2020/10/26

入谷と下谷

2020.10.3【東京都】

 入谷と下谷はどちらも「上野周辺」の認識なので、ちゃんと区別できるようにと歩きましたが……


 東京15区・35区の時分は、下谷区(現 台東区西部)内に入谷町がありましたが、現在台東区の二つの町として昭和通りで接し、地下を通る日比谷線の駅名は入谷とされました。入谷朝顔市のネームバリューか?
 付近に広がっていた千束池、姫ヶ池や湿地帯は、家康の命で埋め立てられ、上野山から見下ろした平地を「下谷」、付近の田んぼを「入谷」としたのは、低地のイメージでひとくくりにすると、下町っ子のプライドが許さなかったのか?

 右の大正小学校(大正5年開校)は、旧校舎の曲線デザインを踏襲し建て替えられ(1994年)、外観が円筒形の階段にも柔らかな印象があります。

 上・右写真前の道に残る金美館(きんびかん)通りの名称は、旧映画館によるもので、現 川崎チネチッタ親会社の母体となったそう。地域の映画館は人気低迷時分に、バタバタと閉館に追い込まれましたが、チネチッタにつなげたことは成功例と言えそうです(興行の世界は怪しげです)。
 この通りは「吉原への道」として知られ(川崎を目指した理由も同じ?)、「夜の雑学 金美館通りの藤村さん」なんてYoutubeも目にします(紹介はしません)。

 右の水上酒本店(創業明治33年、昭和4年 木造3階建て)の迫力ある姿には、見とれてしまいます。

 右の小野照崎(おのてるさき)神社は、上野照崎(寛永寺隣接の輪王寺付近)に小野 篁(おののたかむら)を祀りましたが、寛永寺建立(1625年)のためこの地に移転します。篁は平安期の公卿(くぎょう)ながらも、夜間は冥府で閻魔大王の裁判の補佐をしていたと伝えられます。
 境内にある、重要有形民俗文化財の下谷坂本の富士塚(富士山を模した人工の山)は、富士開山の6月30日と7月1日に一般登拝が可能だそう。
 右は、まゆ玉みくじ(まゆの中におみくじが入っている)の結び処ですが、さわりごこちがいいので持ち帰る人も多いそう(ここは菅原道真も祀られる、芸能・学問・仕事の神様)。


 上は、入谷朝顔市が開かれ「恐れ入谷の鬼子母神:きしもじん、きしぼじん」でも知られる、真源寺賽銭箱の紋。両脇は作物、巾着の中は魚のウロコのようで、五穀豊穣・豊漁祈願が込められるようです。安産と子育ての守護神とされるので、子どもの成長を支える糧を守る、ということでしょうか。
 右は、釈迦が鬼子母神にザクロを勧めた、との話から植えられたようですが、それは日本での作り話らしい。

 入谷朝顔市は、境内に農家が展示(奉納?)したことに始まり、明治期に周辺の朝顔が評判となり、にぎわうようになったそう。


最後の映画育ち?

 NHK連続テレビ小説『エール』で注目された戦禍描写で、映画出身の二人が育ちの違いを見せてくれました。
 讃美歌独唱が評判となった薬師丸ひろ子には、空襲場面で「この目力は高倉健さん仕込み?」と驚嘆させられ、吉岡秀隆には、『男はつらいよ』の「おいちゃん:下條正巳」の姿が重なり、「寅さんが目標でも、まずはまっとうな役から」の表現力に、引き込まれました。
 子ども時分から映画で育った「戦争を知らない子どもたち」が、戦時下の人々を演じ感銘を与えられたのは、素晴らしい大先輩(先生)から学んだ「姿勢」によるのではないかと。
 ですが、そんな彼らが最後の映画育ちとなりそうな状況には、さみしさを感じます……

2020/10/19

盛り上げて欲しい!──鷲神社

2020.10.3【東京都】

 今回も出発は三ノ輪ですが、浅草中心地に通じる国際通り沿いを歩きます。かつての国際劇場(現 浅草ビューホテル)から呼ばれた通称ですが、現在も標識に名称が残されます。


 三ノ輪の地名由来は、隅田川周辺の湿地に突き出た台地の先端「水の鼻」により、千住付近で隅田川が大きく湾曲します。
 都電の終点で馴染みのある旧三ノ輪橋は、常磐線ガード下付近を流れた旧音無川(石神井川の支流で、付近から日本堤沿いの山谷掘と、泪橋の架かる思川に分流しますが、どれも埋め立てられました)に架かる日光街道の橋でした。
 日光街道の千住大橋が、隅田川に初めて架けられた橋だったのは、まだ下流側は家もまばらな湿地帯のためかと(佐倉・奥州・水戸街道もここを通った)。
 千住が街道沿いの最初の宿場とされたように、付近は江戸の外れと認識されていたようです。

 上の一葉記念館(樋口一葉文学館)が、『たけくらべ』の舞台である竜泉(龍泉寺領だった)にあるのは、この地で雑貨・駄菓子店を営んだためらしいが、旧遊郭と現吉原を結びつけるためにも重要と感じます。物語や映画等で印象的に描かれる、水路(山谷堀等)や堀を埋め立て、記憶を断ち切ろうとした狙いは達成され、旧遊郭と現吉原を結びつける痕跡はわずかとなりました。
 記念館前で遊ぶ子どもたちが、そんな境遇だったらと想像すると、たくましく育ったとしても胸が痛くなります……

