2020/09/21

三社祭を斎行する──浅草神社

2020.9.14【東京都】

 平日なら浅草も混雑していないだろうと足を運び、「これなら不安なく歩ける」状況でしたが、活気のない様子には物足りなさも……(4連休は予想以上のにぎわいだったそう)


 散策する側は「ちょうどいい人出」に、また来ようと思いますが、観光地で営業する方々には「いつまでもつか…」レベルのようです(右に普段の混雑は見られない)。
 仲見世の掛け声は相変わらず元気でも、店員の動きは止まっています。その一方で人気店には人だかりがありますから、作戦を練る時期にすべきとも。

 こんな時節ながらも、周囲からは中華系の言葉が聞こえてきます。台湾やマレーシア等、5カ国の入国制限は緩和しても観光客はNGとすれば、国内に暮らす人たちにも人気があるわけで、同じ日本でも「違い」は伝わっているようです。

 上写真左の傘をかぶる人力車の車夫は、さかんに営業していますが、全体数が減っているように感じます。
 車夫はサービス業なので、当然カメラマンにもなりますが、女性客の要望に応えた後に、「二人でスマホを見て雑談するていで」とポーズを求めたりします。その方が女性誌的な絵になってますから、さすがと感心します。

 右奥の東武浅草駅(松屋浅草)は立派な建物ですが、制約のある場所に建設したため(隅田川に平行な駅舎と、川を直角に横断する鉄橋が隣接)、時代に対応できず、最長8両編成の入線可能も乗降は6両に限られます。ですが乗客は慣れた様子で、乗降可能な車両に移動します(最後尾の車両は空いている)。

 右は、三社祭が行われる浅草神社三網紋で、隅田川から網で観音像を引き上げた兄弟と、その像を社に祀った3人を表すそう。
 例年5月開催の三社祭は見送られましたが、10月17・18日に斎行(さいこう)予定だそうです。「祭事(まつりごと)を欠かす事無く次代に繋げていく」心意気は理解できますが、神も人もコントロールできない状況で、感染拡大を防ぐことは並大抵ではないと(宮神輿・町神輿を含め担ぎ手による神輿の渡御は中止だそう)。これまでにない祭りになりそうですが、周辺の街に活気が戻ることを……(サンバカーニバルは、9月末に予定の代替イベントが中止となりました)

 六区方面の再開発は継続中で、工事中の浅草観音温泉跡地の並びでは、藤棚の下でまったりできそうな初音小路飲食店街だけが健在というか、取り残されているようにも。
 突き当たりは「花やしき」、左に折れるとWINS(場外勝馬投票券発売所)や六区に隣接する、娯楽パラダイスですから、敗者も受け止めてくれる横丁が求められるようです。少し前の再開発でキレイになったアーケードも、じきにこんな姿になるかもしれません。
 競馬開催日ではない平日の昼でもポチポチ客が入るのが、浅草らしさとも……

 人出が少ないと、浴衣姿を撮るチャンスも少なくなります。
 若い女性たちが、スマホ用スタンドで撮影する姿(右)を多く見かけ、ピースすればOKではなく、「映え」を意識する様子に意識の変化がうかがえます。
 右の丸い背中から、映画『東京物語』(リンク先Youtube予告編)の東山千栄子さんを想起したと言ったら怒られそうですが、知らないよね?

 下の鼻緒のようにカワイイものは、以前からあったのか、観光客受けを狙ったのか? いずれにしても「商品」と「買い手」が出会うためには、多くの人が交流できる場と、安心・安全な環境が必要です……


 連休の各地がにぎわったように、出かけたくなる気持ちもわかりますし、観光関連業の方にも笑顔が見られたようですが、「楽しかったね!」で終えられるか、わかるまで時間がかかることに不安を覚えます……

2020/09/14

「真夏の夜の夢」の喪失感──向島

2020.8.22【東京都】

 向島の名称に「川向こう」の差別意識を覚えるためか、「負けねえぞ!」の心意気から感じる芯の強さが、周辺の魅力かもしれません……


 NHK連続テレビ小説「エール」の、芸者が唄うと耳にした瞬間の「向島か?」の反応に、昭和初期の向島芸者の人気ぶりを感じたりします(9月14日より放送再開)。
 向嶋(以前の表記)の花街は明治期に始まり、最盛期には芸妓が1000人以上いたそうで、いまも健在の料理屋(料亭)の佇まいには、粋なカッコよさがあります。右は料亭美家古(リンク先は座敷の絵!)で、ここは常連さん専用口か?
 向島の地名由来が、「隅田川の向こう側の島」だったに納得するのは、島の名を持つ地名が多く残るためで、隅田川の東側は江戸にあらずと認識されていました。

 周辺は空襲で焼き尽くされたため、整理された区画が整然と並びますが、街並みのように襟を正していると感じるのは、地元に対する誇りではないかと。花街への出入りの多さや、関わりを持つ人が多いため、乱れた姿を見せられない心構えのようにも。そんな「気取り」が江戸っ子の自慢であり、やっかみでもあり、大衆文化の原動力だったのかもしれません。
 右のような店が健在な町ですから、まだまだ庶民文化は衰えないことと。
 来年の花の季節には、自粛されることなく芸妓茶屋(芸者茶屋)が出店されることを楽しみに……


