2015/04/27

大地主屋敷も文化遺産──桃園川

2015.4.12【東京都】──「神田川を歩く_16」

 今回は神田川とかぐや姫『神田川』の歌碑付近で合流する、桃園川の水源付近(荻窪〜阿佐ヶ谷)を歩きます。
 川の名称は、以前高円寺境内にあった桃園に由来するらしいも、現在は暗きょ化され、桃園川幹線という下水道として管理されます。




荻窪白山神社


 上は、歯の神様ともされる荻窪白山神社の「ねむり猫」。由来は不明ですが、なごめる姿です。
 ここは荻窪地域の鎮守で、大祭の神輿渡御(とぎょ:みこしが練り歩く事)の範囲は広いらしく、中でも「女みこし」が盛り上がるとのこと。
 「荻窪の女」は演歌にはならず、迫力で勝負! らしい……


光明院

 荻窪の地名は、修行僧がオギ(イネ科のススキに似た植物)の群生地に、荻堂を作り観音像を祭ったことに由来し、現在の光明院付近とされます。
 明治時代、甲武鉄道(現在JR中央線)建設の際に本堂を移動し、右写真奥の本堂と手前右にある墓地の間を通る線路を、地下道でくぐります。
 この光景から、平地の狭い地に鉄道誘致を最優先した尾道を想起しますが、「真っすぐな線路」へのこだわりに寺側が折れたのは、時代の要請だったんでしょうね。


 上は光明院の門で、手前は環八、左は線路に接し、右には寺の壁が続く、歩行者には難所となる場所柄です。
 そこで寺は、門の右端の通用門を一般通路として解放し、上の線路をくぐる通路や境内の通り抜けを可能としてくれます。
 そんな「地域密着感」こそ、荻窪の地域遺産と言えそうです。


四面道交差点

 四面道交差点は、環状八号線(下)と青梅街道(上)が交差する地点で、由来を調べたくて撮りました。
 警察署の説明には、以前交差点付近にあった神社の灯籠(四面灯籠)から「四面塔の辻」とありますが、以前この地は、上荻窪村・下荻窪村・下井草村・天沼村の四村の境界だったため、という説も目にします。
 いずれの説もこの地の特徴をアピールするもので、その名称にも興味を引くためのアピールが込められている(由来を知りたくなる)と感じました。


天沼弁天池

 以前は桃園川水源でしたが湧水量は少ないため、千川上水の六ケ村分水(善福寺川と妙正寺川の分水嶺を通る)から通水を受けるようになります。
 弁財天を天沼八幡神社の敷地に移した後、1975年一帯は西武鉄道に売却され、西武ゴルフ研修所の名目で、当時の会長 堤義明の愛人邸とされます。
 西武王国崩壊後、2007年杉並区に売却され天沼弁天池公園として整備されます(郷土博物館分館を含む)。
 近隣住民には迷惑な話しでも、税金を払ってくれたなら、というところか?

 西武ライオンズ黄金期に優勝を逃した1989年、当時の森祇晶監督への「来年以後も監督がやりたいならどうぞ」の言葉は、いまでも許せない!


阿佐ヶ谷神明宮


 境内にある能楽殿は、夕日が当たるせいか輝いて見えます(2009年改修)。
 ここは伝統芸能だけでなく、阿佐ヶ谷バリ舞踊祭や、阿佐ヶ谷ジャズストリートの会場にもなるそうで、ぜひ町の一体感を体感してみたいとも……

 右は、能楽殿をバックに写真を撮るコスプレ集団。
 これは阿佐ヶ谷アニメストリート(アニメ制作会社が多い地でファンとの交流を目指す施設)のイベントのようで、外国人も虜にする魅力があるらしい。
 神社側が参道での催しを認める様子からは、町(商店街等)の若返りを模索する危機意識が伝わるようです。