 右は近くの一葉煎餅で、他にも関連店舗が健在。
 下は近所の、2軒並ぶ蔵への渡り廊下がある様子。


 右の飛不動(正寶院)は、住職が奈良県 大峯山(修験道の修行場)に本尊の不動明王像を持参したところ、一夜にしてこの地に飛び帰ったことで、評判になったそう。
 旅人を守る「空飛ぶお不動」、病魔や災難等を飛ばす「厄飛ばしのお不動」とされ、近頃は航空関係者等の飛行守りや、「落ちない」合格祈願、「よく飛ぶ」ゴルフ守りもあるそう。浅草が近いので「飛びます!」のコント55号 坂上二郎さん(リンク先Youtube)も参拝したかも……
 小惑星探査機「はやぶさ」の無事帰還も祈願したそうです。オリンピック後と記憶していた「はやぶさ2」帰還は、12月予定ですから、応援しなくては!(リンク先で地球までの距離をカウントダウンしている)


 今年はどうするのだろう? と心配な浅草 鷲(おおとり)神社「酉の市」は、
『11月2日(月)一の酉、11月14日(土)二の酉、 11月26日(木)三の酉
本年の鷲神社例大祭「酉の市」は感染対策を施し規模を縮小して斎行準備を進める事となりました』
とのことで、熊手を売る出店の準備が始まっています(左側の木組みは屋根部分)。
 今年は掛け声なしの手締めになるのだろうか? 世間の暗さを払拭してもらいたいとの期待も大きいので、声の代わりに威勢よく盛り上げる作戦を考えて欲しい! と……
 三社祭は10月18日に、本社神輿がトラックに乗せられ街中を走りました。


コロナ危機本番はこれから?

 日本のこれまでの新型コロナウイルス死者数は1675人(10月18日現在)ですが、9月の自殺者数は全国で1828人(前年比9%増)だそうです(8月は1889人で15%増)。
 コロナ禍での心の不安に加え、それまでもギリギリだった生活が、立ち行かなくなった人が顕在化したのかもしれません。感染予防は心がけにより可能ですが、影響の大きな業種でのボーナス減額等となると、厳しいだけでは済まない状況になりそうとも。
 まずは健康第一でも、この先に個人ではあらがえない波が襲ってくるかもしれません……

2020/10/12

活気が浅草の魔力──日本堤

2020.9.21【東京都】

 本編は、人出の多さが話題となった9月の4連休中のもので、浅草はかすめるだけのつもりが、にぎわいに飲み込まれ乗ってしまったものです……


 日本堤とは、隅田川の氾濫原(洪水時に冠水する地域)を陸地化するために築かれた人工堤防で、浅草の待乳山聖天(まつちやましょうでん)から、三ノ輪の浄閑寺付近に至ります。大火により人形町から移転した遊郭から、吉原土手とも呼ばれました。
 下は三ノ輪付近の名残で、土手(幅は10mもない)に並んだらしい建物の背面で、表も裏も道路のためこんな姿がむき出しのままです。
 右は、五色不動(白・黒・赤・青・黄)の目黄不動がある永久寺の回廊。江戸時代は三色でしたが、明治期以降に黄・青が登場し、後付けで五色不動伝説とされたそう(目黄不動は江戸川区平井の最勝寺にもある)。


 右は、旧吉原大門付近の土手の伊勢屋(天ぷら)、奥が桜なべ 中江(馬肉)で、吉原名物とされた店舗は、空襲から焼け残りました。桜鍋は滋養強壮に効果があるとの評判から、朝帰り、昼食、夕に繰り出す前の客が絶えず、周辺には多くの店が軒を連ねたそう。遠目に、歓楽街にも立派な庫裏のある寺院が、と思ったら、昼から呼び込みが立っていました……
 東浅草・千束(吉原)付近から、江戸時代に遊郭への水上路とされた山谷堀跡が、山谷堀公園として整備されます。あしたのジョー像があるように、山谷とされる地域(地名は消滅)や土手通りの名称には、江戸期の辺境地だった記憶が残るようにも。


 山谷堀の遊歩道を歩いていると、「カランコロン」と下駄の音が聞こえてきます。音から想像した光景を今戸神社境内で目にした瞬間、まぼろしかと、ときめきました。浴衣姿で下駄を鳴らし、神社に参拝する若い女性たちの姿があるだけですが、浅草らしい風情をしみじみと……
 縁結びの神様とされるため、若い女性たちが目指すスポットのようで、2人掛けに3人座る状況から早く抜け出したい、と願うのでしょうね。
 上の女性たちが終わるのを待って右の女性が参りますが、ひとりで祈る姿には重さを感じてしまいます(ゴメンナサイ、成就されますように……)。

 前回の平日訪問は密を避けようとしたものですが、その際の物足りなさと比較し、「密でなければ浅草の魅力は味わえない」ことを、体感できた気がします。それは祭りと一緒で、中に入るつもりはないのに、いつの間にか引き込まれてしまう、活気が醸し出す魔力ではないかと。
 戻ってきた人出を避けつつも、娯楽と奈落(?)が背中合わせの刺激こそが、浅草の魅力と納得させられます……

 右は、待乳山聖天に供えられる大根(健康、良縁、和合を願う)。寺務所で売っていますが、持って来る方も見かけます。

 この日は、感染防止の制限緩和を受け「予想を超える人出」だった4連休中で、感染拡大を危惧しましたが、2週間を過ぎた本投稿時も恐れていた事態にならず、ひとまずホッと。
 海外からの入国受け入れが再開され、今後は段階的に枠が広げられます。警戒しつつクリアしなければ元の生活に戻れないわけで、それぞれのステップで予防対策を再確認することが大切になります。