2009.4.11
【東京都】
三軒茶屋(Map)
この町の印象とは、情報誌「ぴあ」がまだ月刊もしくは隔週刊だったのころの、写真もモノクロでペラペラだった雑誌を小脇に抱えて、映画館に通った思い出になるんだと思います。
映画館(中央劇場、三茶シネマの2館)は健在でしたが、よろこぶ前に「大丈夫なの?」と心配してしまいます(応援の気持ちはあるのですが)。
そんな頃ここは「二番館」ではなかったか?
二番館とは、大きな劇場でロードショウが終了後に、人気の下火になった作品を2〜3本立てで上映し、1本分の料金もしくは低価格で観ることができた映画館(写真の看板を見るといまも2本立てかも知れません)。
館内が汚かろうが、椅子が堅くてお尻が痛かろうが、内容がゴッチャになろうが、全部観終えるまで何時間も夢中になってかじり付いていました。
高校・大学時代の、映画に熱中していたころには、二番館や名画座によく通いましたし、映画館をハシゴすることが楽しかったこと、思い出されます。
それがいまや「近ごろの映画は長すぎる」なんて思っているんですから……
駅前の一等地に当たる地域ですから、不動産屋が上写真を見たら「まだ空が見えてる。後ろの空間で商売しろ」なんて話しになるのでしょうか。
その場所には下写真のような、むかしから変わらない飲み屋街や、エコー仲見世商店街が営業を続けています。
開発推進派ではないのですが、さすがにこの場所は、将来もずっとこのままで存続できるとは思えません。
ジワジワと包囲網が狭まっているようですが、どうせ再開発をするならば虫食い的ななし崩しではなく、都市計画をきちんと立てて進めてもらいたいと思います。
東急世田谷線は、田園都市線の三軒茶屋駅と、京王線の下高井戸駅間を5.0kmで結ぶ、専用軌道を走る路面電車です。
開業当時は玉川線(現田園都市線とほぼ同経路で渋谷〜二子玉川を結ぶ)の支線だったそうです。
玉川線本線は国道246号線を車と走る併用軌道(道路上に敷設された軌道)のため、首都高速道路の建設と、地下鉄建設に伴い廃線となりました(当時は銀座線を延長する計画だったそう)。
少し寄り道しますが、当初の田園都市線は大井町線直通だったので(大井町〜溝の口)、渋谷へは行けなかったそうです。
そういえば以前、渋谷〜二子玉川間の地下部分を「新玉川線」と呼んでいたことがありましたね。路面電車時代のなごりを残そうとしたようですが、2000年から現在の名称に統一されたそうです。
もどりますが、世田谷線の線路は専用軌道であることと、繁華街を結ぼうとする等のルート設定により自由曲線となってしまい、都市計画や道路整備等に組み込むことができずに、むかしのままに存続されているようです。
以前は前身緑色の、愛きょうのある都電風車両(江ノ電へ譲渡されたものもあるそう)だけだったのですが、新交通システム風な車体デザインの、カラーバリエーションが豊富な車両に変わっていました(9種あるそうです)。
何だか、ユニクロかベネトンの電車が走っているようにも思えたのですが、見慣れてないだけなんでしょうね。
ガキのころ、むかしから色分けをしていた井の頭(いのかしら)線では「○○色が来た」と喜び、旧型の緑色の車両(京王電鉄もむかしは緑色:決まりがあったのかも知れません)が来るとガッカリしたものです。
いまの子どもたちも、そんな風に楽しんでいるのかも知れません。
松陰神社(Map)
駅名にもなっているのでご存知の方も多いかと思われますが、訪れた人は多くないかも知れませんね。
松陰神社には、長州藩出身で幕末の思想家である吉田松陰がまつられています。
神社は、松陰の墓所のあるこの地と、生誕地である山口県萩市にあり、学問の神とされています。
松陰が「安政の大獄」で処刑された後、高杉晋作等の松陰門下生の手で、当時長州藩主の別邸があったこの地に改葬されたそうです。
上写真の建物には「松下村塾(しょうかそんじゅく)」の看板が掛けられていますが、上記の理由からレプリカになります(掛け軸の絵は松陰の姿)。
ですが、高杉晋作がこの地にやって来たことは事実のようです。現在の東京を歩いても、長州藩関連の史跡はあまり目にしない気もしますし、晋作の名前を懐かしく感じたりしました。
それも当然のようで、徳川幕府が長州征伐の際にこの地も壊されたそうです。
明治になって木戸孝允(きどたかよし)等の手で修復されたとき、徳川氏(篤姫の関連は不明)から奉納された水盤(右写真)が墓前に置かれてあります。
別の場所には寄進された石灯籠が並んでおり、一番手が元藩主の毛利家で、伊藤博文の名前が続きます。
吉田松陰と高杉晋作、伊藤博文は師弟関係であったのですが、伊藤博文にとって晋作とは戦場で命を預けた上官のような存在だったようで、直立不動の姿勢をとったと聞きます。
初代総理大臣となった伊藤博文ですが、師たちへの敬意は忘れなかったようです(好感度アップで、旧千円札が1050円くらいになったか?)。
門下生たちの尽力により、松陰さんもその後は静かに眠っておられることでしょう。
豪徳寺(ごうとくじ)(Map)
駅名は知っているのに訪れたことのない場所シリーズではないのですが、小田急線・世田谷線はかなり利用していながらも、ここは初めてかも知れません(現在利用している東横線の祐天寺も行ったことありません)。
ここには、幕末期の大老であった井伊直弼(いいなおすけ)の墓があります。
天皇の許しを得られぬまま、アメリカとの日米修好通商条約に調印し、将軍後継者も自らの裁量で決するなど、さまざまな方面から反発を受けるも、反対する者たちを弾圧した事件である「安政の大獄」を断行した人物です。
