2015/06/08

のれんの花咲く川辺──中井〜目白

2015.5.23【東京都】──「神田川を歩く_21」

 今回は、江古田(えごた)川との合流地点下流の妙正寺川を歩きます。



妙正寺川第二調整池


 江古田川との合流地点すぐ下流に、以前歩いた妙正寺川第一、第二調整池があります(哲学堂公園の対岸)。
 住宅街を流れる川の合流地点では豪雨時に雨水が集中するため、氾濫に備える調整池が運動場や公団住宅の階下にまで設けられます。
 前回は「限られた土地の有効活用」と感じたが、今回川沿いを歩き各地区の洪水被害に接してみると、これじゃ足りないのでは? とも。
 当初、都の計画「30mm/h:1時間あたり30ミリの降雨」対応中に、50mm/hを求める声が高まるも、2005年には112mm/hの集中豪雨に襲われました。
 当面の課題対処で精一杯の現状では余裕を持つことは難しいため、流域住民に備えが求められるのは仕方ないのか?


林芙美子記念館


 林芙美子と言えば『放浪記』=森光子さんのでんぐり返しですが、ニュース等で拝見するにとどまります。
 映画『浮雲』(1955年 成瀬巳喜男監督)では、高峰秀子さんの「誰かおやりになれるんでしたら、やってごらんなさい」という演技にブッ飛び、小説にも女性の「生命力」が注ぎ込まれた文章に圧倒され、現在も手放せず本棚に並びます。
 ちょうど蔵の中で朗読会が開かれていたが、執筆された家で感情を込めて語られたら立ち上がれなくなりそうと、腰が引けました……


染めの街(西武新宿線 中井駅周辺)


 神田川・妙正寺川流域には江戸時代からの染色技術が伝えられ、昭和30年代まで京都・金沢に並ぶ染色関連業の三大産地とされました。中井駅付近の妙正寺川沿いでは、いまも技術を受け継ぐ職人・作家たちが活動を続けています。
 その地場産業を盛り立て、 落合・中井を「染めの街」として発信する「染の小道プロジェクト(PDF 見事です)」が2011年に立ち上がります。
 反物が妙正寺川を飾り、商店街店舗の軒先に「のれん」の花が咲く姿を想像すると、一度足を運ばなきゃ、と思いはじめています……



 アトリエ跡が復元され、2013年にオープンした施設。
 記憶に無い名前ですが、新宿中村屋主人の相馬愛蔵に気に入られ、現在も中村屋サロンに作品が残されます。
 当時の画家は夭折(ようせつ:早死に)が多く(享年37歳)、彼の絵にもエキセントリックな印象を受けたのは、欧米化を目指す時代の重圧まで、芸術家は内面に抱え込んでいたからでは、とも。

 佐伯祐三のアトリエ同様、明かり取りのある部屋に暮らしたら、「何かやりたい!」と思えるかも?



目白の土地開発について

 現在の中落合付近は、箱根土地(株)(現(株)コクド:創業者の堤康次郎は、西武流通グループ代表 堤清二、西武鉄道会長の堤義明の父)により「目白文化村」として開発されます。
 当時「東急 vs 西武戦争」とされ、東急の五島慶太が手がけた田園調布開発とほぼ同時期だった事からも、ライバル関係だった様子がうかがえます。
 両者の開発を後押ししたのが関東大震災で、地盤が安定した高台では震災被害が軽微だったことが、東京の「ヒルズ信奉」の始まりとなったようです。

 「目白の森」(上)は、開発から取り残された森のマンション建設計画を、地域住民の緑地保存運動が中止に追い込み、公園とされます。
 右の「目白庭園」は、1990年公立学校共済組合住宅跡に整備された庭園で、どちらも豊島区の施設。

 調べるうちに触れるべき場所を見つけたので、再度目白を歩いてきます。


追記──「戦争法案」に憲法専門家が「違憲認識」表明

 パンピー(一般ピープル)にも分かることを、憲法専門家3人に説明してもらっても理解できない内閣の連中には、理解しようとしない「意思」があるようです。
 振り返れば、世論の意思に「YES!」と従い、戦争に向かったことがあります。
 現在は「大丈夫」「戦争はしない!」とする気持ちが大勢を占めると思うも、果たして自身で判断できる国民がどれだけいるのか? 一度意識調査的な国民投票の結果を見てみたい気もします。
 そう思うのは、国際情勢の変化を感じているからだと思います……

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