 神社の「みすず絵馬:モチーフは巫女さん」には驚きます。でもいまどきは、これくらいでようやく「イベント感」と認知されるのかも知れません……


大地主屋敷


 上は、駅前商店街に隣接する大地主屋敷で(地元では「けやき屋敷」とされるそう)、阿佐ヶ谷駅周辺の繁栄はこの地主のおかげである様子が見て取れます。
 この日、大地主屋敷を4邸見かけますが、ある程度整然とした住宅街として現在の姿があるのは、耕作地→まとまった分譲地とした大地主のおかげかも知れません(でも、あぜ道のように曲がった道はそのまま)。
 付近の桃園川沿いにはいく筋もの水路跡が見られ、豊かな土地柄だったようです。


 現在の東京では、大木群の下にあるのは寺社や公園ですが、付近には敷地内に大木を有し、門前に未舗装の私道を持つ大地主の屋敷がいくつもあるとは、たまげました。
 「左うちわ」の想像通り、地域貢献(寄付)に感謝される名士のようで、周囲から敬われる様子に「昔ばなし」の世界が思い浮かびます。
 ですが「このままの姿で保全して欲しい」文化遺産ですから、家主は代々の生活を強いられることになりそうです。
 現在の自分なら受け入れられる気がするも、「歴史を守る覚悟」を決めた心境を聞いてみたい気がします……


追記──レベルの低い「美人コンテスト?」(港区議会議員選挙 2015.04.26)

 投票日も近い金曜日、田町駅前には4人の候補が並んで主張(?)を叫んでいます。
 その中で「港区議会議員選挙はミスコン」の報道(東スポ)に憤慨する声を耳にしますが、それがあなたの主張?(そこで教えてもらいました)。
 結果はもちろん? 美人とされる候補の勝利(ゲンダイ)。
 誰が当選しても期待できないレベルの低さは、有権者の無関心が生み出したものです。

2015/04/20

銭湯という庶民文化──北新宿 vs 下落合

2015.4.4【東京都】──「神田川を歩く_15」



北新宿

 支流の桃園川との合流地に、かぐや姫『神田川』(作詞:喜多條忠)の歌碑が立ちます。
 川の対岸には、当時のアパート群が並ぶ昭和遺産が現存し、「迷宮」のような町並みを歩くと「タイムスリップ?」かと方向感覚を失う瞬間があります。
 現在では右下のように玄関先を飾る新築の家が増えるも、コア地域の古い建物(右)は健在です。
 推測ですが、川沿いのバラックをアパートに集約した経緯から、愛着を持つ人が多いのでは? とも……

 後述の下落合の高台と対比すると、川沿いは吹きだまり的な地域で「窓の下には 神田川〜♪(YouTube)」には、そんな情景も込められていたようです。
 「青かった時代」を振り返る歌に、一緒に入れる風呂付きの部屋がとりあえずの夢だった時代を想起します。
 改めて考えると銭湯というのは見事な文化で、内風呂では周囲に迷惑をかけないためだらしなくなる部分も、きっちりと裸付き合いできていた気がします……

 善福寺川の合流地からこの付近は、1993年の台風豪雨で大きな浸水被害(PDF)を受けました(知人が、避難の呼びかけに気付かず玄関に降りたら、靴がプカプカ浮いていたのはこの辺りか?)。


佐伯祐三アトリエ記念館

 高校時代、美術の課題でブリヂストン美術館を訪れた際、課題ではないが印象に残ったのが、パリの街角を描いた佐伯祐三の力強い絵でした。
 いまどきでは「壁の落書き?」に見えそうなポスターの文字にも意思が宿るようで、美術館初体験の高校生にも彼の絵はきっちりと刻まれました。
 作品群を改めて観ると「西洋の神の祝福:描く瞬間は救われる」を求めていたようで、命を賭して「パリに挑む」気概が伝わる気がします。

 6年間の画家活動の中で2度パリに渡り、彼の地で亡くなります(1898〜1928年)。
 東京美術学校(現 東京藝術大学)に学ぶも、大阪出身のため作品は関西に残され、東京での鑑賞機会は限られる。

 右2枚は下落合の高台にある、2010年開館の佐伯祐三アトリエ記念館で、画家である奥さんと過ごした、アトリエ付住宅を改築・整備したもの(彼に安住の地は無さそう……)。
 彼に関する遺産に初めて接し、トリップできたような気がします(右は「こう撮って」と置かれた花)。


