2015/08/17

川辺に駅を誘致した──旧谷端川-1

2015.8.1・8【東京都】──「神田川を歩く_30」

 今回は、豊島区要町(地下鉄有楽町線千川駅最寄り)を水源とし、東京ドーム付近で神田川に流れ込む、旧谷端(やばた)川沿いを歩きます(前編)。



粟島神社〜板橋駅


 旧谷端川の水源地とされる粟島神社(上)は、北を流れる石神井川と南の神田川が最も離れる地域の中央付近に位置し、地下水層は南北の川の影響は受けず海に向かい傾斜するため、どちらにも流れ込まず自噴したようです。
 湧水量は少ない上、平坦な土地のためか、流れの方向は定まらず南へ北へと迷走します。
 流れは、有楽町線千川駅付近〜西武池袋線椎名町駅〜有楽町線要町駅〜東武東上線下板橋駅〜埼京線板橋駅〜山手線大塚駅と、都心北側の鉄道駅をめぐります。
 江戸期には、玉川上水から分岐した千川上水(武蔵境付近から石神井川と神田川の分水嶺を通された)の水を受け、周辺の耕地をうるおしました。


 椎名町駅〜板橋駅間は1枚上のように水路にフタをし、オブジェ(右:女性の表現らしい)などが点在する遊歩道として整備されます(飾りたくなるらしいが必要?)。
 板橋駅から下流は、下水幹線とするための大がかりな工事により、水路の面影も残さない幹線道とされます(1934〜64年に全区間が暗きょ化)。
 それでも川に浸食された低地が続く様子は、多少盛り土された道路等があっても「雨水はどっちに流れる?」と見回せば、流れの方向を探すのは難しくありません(前回の旧巣鴨プリズン付近で間違えましたが……)。

 右は埼京線板橋駅の下を通る、旧水路沿いの通路。
 以前通勤に利用の際は、ホームの階段が赤羽側の端にしかないため、混雑を避けようとホームの先頭(池袋側の端)まで歩く習慣があり、セメント工場(1996年閉鎖)への引き込み線等も目にしていましたが、ブラブラする機会はありませんでした。
 歩いて気付いた、駅南東側の滝野川桜通りに続く立派な桜並木は、花の季節に是非一度! です。



都電荒川線「大塚駅前」停留所(山手線「大塚駅」下)


 前身の王子電気軌道時代まで「大塚駅」でしたが、東京市が買収した際、大塚〜上野路線「市電大塚駅前電停」の名称に統一されます。
 以前、大塚駅を通る地下鉄建設が計画されるも、旧谷端川に面するため困難とされたそうです。
 駅付近に川の存在を想像したことはありませんが、右の池袋側から坂を下る都電、大塚駅は高架だが隣の巣鴨駅は切り通し等を、観察していれば気付けたはずです……
 お気付きのように、現在の鉄道路線が旧谷端川と交差する付近には、どこも駅が存在します。
 都市化により川は姿を消しても、町が水辺に発展した痕跡は駅という姿で残され、町をつなぐ役割は鉄道に引き継がれます。

 大塚駅南口の新しい商業ビルにはガラス張りのスペースがあり、都電ビューが楽しめます(右の撮影場所)。


追記──祝! 岩隈投手ノーヒットノーラン!

 近鉄時代から応援し、楽天時代の野村監督が「アイツは別ものや」と珍しく褒めたように、「もう20勝投手は生まれない」とされた2008年に21勝して脚光を浴びますが、大リーグ移籍後はケガなどにより、パッとしない印象がありました。
 野茂投手に続く日本人二人目も「近鉄出身」ってところが、元近鉄ファンにはたまりません!(彼が最後の近鉄遺産?)
 野茂は鈴木啓二監督(元近鉄の大エース)との確執、岩隈は球団解散ではじき出されましたが(そこで目標がはっきりしたのでは?)、彼らがアメリカで活躍する姿を目にすると、劣悪なチーム環境でも個性を発揮する選手にエール送った自分も、正当化されるような気がしてきます……
 過去はさておき、快挙を祝福しましょう!

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