2015/06/22

素通りできない鬼子母神(きしもじん)

2015.5.30【東京都】──「神田川を歩く_23」

 目白を歩くのに「雑司ヶ谷 鬼子母神は素通りできない!」と機をうかがい、今回は裏からアプローチします。




雑司ヶ谷 鬼子母神

 鬼子母神の背後には妙見菩薩の拝礼所があり、土鈴の絵馬がかけられます。
 右の絵柄はザクロで、たくさんの実が詰まることから子孫繁栄の象徴として図案化されたもの。
 鬼子母神自身は子だくさんで、我が子を育てるために近所の子どもを食べたという言い伝えは疑問ながらも、「安産・子育の神」とされます。
 正式には「鬼」の上の点が無い「角の無い鬼」の文字を使うのは、改心した鬼を表すとのこと。
 改心した鬼は人を裏切るまいとの安心感か、境内の駄菓子屋を含め、精神安定剤のような一画に引かれます。

 境内を「唐十郎の紅テント」(右)に提供するのは、祭礼時に出店や見世物小屋を招致する流れなのか?
 新宿花園神社に出没した「状況劇場」から「唐組」に看板を替えましたが、実物を目にしたのは初めてか?
 昭和遺産という印象があるも、「出る杭は打たれても納まらない」と、現在も体を張っているようです。
 「汚ない」「中は暑そう」と感じるも、場内が冷暖房完備だったら入らないだろうと、生身が向き合う状況を想像したりします(演劇は未見)。

 普段は寺社の参道並木を、聖域に入る際のお清めと感じますが、この並木の印象は「ただいま」「久しぶり!」と知人に再会し、「変わらずで何より」とホッとする気分に似ています。
 その先は人々の暮らしに通じるので、生活感の多様さを未知との遭遇として受け止められれば、とても楽しめそうな空間に思えます。
 参道並木の大木が残され、人の落ち着ける道幅(間合い)が昔と変わらないおかげで、下町より少し距離感を保つ町並みには、人ごみとは違う「活気」が感じられます。



 並木が絵になるのは微妙な起伏によると気付きましたし、都電の線路も平坦でない方が絵になります(上は「鬼子母神前停留場」付近)。
 都電の沿線風景はどこも落ち着く印象があり(下町方面のゴチャゴチャにも味がある)、今度は都電荒川線を「各駅停車の旅」で踏破してみたい、と……


日無坂&富士見坂


 自転車を押して左の日無坂を上り、右の富士見坂を2人乗りで下る、映画『東京兄妹(YouTube)』(1995年 市川準監督)の舞台。2014年7月初DVD化を知り早速借りました。
 両親を亡くした兄妹が鬼子母神近くでひっそりと暮らす日々の物語。
 近所の人々に見守られながら、両親の暮らしぶりをなぞり役割を果たす二人だが、成長と共に妹は巣立ちの準備をはじめ、夫婦のような兄妹の暮らしに終わりが近づく……
 市川監督への思いを馳せながら(亡くなられた監督の公式ページがある)、「冷奴は木綿豆腐にかぎる!」を再認識します。


水稲荷神社

 右は早稲田大学隣接の「水稲荷神社」裏のお稲荷様。
 由緒に神木の根元から水が湧き出したとあり、甘泉園公園(元徳川御三卿の清水家庭園)に隣接するため湧水がありそうだが、移転してきたためこの地のことではない。
(暗くて使えない写真ながら…)

 対岸の目白台側にある芭蕉庵隣の「水神社:すいじんじゃ」は、神田川に設けられた堰(関口の由来)と取水した神田上水の安全祈願として祭られるなど、川の両岸とも水への関心の高い地域だったようです。


早稲田大学

 大隈講堂前では、演劇関連サークルとおぼしき連中がヒーロー物的なコスプレ衣装で騒いでいます。
 理解不能+情けなくも見えるので、ここは総長に「大魔神」になっていただきたい! と思ったり……


追記──NHK 木曜時代劇「かぶき者 慶次」終了

 「かぶき者」として取り上げられる戦国武将の前田慶次に関心はあれど、大河ドラマ等の表舞台に登場しないため、機会を待っていました。
 設定を老境とし藤竜也を据えたのは大正解で、奥方の江波杏子からも老い先短い「覚悟」の空気感が伝わります。
 「かぶき者」の本質は武士の根幹である「義」にあるようです。「義」を貫く姿勢は、奇妙に見えても道理が通れば納得できるもので、それを自己流で通したことが「かぶき者」と受け止められたのではないか?
 市中を歌舞伎役者の如き「かぶき者」姿で歩く藤竜也の様は、「道理」を越えた「度量」で挑む「武士の美学」のようで、スカッとするカッコ良さがあった。
 現在「度量勝負」から生まれるものは限られそうですが、男なら挑むべきではないかとも……

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