2013.7.14【東京都】──大江戸線を歩く_9
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前回歩いた後で気になる場所を見つけたので、上野から別ルートで本郷台地にアプローチしました。
無縁坂(Map)
身近な時代でここが注目されたのは、グレープ(さだまさし、吉田正美 )『無縁坂:1975年』発表時と思われますが、関心が無かったため旧岩崎邸庭園までは足を運ぶも、縁のない場所でした。
坂の上にあった無縁寺に由来し、森鴎外の小説『雁:がん』主人公の散策路として登場したらしいが、もう忘却のかなたです(鴎外は千駄木に暮らした)。
無縁坂の上に医学部の門を構えた意図には、医学は技術だけではない、との戒めが込められるようにも受け止められます……
上・右のレンガ塀は旧岩崎邸庭園のもので、坂沿いの塀もきっちり作られています。
東京大学医学部付属病院(Map)
坂の上にある、東大医学部の正門とされた「鉄門」は現在、東大病院の通院門とのおもむきがあります。
東大病院付近は初めてで、天皇退院時のニュースで目にしたエントランスを探すも見つけられません。特別な場所があるのだろうか?
確かに古くさいですが、歴史ある施設で研究できることに感謝すべきと思ったりします。
分野はさまざまでも、それぞれの「研究史における自分の立ち位置」確認に最適の施設であるはずです。
わたしよりむさ苦しい?(服装に無頓着な)人がフラッと出入りする様子はらしくあるも、IPS細胞研究の山中先生(京大)は違うはず、と思ったりします……
炭団(たどん)坂(Map)
近くの宮沢賢治や樋口一葉の旧居跡周辺には、現在も面影が残る住宅密集地(大型車通行不可)が健在です。
遭遇した引越しの作業は、トラックが入れないため搬出〜階段下、階段上げ〜積み込みの分業でも大変そう。
谷筋に密集する家屋の印象から、出自はバラックか? と思うも、室町時代から湯島本郷とされる歴史がゆえに、身動きが取れなくなってしまったようです。
名称の由来には「炭団(木炭、竹炭の粉末を団子状にした燃料)屋が多かった」「北向きの急坂で転落すると炭団のようになった」などの説があります。
こんにゃくえんまさま:源覚寺(Map)
「こんにゃくえんまさま」は目の神様で、さい銭箱にも「め」の文字があります。
目を患った老婆の願いに、えんまさまは自らの右目を与え、お礼に老婆の好物であるこんにゃくを供えたことに始まるとされます。
現在のこんにゃくはビニール包装とはいえ、夏場は毎日下げるのでしょうね。
この日わたしは「えんま通り商店街」のひさしに、夕立から救われました。感謝!
文京シビックセンター:文京区役所(Map)
上は1999年旧文京公会堂(『8時だョ!全員集合』にも使われた)跡地に建設された文京区庁舎(シビックホールを含む)で、26階建て(142m)の建造物。
議場が24階にあり、天上で下々の悩み事を聞いてやる、というスタンスに感じられ、丘陵上にある東大も見下ろす高さが「必須要件」だったようにも思えます。
頭頂部は特撮モノの基地のようで、ビルから戦闘機が飛び立つ『ウルトラマン』の科学特捜隊本部を想起しますが、まるで違いました。
庁舎の廊下でドナルド・キーンさん(米国出身の日本文学研究者 北区在住 92歳)をお見かけしました。
お元気そうでしっかりとした足取りですから、まだまだ思いの丈を「大好きな日本人」にお聞かせ下さい!
文京区名誉区民の写真に、高野悦子さん(岩波ホール総支配人 2013年没:わたしにとって映画学校の校長先生)を見つけ、しばしよみがえる思いにひたります。
岩波ホールは千代田区でも、住まいは文京区だったらしく、地下鉄三田線つながりや地域性としてこの地で出会う高野さんには、しっくりくる印象がありました。
右は眼下の、東京ドームシティ アトラクションズ(旧後楽園ゆうえんち)。
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