2013/07/08

B級の玉手箱──新御徒町〜上野御徒町

2013.6.29【東京都】──大江戸線を歩く_7


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新御徒町〜上野御徒町(Map)

 御徒町の紫は高貴な色ではなく、安さの象徴「多慶屋:たけや」カラーとして認知されます。
 質屋に始まり、現在は総合ディスカウント・デパートとされ平日からにぎわうも、アメ横や御徒町らしい(?)「うさんくささ」が漂います。
 以前手前のA棟は、金ピカ外装のライバル社でしたが、買い取り後に紫のパネルを貼ったらしく、はがれた部分から金ピカが見えたりします(撮ればよかった)。
 それが「装飾に金はかけずサービスに」と受け止められれば、「安い方がイイ」の集客力となります。


 御徒町駅前に宝石・貴金属店が多いことは知られますが、元は時計バンド卸しや修理店で、宝石の扱いを始めたのは古くないそうです(戦後の焼け跡で宝石は売れません)。
 宝飾問屋の店員は完全に「相場」相手に仕事しているようで、石・鉱物や客への関心もないように見えます。上は小遣い稼ぎに並べたようなネックレス(小売店もある)。
 大学での専攻は地学でも「光りモノ」と呼ぶ宝石類に関心は無かったのですが、「ほれぼれしちゃう!」と、目をキラキラさせて鉱物を眺める連中がいました。
 おそらく「石好き」の心には、ダイヤモンドより美しい「宝石」があることでしょう。

 現在アメ横は、NHK朝ドラ「あまちゃん」ロケ地にあやかろうと、ポスターや横断幕で盛り上げに躍起です。
 右の建物はアイドル劇場の設定で登場し、写真を撮る姿があるかと思うも、わたしだけでした……

 アメ横センタービル建設当時(1983年)は「アメ横がビルになる?」と騒がれましたが、ビル内の店舗がいくら頑張っても路面店に対抗できるわけもなく、空きスペースも見られます。
 開業から30年で失敗の結果は出ていますから、全館若者向けにした「流行発信地」にするなどの転換を図らないと、「じぇじぇじぇ!」の集客は難しいのでは?


 以前「赤いひさしの松坂屋♪」というCMありませんでした? 元は夏目漱石が詠んだ「乙鳥(つばくろ:ツバメ)や赤い暖簾(のれん)の松坂屋」が原典かも知れません。
 この店舗は現在も元気です。と撮ったものの、銀座店閉鎖をニュースで知りました。
 系列店でもノルマが違い、売り上げを課せられるトップクラスの銀座店と、老舗(1768年旧松坂屋を買収)の暖簾存続を課せられる上野店では、戦略が違いそうです。
 銀座はNGでも「上野店なら気軽に行ける:ここはB級ではない」客層をつかんでいるようで、親の年代は高齢化しても、次世代のおばちゃんたちがカフェに群がります。
 「気軽なデパート」を売りにできれば、この地ではまだいけそうに見えます。

 御徒町もう一つのシンボルである「吉池:駅前のスーパーマーケット」は現在建て替え中。
 箱根湯本にあるロゴを配する旅館は系列で、広い庭園は旧岩崎家別邸跡地とのこと(旧岩崎邸は池之端で近所)。

 右は上野に近い「キムチ横丁」で、新大久保と比べると歴史を背負っているため存在感に重さがあります。
 新大久保 コリアンタウンは、1983年外国人労働者にパートタイム労働が認められ、それ以降に訪れた「ニューカマー」とされる人々が発展させました。
 ですがこの付近の在留韓国人には、第二次世界大戦での強制連行・移住、朝鮮戦争時に移り住んだ方が多く、境遇の違いから「ニューカマー」とは交流も無いとのこと。
 その責任はもちろん日本にもあります……


 歩く場所は上野周辺でも不忍池(しのばずのいけ)は寄らないつもりでしたが、人込みを歩き「深呼吸したい!」の酸欠状態に陥り、緊急避難所へと足が勝手に向かいます。
 早速、上野恩賜公園野外ステージの「4大学合同ストリートライブ:東京経済大、東京理科大、横浜国立大、早稲田大のアカペラサークル」(入場無料)に誘われますが、サビ(聞かせどころ)は練習しました程度でしょうか。
 ステージ以上に、出番前の練習で緊張する「若く、青く、怖いもの知らず」の姿が、まぶしくて見てられません。
 現在活躍する歌い手の多くも、若い時分は同じ道を通ったでしょうから、将来のスタア登場を期待しましょう。


 何度も撮った気がするもまた撮りたくなるのは、人込みから逃れて「ホッ」とさせてくれる「オアシス:不忍池が?」と感じたからのようです。
 わたしはこの絵から映画『男はつらいよ』の導入部を想起し、年齢・経験的にこれからは「寅さんの精神」を伝えていく立場なのかも知れない、と思いながら……

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