2016/01/18

国が反省を示す地──北の丸公園

2015.12.27【東京都】──「内濠を歩く_3」

 北の丸公園には戦時中まで軍隊の施設がありました。
 戦後は、武道館や千鳥ヶ淵による平和的イメージ作りが功を奏しますが、靖国神社を含む一帯では戦争従事者は不在となっても縁者がいる限り、半永久的に国が反省を示し続ける地であることが求められます。




九段会館

 本施設は、2011年東日本大震災時の天井崩落で死者2名を出したことより休館に至ります。
 国の昭和天皇即位記念事業で「軍人会館」として開業し、愛新覚羅溥儀(ラストエンペラー)弟 溥傑と、嵯峨家(侯爵)浩の結婚式が行なわれた施設で、国が(財)日本遺族会に無償貸与していたが、建て替えが決まります。
 戦後はGHQに接収され「アーミーホール」の名称で連合軍の宿舎に使用されますが、デビュー当時のサザンオールスターズがコンサートを開くなど、武道館公演へのステップとされる会場でした。
 後方の高いアンテナは千代田区役所。


昭和館

 九段会館前には、昭和館(1999年に開館した厚生労働省所管の国立博物館)がそびえています。
 戦中・戦後(昭和10年頃〜30年頃)の国民生活に関する資料を展示する施設の意識は、戦没者遺族に向いているようで、遺品のひとつも届けられなかった多くの遺族に対する、国からの償いという位置づけらしい。
 わたしが遺族の立場だったら「償いよりも、二度と繰り返さないこと」を望むのではないか。
 右下の武道館が「希望の象徴」なら、左の昭和館は過去を封じ込めた「石棺」のようにも……

 田安門付近にある右端の高燈篭(常燈明台)は、1871年(明治4年)靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊(明治維新に功のあった志士)のために建てられます。
 建設当時は、東京湾の船から目印となる燈台の役割を果たしたとのこと。
 田安門を境として、奥の千鳥ヶ淵と手前の牛ヶ淵の水面には10m以上の高度差があり、左の水路から水が落とされています。
 九段下駅から武道館コンサートに向かう際の坂道ではずんだ息は、期待感を高める効果があったようにも……


日本武道館

 若者も「武道館」と漢字で書けるでしょうが、コンサート会場と認識する人の方が多いように感じます。この施設は、柔道が1964年東京オリンピックの正式種目とされた際に会場として建設されたもの。
 その後柔道は世界に広まり、日本の金メダルはゼロの大会もあるほどで、世界の柔道家には講道館同様の聖地かも知れません。
 五輪から2年後のビートルズのコンサートに際し、「日本の武道を冒涜する」の声が上がるのも分かる気がしますが、「BUDOKAN」は世界のミュージシャンに知られる存在となりました。
 大学の入学式はここで行なわれた記憶があります、


科学技術館

 体験型科学実験で人気の米村でんじろう先生は、この施設に勤務する方と思っていたら、有限会社でんじろうサイエンスプロダクション代表取締役だそう。実験を通じて科学に関心を持ってもらいたいとの姿勢は、とても素晴らしい取り組みです。
 実験設備を整えるにはお金がかかりますが、技術者の卵である子どもたちに企業をアピールする施設なのに、入場料(大人720円)を取るのはどうかとも。
 ハマった子どもはカミナリに打たれたように、輝かしい夢を抱くかも知れません(右はアーク放電:リンク先はYouTube動画)。

 ここには原子力発電に関する展示もあり(右は原子炉の模型)、理解なくして判断できないとはいえ「原子燃料サイクル」「ガラス固化体:地層処分による封じ込め方法」など「リサイクルできない高レベル放射性廃棄物の処分方法」まで紹介されます。
 加えて「放射線」「放射能」「放射性物質」は、空気中や身の回りに存在すると説明しながらも、放射性物質による汚染についての説明はありません。
 そんな取り組みで、ガキどもの放射性物質アレルギーを「処分」できると考えているのだろうか?


東京国立近代美術館工芸館

 右は、1910年(明治43年)に建設された大日本帝国陸軍の近衛(このえ)師団司令部庁舎を改修・保存したもので、以前北の丸公園は近衛師団兵営地でした。
 近衛の名は、公家や軍隊にあるため混乱しますが、どちらも「天皇側近」という意味で、近衛家は摂関家の筆頭、近衛師団は天皇及び御所護衛目的の軍隊。
 近衛家は明治維新以降公爵とされるも政治の舞台から排除されるが、近衛師団は日清戦争から海外に従軍するようになります。

 今回の見聞からは、国民に還元されたのは公園と武道館だけで、千鳥ヶ淵の桜は戦没者慰霊の花と感じます。
 神格化される靖国神社にしがみつき地元後援会受けを狙う政治家よりも、春の花を愛でながら平和を謳歌する庶民の姿こそ、戦没者の願いなのではあるまいか……


追記──大学入試センター試験という関門

 田町駅東口にある東京工業大学キャンパスも大学入試センター試験会場とされ、夕刻に流れ出てくる受験生に遭遇します。安堵、落胆、疲れ、2日目への気合い、などの表情が入り交じっており、表現が難しい様子です。
 わたしもまだ、勉強や研究(詳しく調べること)への意欲を持ち、問題をクリアしていく意欲はあるものの、試験という関門に挑むだけの気力・体力はもう無いと、即座に白旗を揚げてしまいそうです。
 そんな彼らのパワーが未来を切り開き、この国を変えていくのであろうと、オヤジの馬力不足を自覚させられます……

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