2015/02/02

欲が消えていく……──烏山寺町

2015.1.17【東京都】──「神田川を歩く_4」



烏山寺町

 前回、國學院久我山付近の看板地図で「烏山寺町」が近いことに気付き、以前久我山在住の方に薦められたことを思い出し、ちょっと寄り道です。
 何で久我山の人が烏山を知っているの? と思ったが、住所は北烏山でも久我山駅の方が近い隣町だからのようです(この日は千歳烏山→久我山へ)。
 千歳烏山は学生時代以来と思いますが、わたしが幼少時分の家族は駅前の借家で暮らしたと聞いており、記憶はなくても親近感を覚える土地だったりします。


 寺町の誕生は関東大震災で被災後の移転とされますが、すでに東京市内の都市整備計画で墓地の郊外移転が決まっていたそうで、現在も26の仏教寺院が立ち並びます。
 上は多聞院の釈迦の足跡で、これで両足分らしい。

 右の玄照寺は絵として京都に負けてないと思いますが、勝てるとすれば「人の少ない静寂さ」になりそうです。
 それゆえ落ち着く枯れたたたずまいでは、時の流れがまどろむため「欲が消えていく」(この瞬間だけで十分)心境を経験することができます。
 魂を持っていかれそう……


 上は、200体あるとされる常福寺のタヌキ。その説明はありませんが、ゴルフクラブやサッカーボールを持つなど、分かりやすい願いだったりします。
 そんな姿から、京都の愛宕(おたぎ)念仏寺(こちらは石仏)を想起したように、思いを込めやすい造形物が作られたのではないか?
 願いを込めるのはタヌキでもかまわないはずです。


 寺町の寺院は、石神井川沿いに点在する真言宗寺院(空海の教え)のように地域に根付いたものでなく、移転希望寺の集まりなので宗派は様々ながらも、伝えんとする世界観に接していると、こころ穏やかになる変化を自覚できるようになります。
 そのこころは?「共鳴」であると感じました。
 善し悪しではなく、響き合えるか? ではないかと。

 歩を進めるごとに、上空の風音(北風が強く寒い日だった)と、カラスの鳴き声しか聞こえない「彼岸のふち?」に近づけるような印象も……(上は宗福寺)

 烏山の由来は、烏が群生する森、烏色(養分の乏しい黒土)の山があった、などとされる。(右は妙寿寺)




 広大な敷地を持つ妙寿寺の客殿(上)は、蓮池藩鍋島家(佐賀藩)屋敷(飯倉狸穴(まみあな)町所在)を移設したもので、敷地内で存在感を示します。
 この日のように参拝者もおらずひっそりとした中で、静かに内部を見せてもらえるとうれしいのですが……(世田谷区指定有形文化財)
 

 上は高源院の弁天池で、マガモが飛来することから「鴨池」とされ寺町のシンボル的な存在でしたが、いまではその姿は見られません。
 この池は目黒川支流(烏山川)源泉のひとつとされ、井の頭(いのかしら)池の水位と同様の変化をすることから、地下水脈が同じ面ではないかとされました。
 分水嶺付近を通る玉川上水に近い尾根筋にあたるので、可能性はあったかも知れません。


 久我山に住んでいた方とは、一昨年秋に亡くなった元同僚(同い年)で、わたしの趣味に合いそうと紹介してくれた心情をようやく理解できました。
 遅くなりましたが、彼に導かれたことに感謝し、こころ穏やかになる烏山寺町の記憶を、故 田波健一氏に捧ぐ。


追記──「ポール、“リベンジ”来日公演決定!」

 そんなメールが届きましたが、どうも熱くなるものがありません。
 わたしの中では、昨年の全公演中止で燃え尽きてしまったようです……


追記──祝 伊良部大橋開通!

 沖縄 宮古島〜伊良部島を結ぶ、全長3540mの橋が完成しました(通行無料)。
 池間大橋、来間大橋に続く架橋プロジェクトで、これで宮古島周辺の主な島々は橋で結ばれました。
 本島(屋我地島:やがじしま)と橋で結ばれ、人の出入りが盛んになった古宇利島のように活気づきますよう。
 沖縄から届いた久しぶりのラブレターを目にし、是非行かねば! と……

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