2012/11/12

アニメキャラコスプレの聖地?──青海(あおみ)

2012.10.27【東京都】──「ベイエリアウォーク⑥」
 《ゆりかもめを歩く③ 青海》


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 「ゆりかもめを歩く」としながらも、この日はレインボーブリッジを利用する第二の公共交通「お台場レインボーバス」で向かいます。
 路線は品川と田町ルートがあり、レインボーブリッジを渡り、お台場のメインストリートを走り、二つのホテルを巡回し戻ってきます。

 都営バスはゆりかもめとの競合から橋を渡る路線を設定しないため、km自動車(タクシー会社グループ)が運行し、1時間に1本と不便でも料金の安さは魅力です。
 ゆりかもめ、りんかい線は、巨額の建設費回収のためか運賃はとても高く、距離は短くても300円以上の設定ですが、このバスは200円でたどり着けます。
 一般道の利用と、すき間サービス(品川・田町からお台場は近いのに直行のアクセス手段がない)が好評で、浜松町路線の計画もあるらしい。
 利用後の印象も良く、これまでのお台場は「お出かけ気分」でしたが、気軽に「ちょいとお台場へ」と、敷居が下がった気がします(車内アナウンスはフジテレビアナウンサーが交代で担当)。

 右はお台場の柱が斜めに立つ陸橋で、目にしながらも「テレポートブリッジ」の名は初めて知りました(その柱を垂直に撮ってみたけれど……)。
 ゆりかもめ「お台場海浜公園駅」〜首都高を渡り〜りんかい線「東京テレポート駅」〜パレットタウン手前まで、一般的な陸橋と斜張橋部分が連続して続きます。

※訂正──2012.11.19
 都営バス「虹01:浜松町〜国際展示場」路線は、レインボーブリッジを利用します。


パレットタウン(Map)


 若者向け娯楽施設・ショッピングモールとされるパレットタウンには用事がないため(一度だけトイレを借りる用事が……)、今回初めて内部まで足を踏み入れました。
 ショッピングモールを、テーマパークのように統一的なデザインで提供する先がけ的スポットで、現在も人気は高いようです(1999年オープン)。
 その影響により、各地に中世風のショッピングモールが増えたんでしょうね(大崎ゲートシティ、晴海トリトン、東京競馬場 等々)。

 ここには「ヴィーナスフォート:アウトレットモール」「Zepp Tokyo:ライブスペース」「MEGAWEB:トヨタ自動車ショールーム」「パレットタウン大観覧車(上)」などがあるも、どこもわたしには関係無いなぁ〜。
 ネーミングで驚いたのが「東京レジャーランド:ボーリング場 等」で、その字面からは「サマーランド」ではなく、昭和の雰囲気漂う大宴会場で演歌歌手の歌謡ショーが開かれるラドン温泉のような絵が思い浮かびました……(金沢の会社による運営)

 ゴンドラの中にひとつだけ(右上あたり)金属質なものがあります。足元が見えますなど、悪趣味的サービスという気がします(子どもはよろこぶにしても)。


 ハロウィン直前だったため、施設の広場で仮装した連中が踊っていたりしますが、その集団とは性格を異にする仮装をした若者たちの姿がとても目につきます。
 ヘソ出しルック=『うる星やつら』のラムちゃん、としか思い浮かばないオヤジでも、バスケットボールを抱えていれば『スラムダンク』くらい分かります(古くない?)。

 メイクもバッチリキメて、登場人物の気分に浸って写真を撮り合う連中が、そこら中からわいてきます。アニメキャラコスプレは結構「きてる」らしく、「コスプレ博」なるイベントが毎週各地で開かれるそうです。
 中でもお台場(東京レジャーランド、テレコムセンター)、有明(TFT:東京ファッションタウン、東京ビックサイト)での開催が多いらしく、聖地となりつつあるようです(スペースが広いのでさまざまな絵が撮れます)。
 多くがレフ板(光を反射させ表情を明るくするための幕)持参には驚きました……

 みんなカワイイのですが(不気味なのもいる)、逃避したくなる現実がまん延しているのではないか、と不安を感じさせる「現実の絵」に見えました(上は全員女子と思う)。

 下写真(ザ・タワーズダイバ:マンション)もデーモン小暮の仮装のようで、飾らないと(目立たないと)売れない時代のシンボルのようにも見えます。



 右は現在の江東区有明と同区青海を結ぶ「夢の大橋:歩行者・自転車専用橋で、ロケによく利用される」です。
 かなり前ですが初めて歩いた際に、両岸に「人工的すぎる無機質な親和性(?)」を感じたせいか、どちらも「お台場」のイメージを持っていました。
 自治体側の「東京臨海副都心(国際展示場のある有明を含む)」⊃(含まれる記号)「お台場」という認識を覆すほど、お台場の知名度が高まったせいかも知れません。

 現在のお台場(13号埋立地)は品川区、港区、江東区に区分されますが、その国盗り合戦の根拠は「台場」にありました。
 1854年、2度目のペリー来航前に突貫工事で作られた砲台は「品川台場」と呼ばれ、その後に作られた台場も現在の品川区、港区周辺と深いかかわりがありました。
 江東区は隣接地ゆえ、さまざまな協力の報酬として当然広大な土地を手に入れますが、そんな歴史を背景にした交渉の結果、品川区、港区は狭いながらも領地獲得に成功します。

 現在は、フジテレビ、ホテル、アクアシティなど、おいしいとこ取りした港区の勝ちに見えるも、品川区はこの地に名を刻めたこと、江東区は広大な新しい土地を手にできたという、三区の利益一致から現在のにぎわいが生まれます(本当の発展はこれから!)。
 江東区にとっては、有明と新造成地を結ぶこの橋は「夢」だったのだろうと……


 東京湾岸埋め立ての歴史についての資料を見つけました。
 現在の最前線「中央防波堤埋立処分場」がなぜ、東京都最後の埋め立て地とされるのか、羽田空港の新滑走路はなぜ多摩川河口に作られたのかが、一目で分かるマップがあります(PDFで重いけれど1ページ目なので是非見て!)。
 その資料では、どの構造物もその沖の海底は急深の地形になっています。
 利用しやすい浅瀬をここまで使い果たした東京都はすごいと思うも、これからどうすのだろうか?(頑張って深い海底を埋め立て地にすれば、まだまだいけるって?)

 上写真はテレコムセンター展望台(有料の割には…の施設)から、手前の東京港フェリーターミナル(有明)越しにゲートブリッジを望む。
 東京港の定義はさまざまあれど、これで半分歩いた印象の絵になります。

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