2013/12/16

若く見えるのはなぜ?──練馬〜豊島園

2013.12.7【東京都】──大江戸線を歩く_26


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練馬大鳥神社(Map)

 練馬=郊外のイメージでは失礼と思うも、練馬駅北口側の第一印象「高い建物が見当たらない」は、正直なところです(空が広い、くらい言わなきゃ…)。

 右は駅南口側にある練馬大鳥神社で、三の酉まであった祭事も終わり閑散とした境内で目に留まったのが、ちょうちん文字の周囲に描かれたヒゲ(?)です。
 仕事柄思ったのは、文字にシャドウをつけて、立体的に見せるための工夫ではないか? というもので、墨一色ででグラデーションを表現する技法とも。
 その意図はしっかり伝わってくる気がします。


信行寺周辺(Map)

 右写真は美術館かと思うような建造物ですが、お寺の入口です(右に信行寺とある)。
 今風のデザイナーに依頼したかの斬新さは、カッコイイとすら感じますが、それよりも檀家さんは納得したのか? 意見を聞いてみたいところです。
 いやだからと先祖の墓は移転できないにしても、設備のバリアフリー化は大切な要件なので、その辺が落としどころかも知れません。
 以前は、苦労しながら足を運ぶことも供養でしたが、段差の有・無には天と地の開きがあります……



練馬総合運動場(Map)


 石神井川に面した練馬総合運動場の周囲はイチョウの大木に囲まれており、光りの加減ではまぶしいほどなので、ボールの遠近感判断が難しそうな気がします。
 以前は中央大学のグラウンドで、競技記録会において、日本で初めてスターティングブロックを使用したとされます。
 川のはんらん原のような広場でも、野球やサッカーが同時に何面も取れるグラウンドを使える現代のガキどもをうらやましく感じますが、みんな将来のスター選手候補ですから(?)楽しみに!

 考えてみるとガキ時分の少年野球グラウンドは、学校の校庭くらいしかなかった気がします(事故防止のため、自転車でなく歩いた記憶がある)……


 子どもを見守る今どきのお母さんの姿はカッコよく、自分の小学生時代と比べると、初産高齢化とされ年齢は高いはずなのに、若く見える気がします。
 ナチュラルな化粧やカジュアルな格好は、活動的と感じるさせる力がありそうです。
 昭和期の母親には、外出時の身だしなみに「赤い口紅」をつける習慣があり、それが子どもを委縮させたようにも思ったりします……

 あおりを受けるオヤジたちはイッパイな上に、パートで働く奥さんからグチの先制攻撃を受けると、グチも封じられ言葉数も少なくなります。
 ガキの頃と現在の視線は違うにしても、「お母さんは若く見える」に対し「オヤジは変わらない」ですから、「オヤジ頑張ってるか〜⁉」のエールを送りたくなります……


西武池袋・有楽町線 練馬駅(Map)


 2013年3月相互直通運転を開始した地下鉄副都心線〜東急東横線を初めて利用し、グレーゾーンだった池袋から先の東武・西武・地下鉄有楽町線との関係を理解しました。
 副都心線は東武東上線と乗り入れる和光市駅を起点とし、小竹向原駅までは線路・駅等の施設を有楽町線と共用しますが、そこから池袋間は独自の施設を有する複々線となります(以前新線とされた部分)。
 池袋〜渋谷間では埼京線と競うため、副都心線には急行が運行されます。
 メインの東上線から乗り入れる急行列車は東横線で特急になるため、とても便利な印象がありますが、渋谷から東横線に乗る人はほとんど座れなくなりました。
 一方、西武有楽町線(練馬〜小竹向原間)から乗り入れるサブ的な西武池袋線は、東横線で急行となります。

 都内最後の地下鉄とされる副都心線建設には、これまでのノウハウと最新技術が注がれており、1927年開業の銀座線と比べると「隔世の進歩」を実感できます。
 都内では、1951年丸ノ内線〜2004年副都心線開業まで、穴を掘り続けてきました。
 もう作る場所も無いので「もう十分」と思う反面、ずっと建設中の時代を生きてきた者は「東京の伸び代も頭打ち?」と、さみしさを覚えたりします……


追記──「カー娘」が「カーママ」として復活!

 カーリング女子がソチ冬季五輪出場権を獲得しました。
 その戦いでは、トリノ冬季五輪(7位)で「カー娘」と呼ばれた「チーム青森」の小笠原歩(旧姓 小野寺)と、船山弓枝(旧姓:林)のリーダーシップが発揮されます。
 追い詰められた場面での勝負強さに感心させられる小笠原選手には、女性版「星 飛雄馬」のような闘志が感じられ(魅力的!)、引き込まれてしまいます。
 五輪では、結婚〜出産からの復帰に「お母さんガンバッテ!」と応援しましょう!


追記2──大河ドラマ「八重の桜」が終了しました。

 当初は、綾瀬はるかで大丈夫か? でも、頑張っていたと思います(彼女色を出すにはまだ10年かかりそうですが)。

 明治維新において、新政府からいわれなき追討令を受けた会津の人々は、新政府の中枢を担う長州藩を現在まで恨み続け、震災支援を受け入れるまで拒絶し続けたとのこと。
 そんな会津人の腫れ物にさわるような題材なだけに、きちんと描くことに気を使うばかりで、主人公の「ハンサムウーマン 八重」の輝きに物足りなさを覚えます。
 本作のおかげで、会津人気質と当時味わった遺恨の深さを理解できたと思うので、困難でも「やるべき題材」に挑んだことを評価すべきなのでしょう……

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