2015/04/13

山と川の記憶をたどる──中野

2015.3.28【東京都】──「神田川を歩く_14」

 川から離れた場所が中心となりましたが、今回より神田川本流沿いを歩きます。




中野駅前住宅

 中野の訪問は「中野サンプラザ」「中野武蔵野館(閉館)」方面の北口だけで、南口は初めて歩きました。
 以前サンプラザでは、海外ミュージシャンのフィルムコンサートが開かれ、高校時代に何度も足を運びました。
 プロモーションビデオやライブ映像をホールで観るもので、客寄せの目玉だったベイ・シティ・ローラーズ等が映ると、スクリーンに向かい黄色い歓声がとびました。
 中野駅周辺再開発により、サンプラザは2018年以降に再開発? の報道もあるが、右は同年着工に動き始めた南口「中野駅前住宅(昭和26年:当初は風呂なし)」の非常用通路。


紅葉山公園

 北口には平坦な印象があるも、南口には紅葉山公園の名を持つ施設があります(右)。
 それは、南側を流れる桃園川が武蔵野台地を浸食したためで、川から見上げると確かに山のように見えます。
 ですが現在、公園に紅葉する植物は少ないらしく、桃園川は暗きょとされ、名残りは地形だけとなりました。
 公園に隣接する「なかのZERO:もみじ山文化センター」(ホール、プラネタリウム、中央図書館等が入る)が旧中野公会堂跡と知り、これまでの「サンプラザ=中野公会堂」という思い込みの間違いに気付きました。


山政醤油醸造所のレンガ塀


 明治・大正期の中野周辺では、味噌・醤油・そば粉等の産業が盛んだったと伝えるため、モニュメントとしてレンガ塀が1辺だけ残されています(上)。
 当時の武蔵野には耕地が広がっていたので、消費地に近いこの付近に食品産業が求められたようです。

 付近にある堀越高等学校といえば松木安太郎! ではなく、芸能コース(現TRAITコース)が有名ですが、現在立て替え工事で敷地全面を掘り返していました。
 厳しい校則←は必見で、校外活動での礼儀指導かと思ったら、芸能コースには例外が認められる「それじゃ、仕事できない」という規則です。


宝仙寺


 この寺は、大宮八幡宮を建立した源頼義の子、義家(八幡太郎:頼朝のひいじいさん)が奥州平定後に、八幡社があった地に不動明王を祭ったことを起源とします。
 上の「臼塚」は、昭和初期の住職が出身地の長野県から、製粉機の普及により捨てられていた石臼を運び供養したもので、造形としても見事で伝わるものがあります。


鍋屋横町

 この響きには上野アメヤ横丁にも似た愛着を覚えますが、由来は江戸時代に青梅街道経由で妙法寺に向かう際の目印とされた、現在の鍋屋横丁交差点付近にあった「鍋屋」という茶屋。
 地下鉄丸ノ内線新中野駅は、浅田次郎の小説『地下鉄に乗って』の舞台とされたように、付近には「人なつっこい」印象があります。

 右は、真言宗の慈眼寺(じげんじ)がタイ寺院との親交により上座部仏教(戒律遵守の教え)を取り入れた鐘楼。


中野新橋

 付近の「貴乃花部屋」には、ワイドショー連中も寄り付かなくなり現在はひっそりとしていますが、近所迷惑を考えろという住宅街です。

 中野新橋駅から15分程度の地に母方の実家があり、大学の同級生の家が近所の酒屋だったことを思い出しました。
 彼は当時から「店を継ぐ」と言っており、未訪問ですが頑張っていることを……

 右は本郷氷川神社のカラフルと感じた鈴緒ですが、しきたりなのか種類は限られているようです。


中野坂上


 以前に訪問した成願寺(じょうがんじ)の、山手通り沿いに続く竹の柵が新調され、とても鮮やかな色合いとなりました。
 町の雰囲気も明るくなりましたが、付け替えは費用・作業ともにかなり大変そう……


追記──トップライダーの美しい騎乗姿 2015.04.09

 昨年、携わる乗馬雑誌は休刊となりましたが、ネットでのサービス展開を模索するためのビデオ撮影に初めて立ち会いました(右はJRA馬事公苑北原広之さん:2004〜06年 全日本馬場馬術選手権大会優勝)。
 遊びで乗るだけの素人に専門的なことは分かりませんが、トップライダーの「美しい騎乗姿」を生で堪能でき、とても楽しい時間でした(いいものは素人にも伝わる)。
 体をグッと締める姿から、体幹・下半身を鍛えるには最適とされる理由が伝わるのではないか。
 東京オリンピックに向け、馬術競技への関心UPに貢献したいと思うも、軌道に乗せられればいいのですが……

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