今回は神田川とかぐや姫『神田川』の歌碑付近で合流する、桃園川の水源付近(荻窪〜阿佐ヶ谷)を歩きます。
川の名称は、以前高円寺境内にあった桃園に由来するらしいも、現在は暗きょ化され、桃園川幹線という下水道として管理されます。
川の名称は、以前高円寺境内にあった桃園に由来するらしいも、現在は暗きょ化され、桃園川幹線という下水道として管理されます。
荻窪白山神社
上は、歯の神様ともされる荻窪白山神社の「ねむり猫」。由来は不明ですが、なごめる姿です。
ここは荻窪地域の鎮守で、大祭の神輿渡御(とぎょ:みこしが練り歩く事)の範囲は広いらしく、中でも「女みこし」が盛り上がるとのこと。
「荻窪の女」は演歌にはならず、迫力で勝負! らしい……
ここは荻窪地域の鎮守で、大祭の神輿渡御(とぎょ:みこしが練り歩く事)の範囲は広いらしく、中でも「女みこし」が盛り上がるとのこと。
「荻窪の女」は演歌にはならず、迫力で勝負! らしい……
光明院
荻窪の地名は、修行僧がオギ(イネ科のススキに似た植物)の群生地に、荻堂を作り観音像を祭ったことに由来し、現在の光明院付近とされます。
明治時代、甲武鉄道(現在JR中央線)建設の際に本堂を移動し、右写真奥の本堂と手前右にある墓地の間を通る線路を、地下道でくぐります。
この光景から、平地の狭い地に鉄道誘致を最優先した尾道を想起しますが、「真っすぐな線路」へのこだわりに寺側が折れたのは、時代の要請だったんでしょうね。
明治時代、甲武鉄道(現在JR中央線)建設の際に本堂を移動し、右写真奥の本堂と手前右にある墓地の間を通る線路を、地下道でくぐります。
この光景から、平地の狭い地に鉄道誘致を最優先した尾道を想起しますが、「真っすぐな線路」へのこだわりに寺側が折れたのは、時代の要請だったんでしょうね。
上は光明院の門で、手前は環八、左は線路に接し、右には寺の壁が続く、歩行者には難所となる場所柄です。
そこで寺は、門の右端の通用門を一般通路として解放し、上の線路をくぐる通路や境内の通り抜けを可能としてくれます。
そんな「地域密着感」こそ、荻窪の地域遺産と言えそうです。
そこで寺は、門の右端の通用門を一般通路として解放し、上の線路をくぐる通路や境内の通り抜けを可能としてくれます。
そんな「地域密着感」こそ、荻窪の地域遺産と言えそうです。
四面道交差点
四面道交差点は、環状八号線(下)と青梅街道(上)が交差する地点で、由来を調べたくて撮りました。
警察署の説明には、以前交差点付近にあった神社の灯籠(四面灯籠)から「四面塔の辻」とありますが、以前この地は、上荻窪村・下荻窪村・下井草村・天沼村の四村の境界だったため、という説も目にします。
いずれの説もこの地の特徴をアピールするもので、その名称にも興味を引くためのアピールが込められている(由来を知りたくなる)と感じました。
警察署の説明には、以前交差点付近にあった神社の灯籠(四面灯籠)から「四面塔の辻」とありますが、以前この地は、上荻窪村・下荻窪村・下井草村・天沼村の四村の境界だったため、という説も目にします。
いずれの説もこの地の特徴をアピールするもので、その名称にも興味を引くためのアピールが込められている(由来を知りたくなる)と感じました。
天沼弁天池
以前は桃園川水源でしたが湧水量は少ないため、千川上水の六ケ村分水(善福寺川と妙正寺川の分水嶺を通る)から通水を受けるようになります。
弁財天を天沼八幡神社の敷地に移した後、1975年一帯は西武鉄道に売却され、西武ゴルフ研修所の名目で、当時の会長 堤義明の愛人邸とされます。
西武王国崩壊後、2007年杉並区に売却され天沼弁天池公園として整備されます(郷土博物館分館を含む)。
近隣住民には迷惑な話しでも、税金を払ってくれたなら、というところか?