聖母病院

 カトリック教会系「マリア奉仕会」が1931(昭和6)年に開設した、カトリック教会東京教区の医療施設(一般診療可)で、看護学部がある「聖母大学」は上智大学と合併。
 教会系の医療施設を(不正が明らかになった病院を含め)よく目にするのは、戦後のアメリカからの支援としても、仏教系の医療施設は少ない気がします。
 キリスト教の「神に召される」と、仏教の「成仏」とは印象が違いますし、寺の病院に入ったら、次の日には墓地案内が届くようなイメージが……(失礼!)
 右は病院外壁を飾るレリーフ


薬王院

 奈良 長谷寺の末寺で「東の長谷寺」とされるのは、長谷寺から移植された牡丹の花だけでなく、庭作りのセンスの良さからも感じられます。
 本家と比べれば箱庭ほどの広さでも、谷地形の高低差を利用した境内の設計は計算したものらしく、石段を上るごとに変化する光景に飽きることはありません。
 本家を模した舞台が、コンクリート製で立ち入り禁止とされるのは、いたずら防止、安全確保のためなど、都心では仕方ないのか?


おとめ山公園

 江戸時代この一帯は徳川家の狩猟地で、一般人の立ち入りが禁じられたため「御留山」とされます(×乙女)。
 本公園の前身は明治時代の相馬家「林泉園」で、池などは当時の姿を継承するとの説明があります。
 現在、湧水を利用してホタルが育てられ、毎年7月に「ホタル鑑賞会」が開かれるそうで、是非!

 付近に、さほど広くない野鳥公園がありますが、なるほど、その一画だけ「鳥のさえずり密度」が違います。
 生き物たちの生息場には、広さではなく環境保全が大切であることを、住宅街の一画で実感します。

 この先、都電荒川線が直角に曲がる高田橋・高戸橋付近で、支流の妙正寺川と合流します。
 次回から、支流の桃園川、妙正寺川を歩く予定です。


2015/04/13

山と川の記憶をたどる──中野

2015.3.28【東京都】──「神田川を歩く_14」

 川から離れた場所が中心となりましたが、今回より神田川本流沿いを歩きます。




中野駅前住宅

 中野の訪問は「中野サンプラザ」「中野武蔵野館(閉館)」方面の北口だけで、南口は初めて歩きました。
 以前サンプラザでは、海外ミュージシャンのフィルムコンサートが開かれ、高校時代に何度も足を運びました。
 プロモーションビデオやライブ映像をホールで観るもので、客寄せの目玉だったベイ・シティ・ローラーズ等が映ると、スクリーンに向かい黄色い歓声がとびました。
 中野駅周辺再開発により、サンプラザは2018年以降に再開発? の報道もあるが、右は同年着工に動き始めた南口「中野駅前住宅(昭和26年:当初は風呂なし)」の非常用通路。


紅葉山公園

 北口には平坦な印象があるも、南口には紅葉山公園の名を持つ施設があります(右)。
 それは、南側を流れる桃園川が武蔵野台地を浸食したためで、川から見上げると確かに山のように見えます。
 ですが現在、公園に紅葉する植物は少ないらしく、桃園川は暗きょとされ、名残りは地形だけとなりました。
 公園に隣接する「なかのZERO:もみじ山文化センター」(ホール、プラネタリウム、中央図書館等が入る)が旧中野公会堂跡と知り、これまでの「サンプラザ=中野公会堂」という思い込みの間違いに気付きました。


山政醤油醸造所のレンガ塀


 明治・大正期の中野周辺では、味噌・醤油・そば粉等の産業が盛んだったと伝えるため、モニュメントとしてレンガ塀が1辺だけ残されています(上)。
 当時の武蔵野には耕地が広がっていたので、消費地に近いこの付近に食品産業が求められたようです。

 付近にある堀越高等学校といえば松木安太郎! ではなく、芸能コース(現TRAITコース)が有名ですが、現在立て替え工事で敷地全面を掘り返していました。
 厳しい校則←は必見で、校外活動での礼儀指導かと思ったら、芸能コースには例外が認められる「それじゃ、仕事できない」という規則です。


