2009/04/07

春を実感する時──馬事公苑、千鳥ヶ淵

2009.4.2_3
【東京都】

 花見というと、どうも気がはやったり、前のめりになりがちで、まだ咲いてもいない3月末の寒い中「決行!」された方もいたのではないでしょうか?
 早い分には「飲み直し」も可能ですが、散ってしまえば「後の祭り」ですから、飲む理由が無くなってしまうことへの「焦り」のようにも思われます。

 わたしたちの「春の季節感」とは、突然気温が20度を超える日があったり、「今年は気温の高い日が続き桜の開花が早まりそう……」によって、フライングする人はいたとしても「桜が満開になりました」の絵を見ないことには、実感できない方が多いのではないでしょうか。
 昼間の気温が15度前後となる季節ですから、縮こまっていた心身が自然体に戻ることを体感できるのは確かです。
 桜の花粉には「興奮剤」のような成分が含まれていると聞きましたが、わたしたちはそれを吸い込むことで覚醒し「春の訪れ」を実感する民族なのかも知れません(花粉症の方はどうなのでしょうか?)。

 音楽業界はずいぶん前から「満開」のようで、「柳の下にドジョウは何匹いる?」の皮算用というか、「桜の下にしかドジョウはいない」と考えているようで「さくら〜♪」ソングオンパレードの節操の無さにはあきれてしまいます。
 でも、明るい季節感を盛り上げてくれるのであれば、それに乗っかりましょうか? 春ですし……


 馬事公苑(Map)

 この日はとても風が強かったせいか、苑内に入る前から「ムムッ?」という香りが漂ってきます。
 それは当然のこととしても、周辺には結構高級そうなマンションが並んでおり(高さ制限があるようで高層ビルはありません。もちろん買えませんがこの落ち着いた高級感はいいなぁ)そこにも漂っていると思われます。
 馬による異臭を受け入れられるのであれば、馬以外にも広げられる可能性があるように思われます(ニワトリや豚はちとキツそう……)。
 高級住宅街ではありますが工夫をすれば、方程式のような「空き地=マンション」以外の活用方法も見いだせるのではないか? と思ったりします。


 この施設は、1940年東京オリンピック(戦争のため中止となったが、1964年の東京オリンピックで使用された)の馬術競技場として作られたそうで、周囲にはJRA(日本中央競馬会)の施設や職員住宅などがあります。
 小田急線と田園都市線の中間あたりに位置しており、交通の不便な場所で東京農業大学が隣接しており、造営当時は大学の農場? のような光景ではなかったかと思われます。
 ──「昔の世田谷はタヌキの出るようなところ」との話しを、父方の伯母からよく聞かされていました。

 外周の馬場はそのまま残されていて、歩行者は馬に気をつけてコースを渡ることになります。
 その内側は障害レース用のコースになっていますが、普段は使用されないようで「子ども障害レース」で自由に走り回ったり、草の上に座り込みお弁当を広げる団体が散在しています。
 座り込んだり、砂まみれになるのは勝手なんですけど、お馬さんはどこでも排泄しますからね。
 きっと、マイルドに漂う香りに慣れてしまい、気にならなくなっているのかも知れません……

 東京の市街地で馬の世話をすることに対して、周囲から好意的に受け止められていると思えることには、少し驚きました。
 大学のサークルなどが練習しており、とても楽しそうに見え、久しぶりに乗りたい気分が高まったのですが、はて、ここで馬に乗るためにはどれくらいの費用がかかるのだろうか?
 ここでは乗れないにしても、乗馬に関する夢として「クロスカントリーを駆けたいなぁ」という気持ちは現在も抱いています。
 キョロキョロ景色を見ちゃうので、振り落とされそうですが……


 上写真は「グラスアリーナ」という馬場なんですが、芝生の上からローラーをかけています。芝の手入れには、地面をならす作業も必要なんですね(芝を鍛えている?)。
 競馬場の広大な芝コースも同様の整備が必要だとしたら、どれだけの労力がかかるのだろうか、想像すらできません……
 もの凄く鮮やかなグリーンだったんですが、あまりキレイに撮れませんでした。機会があったら実際見てください「グリーングラス」(そんな競走馬いましたよね?)そのものでした。


  砧(きぬた)公園(Map)

 「世田谷に お花見行ったら みちのく参り」
 何の宣伝文句かといえば、砧公園に隣接する世田谷美術館で開かれている「平泉 展」のバンフレットに載っていました。
 これまでも、世田谷美術館には数多く行っている印象があったのですが、ふり返ってみると「ちょうどいいから花見のついでに行こう」というパターンが多かったことに気付きました。まさしく、企画者の思うつぼです。
 「毎度ありがとうございます」の声が聞こえてくるようだと、今回初めて感じました……


 平泉中尊寺は天台宗のお寺(比叡山延暦寺の最澄の教え)だそうです。
 中尊寺と言えば金色堂が有名ですが、中尊寺経(一切経)というお経の巻物も金・銀で書かれています(そこで用いられた金銀は、権威の象徴ではなく仏への帰依の意思表示)。
 自主独立の道を歩むことを目指したからなのか、仏像の表情や様式などからは、京都・奈良であまり目にしない素朴さが感じられました。
 極楽浄土を描いたという庭園や風土などから、これまで出会ったことのない文化が感じられるのではないかと、平泉に行ってみたくなりました。
 それこそ企画者の思うつぼですね……

