2020/09/07

情報は各人が伝えるもの──鳩の街通り

2020.8.22【東京都】

 以前の曳舟駅周辺は寺島町とされ、永井荷風『濹東綺譚』、滝田ゆう『寺島町奇譚』の舞台である玉の井や、後の鳩の街がありました。


 右は向島秋葉神社参道にある、以前は茶屋だった(?)木造家屋の建物で、内部ものぞきたくなります。
 周辺に湿地が広がっていた時分の「千代世(ちよせ)の森」にあった稲荷神には、江戸時代に秋葉神社(火伏せの神)が祀られ、「江戸中一の紅葉の名所」とされた様子が、歌川広重「請地秋葉の境内」に描かれます。住宅密集地なので、現在も火除けの神として信仰されるようです。
 以前紹介した高木神社前から鳩の街通りに続く、並行する複数の路地(下2枚)は、江戸時代の秋葉神社周辺地図にある水路跡らしく、そんな場所柄に歓楽街が発達したようです(水路が空襲火災を食い止めたのか?)。


 鳩の街(はとのまち)は、空襲で玉の井(私娼街)を焼け出された人々が移転した地で、戦後は進駐軍の慰安施設とされるも、性病感染が多いため立ち入り禁止となります。米兵向けに用いた鳩の名をPigeon Streetと呼んだそう。
 その後、日本人相手の特殊飲食店街(赤線)となる際は、カフェー風の店(女給が性的なサービスを行う風俗営業)に改めさせられます。文人たちが競うように通い、作品に描こうとしたのは、最新風俗潜入レポートのようにも。
 ですが、「お昼までノンビリさせてくれるのがこのシマのいいところ」なんて目にしたら、誘われたくなりそう……


 今回のスタート地点の曳舟駅周辺では、徒歩圏内にある玉の井や鳩の街 等のイメージ刷新や、空襲を免れた地域の再開発への意欲を示すために、タワーマンション建設に取り組んだようで、空襲を免れた地区がお荷物とされる時代に……
 曳舟駅前の工場が舞台の映画『下町の太陽』を、そんな地域との認識なし(背景を知らず)に観たので、地域の知見を持った目で再見したいと。

 現在の鳩の街通りには、古い建物を活用する今風の店も見られ、現代的な下町らしさを持つ通りになってほしいと。
 右は、墨堤通り沿いにある皮革を扱う店舗のよう(いい感じの装飾)。


情報は自分で伝えるもの

 台風接近前に「経験したことのないような…」と警戒を呼びかけますが、事後には必ず「テレビを見られなかった」「防災無線が聞こえなかった」のコメントを耳にします。
「祖父母など、親しい高齢者の住んでいる場所の防災情報を、インターネット等で調べ、電話をしてみてください。」
「最新の道具を使って、自分のために調べてくれた孫からの電話は、うれしいと思います。」とありました。
 各人の行動こそが情報社会の最も重要な役割で、今回は間に合わないかもしれないが、一本の電話で命を助けられるかもしれません。伝えられない情報に価値は生まれません。

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