2009.4.5
【東京都】
小金井公園(Map)
以前、花小金井(小平市)で暮らしたことがあり、そのころに訪れた小金井公園の桜のインパクトが忘れられずにおり、ようやく再訪がかないました。
ここは都立公園では最大規模の敷地だそうで(立川の昭和記念公園は国営)、砧(きぬた)公園と同じく紀元2600年記念事業(1940年:昭和15年 神武天皇即位紀元2600年を祝う行事)で計画された「小金井大緑地」が始まりとなるそうです。
桜と並びインパクトのあるのが「ツツジ山」で、小高い丘を花が埋め尽くす光景は見事です(見頃は数ヶ月後)。
当時は「それで地名を花小金井にしたのか」なんて思っていました。
テポドンが上空を通過しようが(この日でした)、近眼の日本人(?)の焦点は桜の花に合わせられており、上空を見上げても「雲ひとつない日本晴れ」と、「くしゃみ」か「あくび」をしていたのではあるまいか。
意図的に日曜日を狙ったのですが、まさしく「桜の満開の下の狂宴」が繰り広げられていました。
花の下は巨大な宴会場で、飲んで、食って、騒いで、酔っぱらってしまえばホコリっぽさなどは気にせずに、高いびきです。
お花見で騒がなくなって以来、そんな人込みに近寄らなくなりましたが、写真を撮るためには群衆の中に入る必要があります。
人物観察を目的にすることで、我慢できるようになってきたようです。
ここは東京都の管理する公園施設で、イベントを主催しているためかゴミ捨て場にも担当者がいて、量が多いので山積みになってますがきちんとまとめられています。
宣伝するわけではありませんが、これならゴミの心配もせずに安心して飲めるというものです。
品は悪くないと思うのですが、比較対象は上野公園であること自体が怪しく、結局「どこも一緒かぁ?」となって、「飲まなきゃソンソン!」という分かり切った落ちになってしまいます……
まだ花の盛りなのに、花びらで散るのではなく、花の形のまま地面に落ちているものを見かけたことはないでしょうか?
TVで見たのですが、あれはスズメが、がくの部分から切り取って裏側からミツを吸ったものが落ちているようです(子どものころツツジなどのミツを吸った要領)。
一般的に花というものは「甘いミツ」でミツバチ、虫、鳥などを呼び寄せ、受粉の手助けをしてもらうわけですから、これでは桜も迷惑であろうと調べてみると「ソメイヨシノは受粉して種ができてもそこから発芽はしない」とありました。
それは、エドヒガンとオオシマザクラの交配から生みだされた園芸品種なので、増やすためには人の手で接木(つぎき)や挿し木する必要があるからだそうです。
でも、手間のかかる品種が何で全国的に広まっているのかというと、江戸時代末期に育成され、当時から若木でも花をつけることが好まれたらしく、明るさが求められていた戦後の焼け跡にこぞって植えられたことで、全国区となったんだそうです。
戦前のことであれば、また大日本帝国の策略かと疑いの目で見たかも知れませんが、戦後の希望の象徴であると聞けば、より一層愛着が増してくる気がします。
しかしこれは、人の手によって作られた品種で、元をたどれば「最初のソメイヨシノのクローン」とも言えるわけです。
どうも、クローンという言葉の響きって好きになれません……
敷地内には「江戸東京たてもの園」という、レトロな建造物を集めた施設があります。
むかしは「なんだぁ〜」程度の規模だったのですが、かなりの存在感になっていました。
以前、千住にあったという銭湯が保存されているのにビックリ(価値の高い建造物だそうです)。銭湯が博物館入りする時代なんですねぇ。
いくら保存建造物であっても、習性として男湯に入りますよね?
これまた習性として、センターミラー(番台前の仕切りにある大きな鏡)越しに聞こえるにぎやかな声が気になり、番台前の扉を開いてみたい衝動に駆られたりしますよね? そこを通ってきました。
その扉の向こうでは、もちろん服を着た女の子たちが走り回っていました。
そして番台に上がりたい願望を持つ男子も多いんですよね? それはNGで、上がれないようになってました……
まだ明るいうちから、お父さんが子どもに「夜桜もあるから、まだ長いぞ〜」と。
元気というか、これが桜満開の効能でテンション上がるのでしょうが、お父さんの方が夜更かしを楽しんでいるようです。
明日は月曜日ですよ〜!
