2009.4.24
【東京都】
都電荒川線(Map)
「次の電車が近づいてきたので、間もなく発車します」のアナウンスで、おもむろに始発の早稲田停留所を出発します。
都電荒川線では、昼間の運行ダイヤは決められておらず、電車間隔を感覚で(?)見計らいながら運行されているようです。
遠足でしょうか、幼稚園児がウジャウジャ乗っていた電車は満員で、乗降に時間がかかりますから後ろの電車は詰まってしまいます。
そこは心得たもので、先行電車との間隔を開けるように時間調整しながら運行していたようです。
団体の、特に子どもたちの引率者とすれば、みんな同じ電車に乗せたいでしょうし、そんな気持ちも理解できますから「混んでいるなぁ」とは思いながらも「気をつけてね」と、手を振っています。
利用者たちは、都民の足としてゆずりあって利用しましょう、という基本理念を承知しているんですね。(だって、しょうがねえだろー
)
仕事で利用していたころ、時間に余裕を持って乗るんですが、早稲田で降りたときはいつも急ぎ足になっていたこと思い出しました。
乗車すると意識から時間感覚が消え去り、時間の概念から解放された錯覚をするようで、降りた瞬間に現実に引き戻されます。
その時、天使のわけまえ(ワインやウィスキーの熟成中に樽の中身が少し蒸発すること)のように、何分か縮められたような気がしたことがあります。
仕事中はoffモードになってはいけない、という忠告なのかも知れません……
そんな「効率を求めないシステム」で運行している限り、利益は上がらないとは思われますが、利用者にとって最大の魅力とは運賃の安さとも思われます(都電全線160円、都バス23区内200円)。
同じ行き先で単純に利用運賃を比較すると、安価な鉄道、高価なバスとなりますが、設備等にかかる経費は鉄道の方が高価ですから、都側にすれば効率的とは言えません。
ですが、鉄道路線が少ないためバス路線のとても多い京都市内では、LRT(Light Rail Transit:軽量軌道交通)方式等の公共交通システムの導入が検討されています。
京都のそれは「京都議定書:地球温暖化防止京都会議」がはじめにありきとしても、エコを目指しています。
だからといって東京が「非効率でもエコを目指す」都市になるとは思えませんが、この路線を存続する姿勢だけでもアピールできればとは思います。(右上写真2枚は大塚駅前停留所)
庚申塚(こうしんづか)停留所(Map)
巣鴨の地蔵通り商店街にある喫煙スペースで、近所のおじいさんのお話しが聞けました。
「むかし住んでいた尾久(おぐ:荒川区)周辺には下町の人情があったが、この付近にはまるでない。荒川線に縁があって近所に住んでいるが、こんなに違うのかと驚いた」と、長屋暮らしについて話してくれました。
いったい、どの辺りにその境界線があるのでしょうか?
時代もあるのでしょうし、「豊島区じゃ、道路でタバコ吸ったら罰金取られるんだ」に込められた不満(罰金取られたのか?)があるのかも知れません。
「おばあちゃんの原宿」などと言われますが、「とげぬき地蔵: 高岩寺(こうがんじ)(曹洞宗)」前の「巣鴨地蔵通り商店街」は、全長800mくらいですが、どこの店にも活気があるのでお年寄りが楽しく散策できそうですし、景気の悪さを忘れさせてくれる明るさを提供してくれます。
右写真は「洗い観音」で、自分の具合の悪い個所をなでると快方に向かうとされ、参拝者のお目当てになります。
この像は2代目になり、以前はお地蔵さん的なフォルムをしており、タワシでゴシゴシやられたおかげで「多分この辺りが目だろう」というような姿(顔面周辺の損傷が激しかった=よくなりたいと願う人が多い)だった記憶があります(現在はタワシ禁止のようです)。
飛鳥山停留所(Map)
飛鳥山公園は桜で有名ですが、渋沢栄一(日本資本主義の父と言われる)旧邸の保存展示や、博物館、展示館が3つもあります(入りませんでした)。下写真は旧邸で、近ごろ好きなガラスの写り込みとその奧に見える絵です。
江戸時代の桜の名所は上野だけだったようで、花見時期には風紀が乱れること(むかしから発散の場だった?)を憂いた徳川吉宗が、庶民向けの桜の名所として整備したんだそうです。
都電荒川線は、元の王子電気軌道を東京都(当時は東京市)が買収したそうで、専用軌道を持つ路線だったため、都電の全面廃止に際しても残されることになったそうです。
路面電車とは「道路上に敷設された軌道(併用軌道)を走行する電車」とあり、併用軌道とされる区間は右写真の王子駅前〜飛鳥山間しか残されていないのに、荒川線は路面電車とされています(駅ではなく停留所と言います)。
しかし江ノ電も、江の島〜腰越間に併用軌道があるにもかかわらず、路面電車ではないそうです(確かに駅と言います)。
また、併用軌道内においての振るまいが荒川線の場合は、自動車と同等に扱われています。
地方の路面電車(長崎・函館等)では、軌道上に車がいたら「そこのけそこのけ、電車が通る」のごとく、警笛を鳴らして追い散らして電車が走った記憶があります(違ってたらご指摘下さい)。東京ルールがあるんでしょうかね。
われわれも「チンチン電車」と呼んだりしますが現在その鐘は、発車前に乗車・降車用両方のドアが閉じた際に2回鳴らすんだそうです。
以前は車掌さんが運転手への合図に鳴らしたそうですが、今どきはワンマンカーですから、乗客への合図的なもののようです。
