2011.4.22
4月22日に福島原発の20km圏内が警戒区域とされました。
外野からは、なぜ早々に思い切った「退避命令」を出せなかったのか疑問に思います。言い訳的な「諸事情」があったにせよ、国民の安全は国家の最優先課題とされない、と受け止められても仕方ありません。
避難住民への情報提供不足が「避難指示」を無視した、自主判断による一時帰宅の車列を生み出しました。
該当地域の住民からは「どれくらい危ないのか分からない」の声が聞こえるということは、十分な説明責任を果たしていないことになり「テレビを見れば分かるだろ」では職務放棄となりますし、避難所で全員がテレビを見ているとも思えません。
放射能汚染による避難者も保護・補償を受ける権利が認められたわけですから、避難所ではなく仮設住宅レベルの対応が求められます。
外部から勝手な事を言って失礼ですが、(場所によりますが)「数年レベルの時間がかかる」との専門家の見解に対して、当事者たちは「何でそんなに時間がかかるの?」と、とまどうインタビューを見ました。
「先が見通せない」状況は分かりますが、謝るだけでなくその旨をキチンと避難住民に説明する義務が東電や国にはあるはずです。
それでも住民たちは「自主」ではなく「強制避難」とされたことにより、やっと国の保護下に置かれたわけで、苦難の道に変わりありませんが、ようやく再興への後ろ盾が得られたことになります……
2011.4.17
【東京都】
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薬師池公園
お花見(国民の儀式)も終わったので、再び鶴見川流域を歩きます。
薬師池公園は鶴見川本流(谷本川:やもとがわ)に流れ込む支流の源流域で、東京都町田市立の公園になります。
以前は福王寺溜池とされ、名称の由来は寺の薬師堂によります。
付近には、町田リス園、えびね(ランの仲間)苑、ダリア園、ボタン園等が隣接し人気もあり、駐車場に入る車で渋滞しています。
ダリア園は障がい者の働く場としてまちだ福祉作業所が運営していて、花の時期に合わせた6月20日~11月3日だけ開園します。
池の下流には蓮田(はすだ)があり、千葉市検見川の落合遺跡で発掘された2000年以上前の古代ハスの実から発芽した子孫を株分けしてもらい、群落となった姿を見ることができます。
そんな環境整備を評価されたとの自負でしょうか、町田市は「観光地」と胸を張っているようです。
後に紹介する里山風景との調和には落ち着きが感じられることもあり、リピーターを呼び込んでいます。
秋の写真を間違えてアップしたわけではなく、若葉のころから葉の赤いモミジ・カエデ類があり、この時期としては目を引く存在です。
古くから「ノムラ」「ショウジョウ」など、園芸品種として手が加えられたものは多種あるようです。
中には葉の色が、赤(春)→緑(夏)→紅(秋)と変わる種もあるそうで、それを「いとをかし」とする道楽もあるようですが、木にすれば迷惑なだけという気もします。
赤い葉でも光合成って行われるのだろうか?