 この公園は以前ゴルフ場だったそうで、現在でもゴルフコースだったころをイメージできる場所があります。
 そんなことを書こうと調べていたら「紀元2600年記念事業(1940年:昭和15年 神武天皇即位紀元2600年を祝う行事)として作られた大緑地」という記述を目にしました。
 第二次世界大戦開戦の前年ですから「国威発揚」や「国体」の引き締めを徹底させるための行事だったようです(勝鬨橋はこの時作られたそうです)。
 ちょうどそんな頃「贅沢は敵だ」などのスローガンが掲げられたそうです。
 いまでは、よその国の上空を通過するミサイルを打ち上げた国のことを想起しますが、日本もかつてはそんな「身勝手な国」だったことを、忘れないようにしないと……


  千鳥ヶ淵(Map)


 季節を表す二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつに「啓蟄(けいちつ:3月6日ごろ。冬ごもりしていた虫等が地面から出てくる季節)」がありますが、人が陽気に誘われて表を散歩し始めるのが、お花見の時期だと思われます。
 この日は平日だったこともあり、お年を召した方が多く、お彼岸? の印象がありました。
 人間向けの「啓蟄」に当たる季節の名称も必要なのでは? と思うも、その次はご存知の「春分」、その次が「清明(せいめい:花が開き万物が美しい季節)」となり4月5日ごろで、中国ではお墓参りの日に当たるそうです。
 ──昨年沖縄で遭遇した「清明祭(しーみー:お墓の前で一族が食事をする)」は、そこから来ているんですね。

 お彼岸に墓参りをするのは日本独自の風習なんだそうです。
 浄土思想の「極楽浄土は西方の遙か彼方にある」という教えから、春分・秋分に真東から昇り、真西に沈む太陽を礼拝して、ご先祖のいる極楽浄土(西方)に思いをはせるという習わしが定着したんだそうです。
 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉はとても納得できるのでよく使いますし、昼と夜の長さが同じころの季節感は、精神・肉体的にもとても重要であるように思えます。
 でも、リタイアされた方々がみずからの意志で「外に出てみようか」と思うのはお花見の時期でしょうから、お墓参りも中国や沖縄に倣ってこの時期にしてもいいのではないか、と思ったりもします。
 そんな違いを知ると、出無精になったお年寄りに対して「少し寒くても、お彼岸なんだから表に出てきなさい」と尻をたたくようにも思え、日本って厳しい国なのかも……
 いざ表に出てみれば「テレビで満開なんて言うから人が出ちゃうんだよ」という人の多さ等、都会では外出をためらう理由が他にも多いことは事実です。




  新宿御苑(Map)


 上写真左に見える赤・白・ピンクの花は、同じ幹から伸びた枝に咲いています。
 ハナモモという観賞用に改良された桃で、赤(平氏)と白(源氏)が同じ幹で競い合うように3色(ピンクは中間)を咲かせることから「源平桃」とも言われるそうです。
 その年の気候等によって赤白の色味の強弱が変化するそうで、年ごとに楽しめるんだそうです。

 キミたちサッカーに熱中してるけど、WBCはもう忘れちゃったの?(野球をやっている子どもたちもいます)
 切り替えの遅いおっさんは、何だか惰性でナイター中継見ちゃってるんですけど……

 新宿という場所柄でしょうか、子ども連れや海外の人が多く、そのせいか「happy spring day」という楽天的な明るさが感じられます。
 ご想像通りの混雑ぶりですが、敷地が広いので開放感は得られると思います。

 新宿の追記として、「末広亭」(落語の寄席)の前には、昼の部をやっているころから人だかりができていました。
 末広亭の前に並ぶ行列を見たのは初めてかも知れません。近ごろの落語人気ってスゴイんですね、驚きました……(隣にある洋食屋「あづま」も健在で、以前はよくビフテキをいただきました)
 地下鉄副都心線が開業した新宿三丁目駅付近の地下道が、ガラッとモダンに変わっていて驚きました。
 何度も通っている場所なのに、迷い人となりそうなリニューアルです(写真だけ見せられたら分からないと思う)。
 決していいイメージのなかった「新宿の地下道」も、チェンジが必要ということですね。


 お上に近しい印象のある、千鳥ヶ淵と新宿御苑を比較して思い至ったのは、千鳥ヶ淵で感じた「お彼岸感」というものは錯覚ではなく、靖国神社や戦没者墓苑等に眠るとされる方々に対して、お上からたむけられた(仕向けられた)追想場の「祭壇の花」なのかも知れない、ということです。
 戦争当時は軍用地だった北の丸公園を含む一帯を、どのように平和活用すべきかと思案した結論だったのではあるまいか?
 付近の桜は、戦没者供養のために国の支援を受けて守られているのではあるまいか?(現在のあり方を批判するものではありません)
 ボート乗り場では「1時間待ちです」の行列に並ぶ人が絶えないこと(にぎやかな場であること)を、近くに眠るとされる方々もよろこんでいると考え、遺族等の関係者が少なくなるこれから先も人が集まる場所であって欲しい、という意志とも受け止められます。
 現在ではそこまで考えているとしても、後から付け足したんだろうなぁ……

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