 上は三囲(みめぐり)神社神楽殿の千社札。穀物の神(宇迦之御魂神:うかのみたまのかみ)を祀り、三井家の江戸守護社とされるため、商売繁盛が祈られるそう。

 隅田公園に隣接する牛嶋神社(本所の総鎮守で、東京スカイツリーの氏神)にある撫牛(なでうし)像は、牛頭天王(ごずてんのう)に由来し、天満宮の牛の像もそこにたどり着くらしい。

 下の隅田公園(水戸徳川家の屋敷跡)南側の整備が終わり、以前とは比べ物にならない今風の明るい公園となりました。これで、隅田川花火大会の観客席は増えましたが……


 東武線鉄橋脇の「すみだリバーウォーク」(下)は、浅草とスカイツリーをつなぐ動線として設置され、散歩にはちょうどいい距離ですが、スカイツリーは子どもが多く客層が違うようにも。
 スカイツリー側の高架下には「東京ミズマチ」が整備され(2020年6月)、北十間川沿いも歩けるようになりました(現在は隅田公園に面した西側のみ)。以前その頭上には隅田公園駅がありましたが、利用率が低いため廃止されました。
 一連のオープンは、当然隅田川花火大会の時期をターゲットとしますが、たった一夜の「真夏の夜の夢」でも、夢が失われた喪失感はいかばかりかと……



23区の時短営業要請解除

 東京都はコロナ感染状況の警戒レベルを、2番目の「感染の再拡大に警戒が必要」に引き下げ、23区内の飲食店やカラオケ店への午後10時閉店の時短要請終了を発表しました。
 店舗側には明るい知らせで、「待ってました!」と繰り出す連中もいるかもしれませんが、リスクを負ってストレス発散できる? と感じるのは、年齢のせいだろうか。
 常々、残業でギリギリ最終電車で帰宅する者と、泥酔者が同じ扱いとされることに理不尽さを感じましたが、酒の席で注意散漫となり、濃厚接触していそうな連中を避けるため、これからは自己防衛として「残業の時短」を意識するのではと……


信念を貫いた大坂なおみ選手

 黒人差別への抗議マスクで戦い、全米オープン2度目の優勝を果たした大坂なおみ選手の快挙は、暴動によらない抗議活動への道を示すのではないか。
 人種差別を受けていると感じない(理解できない)島国育ちのわれわれにも、考えるきっかけを提起したことは、プレーと共に大きな意義があるのではないか……

2020/09/07

情報は各人が伝えるもの──鳩の街通り

2020.8.22【東京都】

 以前の曳舟駅周辺は寺島町とされ、永井荷風『濹東綺譚』、滝田ゆう『寺島町奇譚』の舞台である玉の井や、後の鳩の街がありました。


 右は向島秋葉神社参道にある、以前は茶屋だった(?)木造家屋の建物で、内部ものぞきたくなります。
 周辺に湿地が広がっていた時分の「千代世(ちよせ)の森」にあった稲荷神には、江戸時代に秋葉神社(火伏せの神)が祀られ、「江戸中一の紅葉の名所」とされた様子が、歌川広重「請地秋葉の境内」に描かれます。住宅密集地なので、現在も火除けの神として信仰されるようです。
 以前紹介した高木神社前から鳩の街通りに続く、並行する複数の路地(下2枚)は、江戸時代の秋葉神社周辺地図にある水路跡らしく、そんな場所柄に歓楽街が発達したようです(水路が空襲火災を食い止めたのか?)。


 鳩の街(はとのまち)は、空襲で玉の井(私娼街)を焼け出された人々が移転した地で、戦後は進駐軍の慰安施設とされるも、性病感染が多いため立ち入り禁止となります。米兵向けに用いた鳩の名をPigeon Streetと呼んだそう。
 その後、日本人相手の特殊飲食店街(赤線)となる際は、カフェー風の店(女給が性的なサービスを行う風俗営業)に改めさせられます。文人たちが競うように通い、作品に描こうとしたのは、最新風俗潜入レポートのようにも。
 ですが、「お昼までノンビリさせてくれるのがこのシマのいいところ」なんて目にしたら、誘われたくなりそう……


 今回のスタート地点の曳舟駅周辺では、徒歩圏内にある玉の井や鳩の街 等のイメージ刷新や、空襲を免れた地域の再開発への意欲を示すために、タワーマンション建設に取り組んだようで、空襲を免れた地区がお荷物とされる時代に……
 曳舟駅前の工場が舞台の映画『下町の太陽』を、そんな地域との認識なし(背景を知らず)に観たので、地域の知見を持った目で再見したいと。

 現在の鳩の街通りには、古い建物を活用する今風の店も見られ、現代的な下町らしさを持つ通りになってほしいと。
 右は、墨堤通り沿いにある皮革を扱う店舗のよう(いい感じの装飾)。


情報は自分で伝えるもの

 台風接近前に「経験したことのないような…」と警戒を呼びかけますが、事後には必ず「テレビを見られなかった」「防災無線が聞こえなかった」のコメントを耳にします。
「祖父母など、親しい高齢者の住んでいる場所の防災情報を、インターネット等で調べ、電話をしてみてください。」
「最新の道具を使って、自分のために調べてくれた孫からの電話は、うれしいと思います。」とありました。
 各人の行動こそが情報社会の最も重要な役割で、今回は間に合わないかもしれないが、一本の電話で命を助けられるかもしれません。伝えられない情報に価値は生まれません。