西武ライオンズ黄金期に優勝を逃した1989年、当時の森祇晶監督への「来年以後も監督がやりたいならどうぞ」の言葉は、いまでも許せない!
弁財天を天沼八幡神社の敷地に移した後、1975年一帯は西武鉄道に売却され、西武ゴルフ研修所の名目で、当時の会長 堤義明の愛人邸とされます。
西武王国崩壊後、2007年杉並区に売却され天沼弁天池公園として整備されます(郷土博物館分館を含む)。
近隣住民には迷惑な話しでも、税金を払ってくれたなら、というところか?
西武ライオンズ黄金期に優勝を逃した1989年、当時の森祇晶監督への「来年以後も監督がやりたいならどうぞ」の言葉は、いまでも許せない!
阿佐ヶ谷神明宮
境内にある能楽殿は、夕日が当たるせいか輝いて見えます(2009年改修)。
ここは伝統芸能だけでなく、阿佐ヶ谷バリ舞踊祭や、阿佐ヶ谷ジャズストリートの会場にもなるそうで、ぜひ町の一体感を体感してみたいとも……
ここは伝統芸能だけでなく、阿佐ヶ谷バリ舞踊祭や、阿佐ヶ谷ジャズストリートの会場にもなるそうで、ぜひ町の一体感を体感してみたいとも……
右は、能楽殿をバックに写真を撮るコスプレ集団。
これは阿佐ヶ谷アニメストリート(アニメ制作会社が多い地でファンとの交流を目指す施設)のイベントのようで、外国人も虜にする魅力があるらしい。
神社側が参道での催しを認める様子からは、町(商店街等)の若返りを模索する危機意識が伝わるようです。
神社の「みすず絵馬:モチーフは巫女さん」には驚きます。でもいまどきは、これくらいでようやく「イベント感」と認知されるのかも知れません……
これは阿佐ヶ谷アニメストリート(アニメ制作会社が多い地でファンとの交流を目指す施設)のイベントのようで、外国人も虜にする魅力があるらしい。
神社側が参道での催しを認める様子からは、町(商店街等)の若返りを模索する危機意識が伝わるようです。
神社の「みすず絵馬:モチーフは巫女さん」には驚きます。でもいまどきは、これくらいでようやく「イベント感」と認知されるのかも知れません……
大地主屋敷
上は、駅前商店街に隣接する大地主屋敷で(地元では「けやき屋敷」とされるそう)、阿佐ヶ谷駅周辺の繁栄はこの地主のおかげである様子が見て取れます。
この日、大地主屋敷を4邸見かけますが、ある程度整然とした住宅街として現在の姿があるのは、耕作地→まとまった分譲地とした大地主のおかげかも知れません(でも、あぜ道のように曲がった道はそのまま)。
付近の桃園川沿いにはいく筋もの水路跡が見られ、豊かな土地柄だったようです。
この日、大地主屋敷を4邸見かけますが、ある程度整然とした住宅街として現在の姿があるのは、耕作地→まとまった分譲地とした大地主のおかげかも知れません(でも、あぜ道のように曲がった道はそのまま)。
付近の桃園川沿いにはいく筋もの水路跡が見られ、豊かな土地柄だったようです。
現在の東京では、大木群の下にあるのは寺社や公園ですが、付近には敷地内に大木を有し、門前に未舗装の私道を持つ大地主の屋敷がいくつもあるとは、たまげました。
「左うちわ」の想像通り、地域貢献(寄付)に感謝される名士のようで、周囲から敬われる様子に「昔ばなし」の世界が思い浮かびます。
ですが「このままの姿で保全して欲しい」文化遺産ですから、家主は代々の生活を強いられることになりそうです。
現在の自分なら受け入れられる気がするも、「歴史を守る覚悟」を決めた心境を聞いてみたい気がします……
「左うちわ」の想像通り、地域貢献(寄付)に感謝される名士のようで、周囲から敬われる様子に「昔ばなし」の世界が思い浮かびます。
ですが「このままの姿で保全して欲しい」文化遺産ですから、家主は代々の生活を強いられることになりそうです。
現在の自分なら受け入れられる気がするも、「歴史を守る覚悟」を決めた心境を聞いてみたい気がします……
追記──レベルの低い「美人コンテスト?」(港区議会議員選挙 2015.04.26)