もしその活動が抑制されるのであれば、春に赤い葉を見られなくても結構ですから、光合成に励む木にしていもらいたいと思う近ごろです。
鎌倉古道
鎌倉古道「上ノ道(高崎方面への道:記録では「下道」とされる)」がこの地を通り、峠付近には「鎌倉井戸」のなごりがあります。
何も丘陵地の峠付近に井戸を掘らなくてもと思いますが、戦闘に際しての休息場所に見晴らしの良さは必須ですから、給水ポイントの立地条件には最適だったようです。
鎌倉時代に幕府の所在地鎌倉から放射状に各地を継いだ道を「鎌倉街道」と呼んでいますが、当時の記録にはその名称は見当たらず「鎌倉へ通じる古くからある道」をひっくるめた総称のようで、由緒等も不明とのこと。
そこに世界遺産登録でブームになった「熊野古道」にならい「古道」の表現が使われるようになったという気もします。
幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道なので、調べてみると数々の戦闘に街道名は登場しますが、われわれの記憶に残るのは、幕府を攻め滅ぼした新田義貞の名前だけです。
ここもそうですが、他の場所でも案内板には同様に「新田義貞が鎌倉攻めの際に…」と書かれてあります。
記録に残るとしても、義貞があちこちの道を攻め上れるわけもないので、「鎌倉攻めに加わった新田の軍勢が…」程度の理解でよさそうです。
それにしても街道が「いざ鎌倉」ではなく、攻め込んできた敵勢の記憶として残されていることは、当時の庶民たちは鎌倉幕府(北条氏の支配)をこころよく思ってなかったのでは? という気もしてきます。
七国山(ななくにやま)
以前は頂上から相模、甲斐、伊豆、駿河、信濃、上野、下野の七国を望めたことによります。
──映画『となりのトトロ』で、サツキ、メイのお母さんが入院していたのは七国山(しちこくやま)病院。
丘の上の雑木林は残され、林〜農地〜住宅地への移り変わりが景色として違和感無く、調和の取れた土地利用という印象がありますが、歩いてみると結構急な斜面だったりします。
息切れして歩くような場所に建てられた家々は、新興住宅街に見られるような外観ですが、その周囲には以前と変わらぬ「豊かな里山」に見られる雑木林や桜の大木が点在しています。
七国山の斜面には「こころみ農園」(身体障害者がしいたけを栽培)や市民農園があり、この日も多くの方が手入れをしています。
近くには、農業支援を目的とながらも散策者も休憩所にできる「ファーマーズセンター」があります。
この町田市の注力の成果なのでしょう、里山の農地で人が多いわけでもないのに、何となく「ザワザワ」している印象を受けるのは、「里山の活気」と言えるかも知れません。
花の季節という陽気の良さもありますが、町田市が「観光地」と胸を張る気持ちが理解できた気がしました。
薬師池公園に隣接した谷戸の農地脇では、一本の桜の大木が満開を迎えています。
近所の方々でしょう、農地に大きなシートを敷いてお花見をしています。春らんまん、極楽のようなひとときを過ごしたことでしょう。都会よりは少し不便でも、まるで別世界のような体験ができます。
「ならばここを計画停電地域にしよう」とされたら、許されるものではありません。
申し訳ないと思いますが、東京23区内が停電するとインターネットも止まってしまう恐れもありましたから(大動脈はどうしても大手町付近に置きたかったようです)、ご理解いただきたいところです……
再び現状に戻りますが、東電及び原子力保安院の対応には常々、彼らは事態の収拾よりも「新たな研究材料」という視点で状況を観察しているように映り、腹立たしく感じる面があります。
今後は、放射線の健康への影響について長期間にわたり調査をするそうですが、原爆投下後に米国が行った、被爆者の健康状態モニター(いわゆる人体実験)と同様の「データ収集」に思えてなりません。
今回は、能動的に放射線をばらまいてないにしても、その対応は慎重に取り組まないと、幕末の会津藩のようなかたくなな姿勢を取られてしまうと、周囲も困るのではないでしょうか……
追記
元キャンディーズのスーちゃん(田中好子)が亡くなりました。
普段、有名人の悲報には驚かないのですが、まだ若く年代も近いこともあるせいか、声をあげてしまいました。
特にキャンディーズのファンではないにしても「やせたね」の印象や、目にする度に好感度を上げていった時期から病気と闘っていたことを知ると、言葉が出てきません。
特に印象に残るのは映画『黒い雨』(故今村昌平監督)ですが、TVドラマ『ちゅらさん』では、おばあ(平良とみさん)より先にお母さんが亡くなってしまっては、続編の芽も絶たれてしまいます。
ラジオから流れる『微笑み返し』がこんなに悲しく響くとは……
ご冥福をお祈りいたします。
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