2011/05/02

エネルギー政策転換への「気運」を活用すべき時
──小山田、鶴見川源流

2011.4.29

 これまでにない規模の「ボランティア ウィーク」がスタートしました。
 人間には到底太刀打ちできない、圧倒的な自然の脅威を見せつけられたときわたしたちは、手を携えて助け合うことで危機を何度も乗り越えてきたはずです。
 実際に被災地に足を運び「できることは何でもしてあげたい」と行動する方々には頭が下がりますが、自粛でなくてもレジャーに出かける気持ちになれない方は多いようですから、この連休を「足元を見直す」機会にしてもらえば、休み明けはスッキリできるかも知れません。
 それは案外単純なことで、これまでの生活・行動習慣を「どうすれば守れるのか」と考えるのではなく、自分から能動的に「これなら自分にもできる」と切り替えるだけで気分も明るくなりますし、個人個人の意欲の高まりが復興の原動力につながるのではないでしょうか。
 「何も手伝えない」と考えるのではなく、微力ながらも「自分にできることをやっている」との、問題の共有意識(みんなと同じである)を持つ事が、この島国で生きるためには必要ではないかと思われます(決して全面肯定の立場ではないが、この国を盛り立てる気の持ち方としてはとても重要です)。


2011.4.24
【東京都】


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小山田谷戸

 鶴見川源流域の「泉ひろば」を目指すアプローチとして、今回は小田急多摩線唐木田駅からのルートを選びました。
 多摩ニュータウン周辺には、京王・小田急線の鉄道と多摩モノレールが通っています。
 京王相模原線は、JR横浜線橋本駅まで伸びているので利用する機会がありましたが、小田急多摩線は唐木田駅で途切れているため利用機会が無く、一度降り立ちたい駅でした(構想としてはJR横浜線相模原駅〜JR相模線上溝駅への延伸提案もある)。

 新興住宅地のサービス業店舗というのは、概して若いファミリー向けを意識しているので、マクドナルドはあるが一杯飲み屋は無いような、オヤジたちは駅前で引っかからずに家と会社を行き来すればいい、という環境になりがちです(駅周辺に会社が無ければ、飲み屋もできません)。
 マンション等のコンクリートは目につくものの、駅前にコンビニは1店舗しかありませんから、まだ購買力を望めない地域のようです。


 今回の震災で「コンビニ店舗乱立の存在意義」を理解した面があります。
 ライバルチェーンとは流通経路も違い、地域の差(物流拠点の立地の違い)があるため、例えば同じ地区の「セブン系列では弁当系は強いが、飲料水系は弱い」一方で、他のチェーンでは逆の状況だったりと、入荷状況がまちまちのため、欲しいモノを手に入れるために何軒かハシゴする機会が増えました(それはスーパーでも同様です)。
 乱立する地域も、1店舗では「コンビニ=便利」の機能を果たせずともライバル店舗がそれを補完する状況に、本来とは違った存在意義を納得したので、1店舗しかないこの地域はとても不便だったことが想像されました。
 この地域では車が買い物の足のようですが、手近な買い物には苦労したことでしょう。

 多摩センターのとなり駅ですが、コンクリートを背にして歩き出した途端に「のんびりとした空気」にひたることができます。それは高い建物が目に入らないせいなのでしょう。
 車が主要な移動手段の地域なので、中央分離帯を広くするより道路拡張が必要とも感じられますが、将来の高速道路建設用地なのかも知れません(現在横浜市街から東名・中央高速への道は国道16号しかありません)。
 おそらくそんな構造物が目に入ったら、のんびりなんて感じられなくなりそうです。

 上から4枚の写真は小山田谷戸のもので、そこを取り囲む丘陵地には「東京国際ゴルフ倶楽部」が広がります。
 歴史も半世紀に及ぶためかローカル色を感じさせるアバウトな敷地管理のままで、子どもなら入り込めるようなスカスカな垣根や「立ち入り禁止」の看板だけのゲート(コース移動路は一般道と交差する)があったりします。

 その一般道と交差する場所で見かけたゴルフカートが「ここではカートから降りて歩いてください」のアナウンスをしています。
 公道を横切る際は交通法規に抵触しそうですが「降りたらカートはどうなるの?」と思っていたら別の場所で、運転席には誰もいないカートが後部座席に人を乗せて走っています。今どきゴルフ場のカートって自動運転なの?
 まあ、走る場所は決まっていますから可能と思いますが、後部座席に乗ってた人たちは歩くのイヤだったんでしょうね……

 前置きが長くなりましたが、それだけ気分がいいというか、以前からの環境を見事に保っている谷戸(丘陵地が浸食された谷地形)に感激したせいかアンテナが敏感になっていたようです。
 川の源流というのは一般的に水源は一個所ではなく、そこここからジワジワとしみ出したわき水が平地を浸して、尾瀬の湿地帯を想起させるような「ベチャベチャ」な場所になります。
 そこで稲作等を始めた人たちが、水の出し入れを管理するために田んぼの区画をあぜで仕切ったため、わき水は水路を流れるようになります。
 最上流の田んぼは健在ながらも(右写真)、その下流の耕作が放棄された場所(?)は湿地帯のような姿で残されています(私有地の看板あり)。
 想像するに、ゴルフ場が一帯を買収するつもりも、谷戸周辺の農家が虫食い状態で居残ったため開発を断念し(例えば36ホールを18に縮小等)自然公園に提供したことから、奇跡的に原風景をとどめている地域のように思われます。

 初めて訪れましたが「いい場所を見つけた!」と、季節ごとに訪れたい場所が増えたと感激しています。ここは、オススメの散策路です!
 現在まで生き延びてきたのですから、この先も保全して欲しいと切に願う環境です。