宝仙寺


 この寺は、大宮八幡宮を建立した源頼義の子、義家(八幡太郎:頼朝のひいじいさん)が奥州平定後に、八幡社があった地に不動明王を祭ったことを起源とします。
 上の「臼塚」は、昭和初期の住職が出身地の長野県から、製粉機の普及により捨てられていた石臼を運び供養したもので、造形としても見事で伝わるものがあります。


鍋屋横町

 この響きには上野アメヤ横丁にも似た愛着を覚えますが、由来は江戸時代に青梅街道経由で妙法寺に向かう際の目印とされた、現在の鍋屋横丁交差点付近にあった「鍋屋」という茶屋。
 地下鉄丸ノ内線新中野駅は、浅田次郎の小説『地下鉄に乗って』の舞台とされたように、付近には「人なつっこい」印象があります。

 右は、真言宗の慈眼寺(じげんじ)がタイ寺院との親交により上座部仏教(戒律遵守の教え)を取り入れた鐘楼。


中野新橋

 付近の「貴乃花部屋」には、ワイドショー連中も寄り付かなくなり現在はひっそりとしていますが、近所迷惑を考えろという住宅街です。

 中野新橋駅から15分程度の地に母方の実家があり、大学の同級生の家が近所の酒屋だったことを思い出しました。
 彼は当時から「店を継ぐ」と言っており、未訪問ですが頑張っていることを……

 右は本郷氷川神社のカラフルと感じた鈴緒ですが、しきたりなのか種類は限られているようです。


中野坂上


 以前に訪問した成願寺(じょうがんじ)の、山手通り沿いに続く竹の柵が新調され、とても鮮やかな色合いとなりました。
 町の雰囲気も明るくなりましたが、付け替えは費用・作業ともにかなり大変そう……


追記──トップライダーの美しい騎乗姿 2015.04.09

 昨年、携わる乗馬雑誌は休刊となりましたが、ネットでのサービス展開を模索するためのビデオ撮影に初めて立ち会いました(右はJRA馬事公苑北原広之さん:2004〜06年 全日本馬場馬術選手権大会優勝)。
 遊びで乗るだけの素人に専門的なことは分かりませんが、トップライダーの「美しい騎乗姿」を生で堪能でき、とても楽しい時間でした(いいものは素人にも伝わる)。
 体をグッと締める姿から、体幹・下半身を鍛えるには最適とされる理由が伝わるのではないか。
 東京オリンピックに向け、馬術競技への関心UPに貢献したいと思うも、軌道に乗せられればいいのですが……

2015/04/06

社にふさわしい土地柄──西永福〜方南町

2015.3.14【東京都】──「神田川を歩く_13」



大宮八幡宮


 最寄りの西永福駅で、唯一の有名どころとして大きく案内される大宮八幡宮は、1063年源頼義(源氏の祖とされる頼朝の高祖父(ひいひいじいさん))が建立した、武蔵国の三大宮(秩父神社、大宮 氷川神社:埼玉県)のひとつとされる歴史ある神社です。
 境内の湧水を霊水とした「多摩清水社:たましみずのやしろ」が祭られますが、裏手を流れる善福寺川では、水路改修工事が行なわれています。
 周辺には洪水に備えた調整池が点在し、現在も水利の要という使命を担うようで、こんな地にこそ「水神:龍や蛇」が祭られるべきではないかと。
 祭られる八幡神は、様々な言い伝えに都合良く利用される歴史ある神ですが、この地に社を建てた頼義の動機を理解できるような気がしました……(パワースポット的な印象)
 上は扇子おみくじ専用の願掛け場。


和田堀公園──調整池壁打ち庭球練習場


 上は豪雨時に川の氾濫を防ぐための調整池。
 2005年の豪雨で被害を受けた川沿いには多くの調整池が建設され、野球場、テニスコートや、上の壁打ち施設が堤防より低い調整池(どつぼ:失礼!)に整備されます。
 これらは応急的なものらしく、上流の善福寺川緑地に地下調整池を建設中です。
 後述の神田川環状七号線地下調節池の上流なので、独自の水害対策が必要となります。


