辺りのイメージがある)、屋久島の険しい山肌に花が咲く様子が思い浮かびます(未経験です)。


 大手門付近の漆喰が地震の被害で何箇所かはがれ落ちています。
 門の下には、通路の部分だけ落下物を防ぐシェルターが設けてあります。
 屋根には瓦類がありますから、通行時にゆれがきたら確かに怖い状況です。
 まだ断続的に揺れが続くので修復の時期ではないでしょうが、現在の城主(?)は「城の修復は後でよい。市中で困る者を手助けいたせ!」という殿様のようで安堵します……

 城の城壁にはとても大きな石が使われますが、色の違いは(種類の違いか?)何らかの理由で修復が必要とされ、各時代に対処された姿なのでしょう。
 現在残される江戸城跡は400年程度の歴史としても、何度もの修復を繰り返し保存されてきました。
 この国の歴史を代表する京都の町並みも、何度となく再構築されたせいか「新旧のパッチワークは歴史がならしてくれる」という気の長さがあります。
 わたしたちも、そんなパッチワークの一部に「この時代をどう生きたのか」を、残せたらと思います。


 福島原発事故の国際原子力事象評価尺度を、最悪の「レベル7」と評価する発表がありました。
 評価への賛否はありますが、ようやく観測データの数値が(IAEAの視察で隠せず?)「素直に」公表されるようになった印象があります。
 関連組織も事の重大さをようやく理解し、それまで情報公開に必要だった「上司のハンコ」の数が少なくなったのか?
 「レベル7」の評価発表にも苦悩はあったでしょうが、それは本当の苦しみが幕を開けたことを意味します。

 自宅のある川崎市では、阪神・淡路大震災でがれき等の災害廃棄物を貨物列車で運び処理した実績から、福島県にその手法を活用した協力を申し出たところ、専門家や市民から「基準値以下でも放射線を浴びた物を集めて処理すると、その場に放射線だけ蓄積する」との猛反発を受けてしまいます。
 確かに専門家の意見には一理がありますが、それでは宮城・岩手県の手助けはできても、福島県には誰も手を貸すことができなくなります。

 近隣諸国からは、日本からの輸入農産物・飼料等に「放射性物質検査の証明書」「原産地証明書」が義務づけられたそうですし、遠いヨーロッパやアメリカからは、チェルノブイリ事故に際しわれわれが感じたような「汚れた国」のレッテルを貼られていることでしょう。
 原爆が投下された時分は、それでも勤勉に働くことで前に進めましたが、グローバル化された現代社会で世界から「放射能村八分」にされてしまうと、この国は生きていけません。
 温暖化防止に向けて原発を推進してきた趨勢もあり、世界的に放射能の危険性にふたをしてきた面もありますから、危険性の警鐘を鳴らした点では、大きな負の貢献と言えるかも知れません。
 おそらく長い期間にわたり閉鎖されるであろう、現在の「避難区域」で生活していた人々の声を忘れないためにも、繰り返し大きく取り上げて、全国民に印象づけておく必要があるかも知れません。
 時間の経過は、人の記憶を風化させてしまいます……

 わたしたちにできる復興活動に向け、上を向いて歩くためのきっかけとなるのが、皆が同じ方向を見上げてよろこびを実感できる「お花見」ではないかと思います。
 表情はゆるみちょっと「まったり」してますが、気持ちでは「さぁ、やらなきゃいけない」という思いでひとつになれる、国民的儀式という気がします……


追記
 プロ野球の東北楽天に気合いが入っています。
 被災地の仙台が本拠地ですから、地元復興に元気を与えるためにも、阪神・淡路大震災の年にオリックスが優勝したように、今年は何が何でも優勝を勝ち取ってもらいたいと応援しています。
 ──この先どうなるか分かりませんし、早すぎでも可能性のあるうちに書いておかねばと思い……

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