2016/01/11

江戸城をめざした玉川上水──半蔵門

2015.12.23【東京都】──「内濠を歩く_2」

 半蔵門周辺には通ったことや訪問の機会も多くありましたが、記憶からスポッと抜けていたため、忘却の彼方から呼び戻しながらの楽しい散策となりました。




半蔵門(由来の服部半蔵のリンクはこちら)

 玉川上水の終点、四谷大木戸から半蔵門へと続く新宿通り沿いの、麹町付近で発見された江戸水道幹線の遺構は、江戸城内に上水を供給するための施設とのこと。
 これまで、玉川上水のおかげで武蔵野台地に耕地が広がったと紹介しましたが、最大の目的は江戸城への上水供給なので作物も大切ですが、当然将軍様の上水確保が最優先でした。
 以前は内濠に供給されるも、現在は最下流の馬場先門付近(1.43m)から取水〜浄化し、付近に放水するそう。
 右写真手前の桜田濠の水面の高さは3.82mですが、この奥の半蔵濠と千鳥ヶ淵の水面は15.98mで、内濠でもっとも高い水位を保ちます。
 以前、カメラ背後の「TOKYO FM」に足を運んだ目的が思い出せない……


英国大使館

 所在地「千代田区一番町一」の2013年路線価は約700億円とされ、皇室との交流から一等地に英国大使館があってしかるべきと思うも、経緯には曲折がありました。
 開国当初、高輪にあった領事館は公使館となりますが、数度に渡る攘夷派の襲撃や、生麦事件、品川御殿山に建設中の公使館が高杉晋作の焼き討ちに遭うなど、幕府〜明治政府の腐心の様がうかがえます。

 右は国章なのでデザイン化もしかるべきとは思うが、どうもピンとこないのは文化背景の違いのようです(他国の国章に意見するのもおかしいが……)。


千鳥ケ淵戦没者墓苑


 千鳥ケ淵戦没者墓苑は、第二次世界大戦戦没者で遺族に引き渡すことのできなかった遺骨を安置する施設。戦没者を慰霊する場は、爆弾騒ぎに巻き込まれる靖国神社ではなく、このように静かな施設がふさわしいとも。
 戦没者を出した国には慰霊施設があるわけで、その方法に海外からケチをつけられる理由はないにせよ、戦争を起こした当事国が、被害を与えた国々の「かんに障る」態度を改めない姿勢には反省が感じられない、と映るのは当然かも知れない。


千鳥ヶ淵緑道ボート場


 ボート場の営業期間は3月1日〜11月30日のため閉鎖中ですが、きちっと片付けられている様子に、観光地の自負が感じられます(千代田区が管理)。
 桜の名所とされた「フェアモントホテル」は2002年に閉館し、跡地に億ションが建設されます。
 GHQの要請で外国人向けのホテルとされますが、売りは桜だけの努力不足では、他の新しいホテルに対抗できないのも当然か。
 右は付近のアンティークショップ。


【番町通信】

 秀和三番町ビルは取り壊され、現在大妻女子大学のキャンパスを建設中。PHP研究所は豊洲に移転。トニーローマ(レストラン)は健在(懐かしい! いまもミニスカートか?)。
 きんつばが有名な和菓子店、よく通った中華料理店や、町の電気屋が元気なこと等々、忘れていた記憶との再会を楽しんだりするのは、ジジ臭いか……


2016.1.11──新宿区成人式会場@京王プラザホテル

 今年は京王プラザホテルで、立体交差の上から見下ろして撮ろうと思ったら大間違い。メインの玄関は地上にあり、庭園もないため散策する姿も見られず、仕方なく室内の暗い写真に。彼女可愛いのに……
 ホテルを出ると、サッと雑踏にまぎれてしまう場所柄も、会場にふさわしいとは思えません。
 喫煙所周辺にはヤンキー連中がたむろしており、その手の係員ばかりかパトカーが何台も集まる状況ながらも、どちらも慣れた様子に見えるところが、新宿区らしさと言えるのか?


追記──NHK大河ドラマ『真田丸』出帆

 三谷幸喜の脚本が羽目を外さないか心配ですが、魅力的な主人公 真田信繁(幸村)を取り巻く役者陣も揃っているので、どんなくせ球も打ち返してくれそうです。
 以前は「すかし野郎」にしか見えなかった草刈正雄(失礼!)のまねのできない存在感や、怪優 高畑淳子さん登場! に、期待が高まります。


追記──50歳前後の壁

 昔の仲間が51歳で亡くなりました。
 知り合いにこの年代に亡くなる方が多いことは、ちょっとショックです……
 病名(癌)を聞くと宿命的と思う面もありますが、働き過ぎに違いないと感じます。
 ずいぶん前ですが、友人からもらった景品のおもちゃを彼に渡した際の、「こういうの子どもがよろこぶんですよー!」との、目尻のだらしない父親の表情がいまも鮮明に思い出されます。戦いの中で見せてくれた「おやじの顔」はとても素敵でした!
 ゆっくり休んでください……


追悼──デヴィッド・ボウイ

 出会ったのは、奇抜さが影を潜めた『Young Americans』(1975年)ですが、独自の世界観の中で誰にもまねできないパフォーマンスを見せ切るエンターテイナーには、ミュージシャンというよりパフォーマーに近い印象がありました。
 彼の楽曲を見事に映像と一体化させた、フランス人映画監督レオス・カラックスに嫉妬を覚えたように、彼の影響力は連鎖を生み出すことから「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」とされたのではないか。
 若い時分、コンサートチケットを持っていながら、急な現場出張で見られず悔しかったことが思い出されます。
 常に気になる存在であり続けるために、いつも爪をとぎ続けていたのでしょう。
 ありがとうございました!

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