それでものうのうと歩いてきて、ドアを開けさせて平然と乗り込んでくるおばさんがいます。
その時に鳴らされる「チンチン」は、その乗客へのアピールだと思っています……
王子駅前停留所(Map)
飛鳥山公園付近で武蔵野台地の高台「山の手」から、隅田川・荒川の流れる「川の手」に下り、汚水のたれ流し問題が発覚した王子駅に至ります。
──そういうことをきちんとやっておかないと、豚インフルエンザ等の感染拡散源となる危険性があります。ニュースを見ていると、われわれは『感染惑星』という映画の中にいるようで、不安が現実になるのか? そんな戦慄に襲われてしまいます。
この辺りを、巣鴨のおじいさんがいう「人情の境界線」と考えるととても分かりやすく、「山手」(高台)に対する「下町」(低地)という、まさに地理的分類の境界と共に実感できます(語源としても、地形区分から線引きされたそうです)。
江戸時代には、軍事上の理由から大名屋敷等は台地上に建てられ、周辺にその家臣の武士等が住み、庶民たちは運河や水路が発達し、商いが盛んな低地である下町に暮らしたそうです。
そこで生活したことがないので分かりませんが、下町を歩いていると「暮らしやすいんだろうなぁ」という、空気を感じることができます。
便利な場所じゃないが、それは不便じゃない。禅問答のようですが、それを「必要としない」なら、不便という認識は生まれません。
しかしおじいさんのように、荒川区にあって、豊島区にないものを「足りない」と感じた人には、不便極まりない地域(巣鴨付近)ということになってしまいます。
栄町停留所(Map)
停留所近くにある、東京書籍印刷のかまぼこ屋根の工場を眺めた後、JR東日本の尾久車両センター(車両基地)付近に何か面白い絵はないかと、歩きました。
しかし巨大車両基地ですから、行けども反対側に横断する道がありません。
戻るのはシャクなのでかなり遠回りになるのを覚悟しつつも、尾久駅に通じる地下通路を発見したときは胸をなで下ろしました。
汚れているのかと思ったら、とても清潔感のある地下通路で驚きました。
近隣住民の方々の生活道路であると同時に、JRの職員も途中の扉から出てきましたから、24時間利用者がいるのでホームレスも居座れないようです。
「上野発の夜行列車」の整備場も必要なので、この巨大な車両基地の移転は難しいかと思われます。
フェンスには、あきらめ半分の「今世紀中(21世紀)の不便解消は実現できないのか?」の、小さな看板が見えたりもしました。
線路に囲まれたこの地域に対する提案としては、横断(地下)通路は増設できるように思いますが、納得できない場合はJRに買い上げてもらって移転するくらいしか思いつきません。
荒川車庫前停留所(Map)
ずっと昔(1977年)、NHKドラマ「男たちの旅路」シリーズ(山田太一作、鶴田浩二、森田健作、水谷豊、桃井かおり等が出演したガードマンの物語)に、老人たち(笠智衆、殿山泰司、藤原鎌足等)がこの車庫内の電車に立てこもるという、いまでも印象に残っている作品がありました。
ここは、上述のJR東日本の車両基地とは比べものにならないほど小さく、5分で一回りできるような規模です。
老人たちの社会への反抗がテーマでしたが、それをこんなにも身近な存在であり、愛着もあったであろう都電のこぢんまりとした車庫で実行したという設定が、その現場に立って初めて実感できましたし、その老人たちの節度を感じさせてくれ、再見したくなりました。
──シリーズには他にも、車いすでの移動が必要な方たちを描いた作品もあり、バリアフリー化が進む町の様子を目にするたびに、思い起こしたりしています。見てない人には何のこっちゃ? ですよね……
その後三ノ輪橋停留所まで行き、ジョイフル三ノ輪商店街にて、昔から変わらないであろうラーメンを食べて(スープ美味しかったです)、帰途につきました。
──近ごろ「キレイぢゃない中華料理店」(歴史がありそうの意です。失礼!)で、昔ながらのラーメンをいただくことを、とても楽しみにしています。あまり期待できませんが(また失礼)、サッパリした醤油味で具も最小限なので、夕飯までのつなぎにはなります。
前回までの山の手側は、どこも開発の手が迫っていて落ち着いて暮らせない気がする、などと巣鴨のおじいさんに話したら「人情の厚みが違うんだよ。下町だって先はわからんよ」の答えが返ってくるような気がしてきました……
以前、朝日新聞の地域面のタイトルが「川の手」であることに疑問を感じたと書きましたが、それが「ステータス」であることを、ようやく理解できた気がします。
上野や神田は境界線上ですが、下町側の威勢が良かったでしょうし、浅草や深川はバリバリの下町であるということが、その境界線をまたいで比較することによって実感できた思いがしました。
──行程中に車窓の景色が変わる様子を見ていると、自分の意識も変化していることを、感じられた気がします。
別れ際にわたしの「どうも」の後、おじいさんに「ごめんください」と言われ、「お気をつけて」くらい言えないのか、この出来損ないが! と思うも後の祭り。
「日々是精進ですよ、中年の兄ちゃん」と喝を入れられた気がしました……
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