観察の森(嵯峨侯爵邸跡地)


 嵯峨侯爵邸跡地には「観察の森」の雑木林が残され、周辺住民の憩いの場とされますが、歩道以外の林は立ち入り禁止とされるのは仕方ないのか。
 嵯峨侯爵の娘である浩(ひろ)は、軍部主導の縁談により旧満州国皇帝 愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ:「ラストエンペラー」)の弟 溥傑(ふけつ)と結婚するも、『流転の王妃:自伝』に記されるように時代の波に翻弄されながらも、戦後〜文化大革命を乗り越え、1987年に溥傑と暮らす北京で亡くなります。
 溥傑は1972年日中国交正常化を含め、日中間の友好に尽力されました。険悪な両国関係の間の架け橋となり友好関係が実現したように、関係改善が実ることを……

 縄文・弥生・古墳・室町時代の痕跡が残る、済美山(せいびやま)遺跡に隣接します。


神田川環状七号線地下調節池──善福寺川取水施設

 右は、神田川流域(神田川、善福寺川、妙正寺川)の洪水被害を防ぐため、環状七号線の地下約50mに建設された「神田川環状七号線地下調節池」の善福寺川取水施設
 1993年の台風被害を受け、第一期工事(神田川のみ)は97年に完成するも、支流での被害は繰り返し発生します。
 第二期工事(善福寺川〜妙正寺川間)完成目前の2005年豪雨では、緊急避難的な利用で難を逃れますが、後回しとされた地域には、軽んじられている印象を持った方も多いのではないだろうか。
 予算云々ではなく、待ったなしじゃないなの?


立正佼成会


 正面はホテルのようでも、裏からは魔宮のような「立正佼成会大聖堂」(交差点やバス停名に使用される)。
 立正佼成会(1938年)は、霊友会(1920年)から派生した宗教法人で、創価学会(1930年:日蓮宗から分派)とは敵対関係にあるらしい。
 3つの宗教法人は法華経をルーツとしながらも袂を分かち、政治の力を借りて戦後の困窮期に勢力を拡大します。
 同じ教典の読後感が各人で異なるのは当然ですが、「異なる解釈は受け入れない」と敵対する事を当然とされては、非人道的行為を「聖戦」に仕立てる「疑似宗教集団:オウム、IS等」の温床を、社会が保護しているように思えてきます。社会が守るべきは「こころの安寧」です。
 右は付近の東圓寺


方南町駅周辺

 地下鉄丸ノ内線(支線)方南町駅周辺には、グチャッとした住宅密集地があります。
 以前、幼なじみが新婚時代に暮らす賃貸の古い一軒家に足を運んだが、付近はそれ以来か?
 古い家屋の角の取れた空気感がとても落ち着け、「いいとこ見つけたなぁ」の印象が残っています。
 場所は忘れても町の面影は健在で、「あの角の先は?」と誘われる町並みです……(右はそんなイメージ)

 善福寺川は、この先の地下鉄丸ノ内線方南町・中野富士見町駅間で、神田川に合流します。


追記──あれから1年 2015.4.1

 消費増税については、世論調査の意見「増税後は支出を抑える」に意義なしですが、1年で「将来への不安感」がこんなに大きくなるとは思ってもみませんでした。社会保障・年金等に関する不透明さを切実に感じる年齢のようです……

 『笑っていいとも』終了後は俗世間の情報源がないため、昨年の流行語「ダメよ~ ダメダメ」は受賞時に「初めて見た」など、アッという間に浦島太郎です……


追記──陽気に誘われて 2015.3.31


 今年の見頃は平日だったので、陽気に誘われ東京タワー経由で歩いて帰りました。
 近ごろは中国人の「爆買い」に続き「爆花見」とされるように、桜の季節を売りにするツアーが人気らしく、驚くほど外国人旅行者が増えました。
 北半球に暮らす人の「春待ち気分」は同じとすれば、桜満開の「幸福感」は通じるようなので、各地にある桜の名所をアピールしていけば、旅行者が地方に浸透するのではないか? 上はiPhoneで撮影。