 カメラをぶら下げているのを目にしたのでしょう、犬の散歩をしていたおじさんに声を掛けられました。
 「何を撮っているの?」から話していると、娘さんがプロのカメラウーマンで自宅をギャラリースペースにしているとのこと。
 結局はその宣伝をしたかったのでしょうが、地域の魅力やシャッターポイントなど教えてもらったので、また来なきゃと思っています。
 何かの縁ですし「GalleryRoots類(Rui)」をリンクしておきます。
 

大泉寺


 時間次第で寄れればと思っていた大泉寺ですが、おじさんに強く勧められ足を運びました。
 立派なお寺でもここは旧道に面しているため、以前バス通りを歩いた際には意識すらせずに通過していました。
 曹洞宗の禅寺で三門は立派ですが、本堂はコンクリート造りになっていました。
 以前、柿生付近で立ち寄った修廣寺でも目にした「回向柱(えこうばしら:修めた功徳を自らの悟りや、他者の利益のためにめぐらすための白木の柱)」がここにもありますが、書かれた文字は味があるという代物ではなく、煩悩を振り払うだけではなく、書の修行にも励まないと求心力を失ってしまうのでは? と思うような書でした……


 バス停の待合所です。
 多い時間帯でも1時間に1本程度のローカル路線ですが、都内(町田市)にこんなバス停が残されているのは驚きますよね。
 広告・宣伝の原点のような地域情報が壁一面に貼られてありますが、もうほとんど役に立ってないと思うものの、これが皆健在だとしたらちょっとスゴイと思っちゃいます。
 保存運動があるのかとも思いますが、誰も気にせず迷惑でなければ使えるうちはそのままでいいんじゃないの等、いずれにしてもこの地区の姿勢を「主張」していることに違いありません。


鶴見川源流 泉ひろば


 ここは「鶴見川源流 泉ひろば」とされる場所ですが、厳密には源流ではありません。
 水のわき出し口にも人工的な構造物が見られますが(透明度が高い)、川をのぼってきた者にはひとつの達成感を与えてくれる施設です。

 経緯としては、1989年源流域の山中を通す川崎市の上水道トンネル工事により水が枯れてしまい、地元民の川崎市、町田市への働きかけによってこの泉ひろばが開設されます。
 水が枯れた当時は、以前から生息していたハヤを救出するためのボランティア活動が行われたそうです。
 田園風景の広がる地域ですが南大沢方面への抜け道なのでしょう、すれ違えないような道幅でも車の通行量が多い場所ですし、宅地化の波が徐々に近づいています。


 「これが鶴見川の源流!?」と思うほどの透明度ですが、川の源流はどこだってキレイなはずです。
 現在では、水源地付近の地表にはさまざまな構造物が建てられていますから、透明度だけで「キレイ」とは言えませんが(飲用に適するかは不明)、見た目の違いにはインパクトがあります。
 何でこの水が国内の「ワースト」に入るような「汚れた川」になるのかといえば、それは流域で生活・社会活動しているわたしたちが汚していることに他なりません。
 流域面積の多くを占める横浜市や東京多摩地区などは、丘陵地を削る宅地造成が極端に多い地域ですから、その流域から雨水を浄化する雑木林が失われ、コンクリートで覆われた地表にたまったゴミが流れ込む排水路にされてしまうと、川だけの力ではどうにもできない「どぶ川」となってしまいます。
 その状況を「汚い」「臭い」と一方的に、「国」「自治体」の責任に押しつけていいものか疑問に思います。
 現代に生きる者にとって主要なテーマである「暮らしやすさと環境への配慮」という課題を、自宅周辺だけでなく「誰もがどこかの川の分水域内(流域)に暮らす」という意識に広げられれば、そこには自然と海へとつながる意識が芽ばえ、環境への関心が高まっていくはずです。


追記
 これからの日本再生に向けてのビジョンとして、素晴らしい考え方と共感した意見を伝えたく……

 震災前から漠然とクリーンエネルギー技術の採算化実現が、近い将来の輸出産業の要になると考えていましたが、それと同時に国内のエネルギー政策をクリーンエネルギーに切り替えられれば、地方活性化を促進できるという提案に、原発事故がなければ考えもしなかったと、目からウロコの思いがしました。
 ノーモア原発の現状から、エネルギー政策の転換は必須の状況にあります。
 求められるのはクリーンエネルギーですが、総発電量はまだ少ないので例えば各都道府県(市町村単位でもいい)に配備し、各自治体で管轄内の電力をまかなうことを目標にすれば、小規模でいいため可能性が見いだせそうな気がします。
 自然エネルギーはどの地域でも作物を育てられるように、ある程度均等(冬の日本海側は風力に切り替える等)に「資源」として与えられています。
 それを利用できれば、地下資源のない日本全土で、新しいエネルギー資源が得られることになります。
 これが実現すれば大変なことで、各自治体が競ってクリーンエネルギーを生み出していけば、電力代が不要になり加工品のコストが抑えられ(農作業のトラクターや漁船も電気が動力になるかも知れません)、地域格差なく社会活動の底上げが実現します。
 徐々にでもUターンする人が増えていけば、地方再生の道が開けることでしょう。
 将来的には、その時流には乗れないであろう大都市圏へ電力を売れるようになれば、エネルギーが地場産業になるかも知れません。

 それはまさに「WEBのようだ」との話しでしたが、中央集権ではなく地方分権で全国が等しく分担を負い、支え合う仕組みこそがこれからのこの国にふさわしいと、共感しました。
 これは技術ではなく「かじ取り」の問題なので、震災・原発事故をきっかけに生まれた「気運」で「大きな山:国策の大転換」を動かすべきと思うところです!

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