ここはなじみのある場所なので気軽な印象があるものの、最寄り駅(西武新宿線 花小金井、中央線 武蔵小金井)から結構遠かったりします……
2009.4.7
井の頭(いのかしら)公園(Map)
久しぶりです。「花見」という理由にかこつけて、昔なじみだった店の扉を開けた、という印象でしょうか。
ここはテレビドラマ「俺たちの旅」(中村雅俊は五十嵐淳子、田中健は古手川祐子ですが離婚、秋野太作は一時太地喜和子と結婚してたんですって! 金沢碧さんのサインいまでも持ってます。なんてタイムトリップしてしまいます)の舞台となっており、そんな世界にあこがれたこともあり、学生時代によく遊びに来ましたし、野郎同士の共同生活(先斗町で飲んだヤツと松原で、いまどきのルームシェア)をしてました。ちなみに、アパートの隣の部屋も、美容師修行中の野郎2人の共同生活でした。
上写真は、ドラマのタイトルバックにも出てきた井の頭公園駅脇の鉄橋で、当時は太鼓橋的な構造物だったのですが耐震補強のためでしょうか、その空洞部分がコンクリートで埋められていました。
おかげでテニスの壁打ちがしやすくなり(これもタイトルバックの絵にありました)、この日は子どもたちがやっていました。
そんな残像も薄れてきたこのごろですが、中村雅俊の長男が大麻所持で逮捕され、人もうらやむ夫婦と言われながら、幻想が崩れ落ちてゆく団塊世代の実態を目にしても、あまり驚かないのが昨今の社会のようです(そんな話しが多すぎます)。
東京の山の手といわれる地域には、武蔵野台地といわれる平坦面が広がっていますが(皇居や上野公園もその高台にあるそうです)、川の浸食などで削られた場所(崖線:がいせん)付近では、その斜面から湧水がよく見られます。
国分寺や等々力渓谷などで顕著ですが、赤坂、渋谷のような「傾斜地」を想起させる地名の場所でも、以前には湧水があったことと思われます(明治神宮には現在も湧水があります)。
ここは吉祥寺の駅側から見ると少しくぼんだ場所になり、むかしから「七井の池」と呼ばれる湧き水の豊かな地だったそうです。
その水を江戸市中で利用しようと、神田上水が作られ現在の神田川となっています。
銭湯が博物館入りでは、かぐや姫の「神田川」(小さな石鹸 カタカタ鳴った)の情景も、完全に「懐メロ」の世界になってしまいます……(ジジイになったということです)
ここには「井の頭自然文化園」という都立動物園が隣接しています。
高校時代の同級生が女の子に「井の頭動物園に行こうよ」と誘っていたことを、とてもやり手と感じたことがあり(イケメンじゃないんだけど)「そんな情報を仕入れなければ!」なんて考えたことを思い出しました。
いまとなってみれば、近所の子ども連れが陽気のいい日に、散歩に出かけるような施設なのですが、当時は「どんな場所なんだろう?」と興味津々だったんでしょうね。
吉祥寺の町も久しぶりに歩きました。
大きく・小さく変わった場所はありますが、基本は変わらない印象でした。
公園そばにある、やきとりの「いせや」はビルになっていましたが、これものれんを守るための方策なのでしょう。
駅前の「ハモニカ横町」は健在で「サトウのメンチカツ」の行列が相変わらず町の風景であることに、昔にタイムスリップしたような錯覚すら覚えます。
この地は、学生時代だけではなく、上記の花小金井在住時にもよく来ていたことを、町を歩くにつれて思い出してきました。
「ココ、昔からあった!」と、吸い寄せられるように入った店でオムライスをいただきました。手の込んだ「大人の味」でした。
狭くて、ゴミゴミして、オシャレで、若者も多いのですが、渋谷などと違って「ガキ向け」ではない、むかしから「大人の町」だったからこそ、足しげく通っていたであろうことを再確認できました。
現在の住まいからはちと遠いんですが、機会があればまた通いたいという気持ちが高まってきました。
「いせや」の焼き鳥で一杯、行きませんか?
●おまけ ジブリ美術館
この日は休館日でしたが、ここは完全予約制らしいのでどちらにしても入場はできません。
ロボット兵(『天空の城ラピュタ』に登場)には花が似合と思うので、もう少し飾ってあげてもいいと思いますが、まだ季節が早いのかも知れません。
バス通りに面しているのではなく、森の中にあって欲しかった気もします。
2 件のコメント:
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