そのため「井伊の赤鬼」と憎まれ「桜田門外の変」にて暗殺されます。
わたしも「悪政者」的なイメージしか持ってなかったのですが、昨年の大河ドラマ「篤姫」では、思い入れが可能な人物像として描かれていて、新たな直弼像に接した思いがあり、見事な人物造形であると(篤姫が持つ包容力の表現であったとしても)、とても印象に残っています。
「安政の大獄」で処刑された吉田松陰と、それを命じた井伊直弼の墓がこれほど近くにあるというのは、史実からうかがえる開国を迫られた中での幕府 vs 倒幕勢力という対立軸や感情論ではなく、結果的には「ニッポンをどげんかせんといかん!」という「志」においては、近しい存在であったからなのかも知れません……
豪徳寺(曹洞宗)には「招き猫」発祥の地とする言いつたえがあるそうです。
井伊直弼の先祖が、白い猫に招き入れられたおかげで落雷を避け、法話を聞かせてもらえたことをよろこび、ここを井伊家の菩提寺としたとのこと。
ここでは「招福猫児(まねぎねこ)」というのだそうで、招猫観音(まねぎねこかんのん)への願いが成就したら、お礼に招福猫児を納めるのだそうです。
その招福猫児は、右手を挙げて小判は持たないんだそうです。
「先生、ハーイ!」の姿や、「みんなで不況を乗り切ろう、オーッ!」という姿にも見え、小判を持った猫が「お金をおいで、おいで!」している様子よりも、感情移入しやすいように感じられました。
追記として、滋賀県の彦根城のマスコットキャラクターである「ひこにゃん」のルーツは豪徳寺にあるんだそうです。
井伊家は近江彦根藩主(彦根城主)ですから、上述の「手招きする白猫の伝説」の著作権は彦根にあるとも言える訳で、それを元ネタに作られたキャラクターなんですって(他にネタが無いというか、単にネコを使いたかっただけとも)。
理由はどうであれ、人気が出ればしめたもので、彦根城では子どもたちの「ひこにゃ〜ん!」の歓声がすごいんですよ。
世田谷八幡宮(Map)
豪徳寺や世田谷線の宮の坂駅が近くにあるので、付近の歴史を整理します。
1091年が世田谷八幡宮の起源とされ、1366年に現在の豪徳寺の地に吉良氏(赤穂浪士で有名な吉良上野介の先祖)が城を構え、1480年に豪徳寺の前身となる弘徳院を開き、1945年に宮の坂駅が開業したとのこと(駅名はこの神社脇にある坂の名前に由来するそうです)。なんて、どうでも良かったか?
ここは、以前の鎌倉の項に登場した源義家(みなもとよしいえ:八幡太郎)が、東北遠征の帰途に戦勝のお礼として宇佐神宮(うさじんぐう:大分県)の分霊をまつったことを起源とするそうです。
上写真は、沖縄の闘牛場のような観客席を備えた相撲の土俵になります。
以前ここでは奉納相撲が行われ、その勝敗によって作物の豊作・凶作を占ったそうです。
現在でも毎年秋の例祭には、東京農業大学の相撲部が奉納相撲を行っているとのことです。
「季節感を大切にする」ことは、農大の本来の使命でもあると思えるので、「大根踊り(両手に大根を持つ踊り)」以外の収穫踊りも創作していただき、農業従事者を元気づけると共に「旬の食材」をアピールしてもらいたいとも思います。
下高井戸(Map)
4年間通った大学のキャンパスがある町なので、さまざまな思い出もあるはずなのですが、かなり自分の中で風化している(記憶が途切れているって、寂しすぎ?)ことに気付かされました(相棒とルームシェアしていたのはとなりの松原駅の近く)。
──もちろん、その場に立つことでよみがえってくる記憶も多々あります。
バカ騒ぎして周囲に迷惑を掛けたであろうことは自覚しているのですが、そんな時期を過ごさせてもらったことへの、感謝の気持ちを忘れないようにしなければ、という思いになりました。
もうわれわれの花見は終わっていて、中学の同級生の娘さんがこの大学に通っていると聞くような年代なわけですから、次世代のために花を育てなければいけないんですよね。
この駅前にも、市場と称するアーケードや小さな商店が密集している一画があります。
以前は迷路のようだったのですが、いまではそれも短くなりすぐに抜けてしまうと、ガラーンとした空き地が広がっていました。
ここも、もう風前のともしびなのかも知れません。大きな商業施設を作るほどの面積はありませんから、マンションか?
線路の反対側には以前、上述の三軒茶屋の映画館以上にボロボロな劇場がありました。上映中にネズミが走り回るし、トイレのニオイが客席まで漂ってくるような映画館で、大島渚の『愛のコリーダ』を観た覚えがあります。
さすがに建て替えて、上はマンションになりましたが、ビルの中で映画館はいまだに営業を続けていました。
時と共に利用者の要望も変わっていくわけですから、商売のやり方にも工夫が必要になってくるのだと思いますが、大切なのは「スピリット」であり、町を愛する気持ちであることを、感じさせられた気がします(学生は騒がしいが、住みやすい町ですもの)。
三軒茶屋も、下高井戸も、近い将来に大きな変革が押し寄せてくるように思われますが、その後に「キレイになったけど、昔と変わらないねぇ。また来るよ!」と言えるような変化であることを、期待しております。
──と書いていて「下北沢も変わっちゃう」ことを思い出したので、次回行ってみます。
※同窓会通信:「ちえ」「きくや」は健在、「アイアン」は消滅、以上。
──むかしよく通った飲み屋の消息です。
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