この日は、西武新宿線 武蔵関駅から西武池袋線 石神井公園駅に向かいます。
武蔵関駅前の本立寺(ほんりゅうじ:日蓮宗)で墓地販売の方に、毎年12月9・10日に開かれる「関のボロ市:1730年代から寺の門前で開かれる」の自慢話をうかがいます。
師走の風物詩として毎年10万人もの人出があるらしく、のぞいてみたいも今年は平日なので難しそう。(写真なし)
季節感ある催しの大切さを実感するようになったのは、京都で現在も実践される「暦に従う暮らし」の理にかなった営みを目にしたおかげです。
遠くからも目に留まる立派な巨木に引き寄せられると、歴史を感じる家の前に大きなアンテナ群が並びます(分家らしい)。
空・宇宙に何を求めているのだろう? アマチュア無線を思い浮かべるも、施設の効果がどれほどか聞いてみたい気がします。
三宝寺(真言宗)
ここにも目印となる大木があり、石神井公園三宝寺池の主とされるようです。
高野山金剛峯寺(こんごうぶじ:真言宗総本山)で目にした根本大塔(右)もあり、寺の存在感に驚きました。
室町時代の付近に石神井城、としまえん付近に練馬城を築き、石神井川流域を支配した豊島氏が、川沿いに「真言宗:空海の教え」を広めます(田無の總持寺は末寺)。
豊島氏滅亡後(室町時代の乱で太田道灌に敗北)石神井城跡に移転し、徳川家から保護されます。
道場寺
三宝寺に隣接するこの寺は、鎌倉幕府崩壊後に豊島氏の養子とされた、元執権北条高時の孫が建立した禅寺(曹洞宗)。
政治の実権は京都に戻るも、関東では豪族同士がつながりを強めていたようです。
名称通り本堂は座禅道場のような横長の建物ですが、のぞこうにも「早朝座禅会に1ヶ月は継続できる人」とありますから、門も叩けません。
でもそれを習慣にできたら、心も体も浄化されることでしょう……
石神井公園
右の写真ならカワセミと分かりますよね?
止まり木は、散策路からほどよい距離に設置した人工施設のようで、普通はこんなサイズで撮れる距離にいませんし(拡大せずトリミングだけ)、バックも緑でGoo!
人目も気にせず、まさかの水中ダイブも披露してくれますから、「カワセミショー」の舞台を気に入ったようです。
清流に棲み「青い宝石」とされる鳥が、身近な池で活動するようになったのは、舞台装置や環境改善とは別の要因があるような気がします。
元の生息地の環境が変化したため「ここでもいっか…」との妥協や、公園には天敵となる大型の鳥やヘビが少なく、隠れ場所が多いためかも知れません。
石神井公園は初めてですが、三宝寺池の野趣にあふれる雰囲気を楽しめました。
三宝寺池(上2枚)では自然を残そうとしますが、下流の石神井ボート池(三宝寺池からの水をせき止めた人工池:下)には、不動産開発の成果(?)が見て取れます。
池の北側(南側に池を望む)には、湖岸の道を挟んだ場所に住宅が立ち並び、窓からは庭のように池を見渡せる、あこがれてしまう立地となっています。
大きな家が並びますから、人工池の建設は大成功だったようです。
趣向の違う二つの池それぞれの湖岸で「秋色」を味わうことができました。
武蔵野三大湧水池「善福寺池:まったり出来る」「井の頭池:自由空間」と比べ湖岸は狭いが、埋め立て(整備)せずボードウォーク等の設置で、武蔵野の姿を残そうとする姿勢に好感を持ちました。
追記──健さんの追悼番組に「喝をいれられた」一週間
オヤジを自覚し始めると「もういいんじゃないないの」と思ったりするが、健さんが83歳までキチッと全うした姿勢に、「男のカッコ良さ」を再認識しました。
彼が強調した「生き方」とは、最期に振り返る際「恥ずかしくない生き方が出来たか?」、を目指す哲学のような「生き様」と思われます(それが男の理想!)。
「成す」ことではなく「生き方を通す」ことであれば、ビジョンを抱けない自分にもできるはずと、勇気をもらいました。
宮澤賢治のような「そういう男にわたしはなりたい!」の気持ちが萎え始めた者に、「男だろ!」の喝をいれられた気がします……
映画『幸福の黄色いハンカチ:1977年』を再見し、「かたぎ」となって間もなくチャーミングな側面を披露したことが、役者の幅を広げたようにも……
育ちの違う同い年の二人(山田洋次監督、健さん)が、脂の乗った40代に出会うめぐり合わせが、見事な映画を生み出したのではないか(うちのオヤジも同年代……)。
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