今回は、これまで脇を歩くも素通りしてきた、目白を語るには欠かせない場所を巡ります。これまでは、見るべきと感じない場所と言ったら失礼か?
目白聖公会
日本聖公会に属するキリスト教会で、立教大学や聖路加国際病院と同じ教派。
クリスマスに目白駅前で「キャロリング(クリスマスキャロルを歌う)」を行なう姿をニュース映像で目にした記憶があります。
調べれば教会外での「キャロリング」はめずらしくなく、近所でも接する機会はありそうなのに、年末でバタバタする仕事のせいにするのは、クリスマスに関心が無いってことですよね……(上は聖堂にあるステンドグラス「聖家族」)
クリスマスに目白駅前で「キャロリング(クリスマスキャロルを歌う)」を行なう姿をニュース映像で目にした記憶があります。
調べれば教会外での「キャロリング」はめずらしくなく、近所でも接する機会はありそうなのに、年末でバタバタする仕事のせいにするのは、クリスマスに関心が無いってことですよね……(上は聖堂にあるステンドグラス「聖家族」)
目白不動尊〜目白地域の変遷について
江戸時代、現在の江戸川橋〜椿山荘間にあった新長谷寺(しんちょうこくじ)の不動明王像が、江戸五色不動のひとつ目白不動と名付けられ、一帯は目白と呼ばれるようになります。
空襲の被害から廃寺とされたため、現在学習院下付近の金乗院内に祭られます。
右は金乗院の片隅にある目白不動尊(奥)。
東京の五色不動(白・黒・赤・青・黄)で現在もメジャーな目黒不動尊は、立地に恵まれたようです。
空襲の被害から廃寺とされたため、現在学習院下付近の金乗院内に祭られます。
右は金乗院の片隅にある目白不動尊(奥)。
東京の五色不動(白・黒・赤・青・黄)で現在もメジャーな目黒不動尊は、立地に恵まれたようです。
近衛町(このえまち)
江戸時代に大名別邸や旗本屋敷が並んだ一帯は、明治維新後に国の所有とされ、山縣有朋が西南戦争の褒美で購入した土地が「椿山荘」のルーツなど、華族や資産家等に売り払われます。
1900年(明治33年)学習院院長(1895〜1904年在職)の近江篤麿(このえあつまろ)が、周辺の広大な土地を購入しますが、子の近衛文麿(ふみまろ:第34・38・39代内閣総理大臣)の代に、父の借金のため売却されます。
当時は「近衛町」とされ、往時は「馬車ロータリー」だったケヤキ等に面影が残ります(右)。
カメラ背後にある交番(警官不在)は、屋敷門前警備の名残りとも。
1900年(明治33年)学習院院長(1895〜1904年在職)の近江篤麿(このえあつまろ)が、周辺の広大な土地を購入しますが、子の近衛文麿(ふみまろ:第34・38・39代内閣総理大臣)の代に、父の借金のため売却されます。
当時は「近衛町」とされ、往時は「馬車ロータリー」だったケヤキ等に面影が残ります(右)。
カメラ背後にある交番(警官不在)は、屋敷門前警備の名残りとも。
上の正面突き当たりにある日立目白クラブ(右)は、1928年(昭和3年)学習院旧制高等科の男子寄宿舎「昭和寮」として建設され、平成天皇も滞在経験があるらしい。
現在、日立製作所の福利厚生施設で、社員の結婚式等に利用されるそう。以前は、山手線から煙突部分が見えたような気がします。
所有者は変わっても、利用しながら維持管理する姿勢の大切さを感じます(利用する社員もうれしいのでは?)。
現在、日立製作所の福利厚生施設で、社員の結婚式等に利用されるそう。以前は、山手線から煙突部分が見えたような気がします。
所有者は変わっても、利用しながら維持管理する姿勢の大切さを感じます(利用する社員もうれしいのでは?)。
学習院大学
上は学習院大学構内にある旧皇族学生寮で、玄関に馬車用の車寄せがあります。
近衛篤麿院長指揮の下、1908年(明治41年)皇族・華族学校である学習院(ルーツは京都御所内にあった朝廷の教育機関)は現在地に移転します。
近衛家の土地購入との関連は不明ながらも、近衛家(元公家の筆頭)の威光が発揮できる地域だったようです。
近衛篤麿院長指揮の下、1908年(明治41年)皇族・華族学校である学習院(ルーツは京都御所内にあった朝廷の教育機関)は現在地に移転します。
近衛家の土地購入との関連は不明ながらも、近衛家(元公家の筆頭)の威光が発揮できる地域だったようです。
戦後(1949年) 新制大学「学習院大学」となっても皇族が通う慣習は続いたが、以前の「資産家≒社会的責務」の精神は失われ、単なる金持ちの「資産家ヅラ」による品格の低下や、愛子ちゃんのいじめ問題、佳子ちゃん(カワイイ!)中退〜別大学入学等で、皇室の学習院離れが進んでいるように感じます。
上は図書館として建造された建物で、現在は大学史料館。
また、神田川に浸食された低地には、忠臣蔵の堀部安兵衛が高田馬場の決闘後に刀を洗ったとされる「血洗いの池」があります。言い伝えでも、その名称が残るとはスゴイ!
徳川ビレッジ
現在「徳川ビレッジ」とされる地域は、尾張徳川家の侯爵 徳川義親(よしちか)が1930年(昭和5年)に土地を購入し、本邸を建築した場所になります。
ここは「エリート外国人専用の高級賃貸住宅街」らしく、外国の言われるままに条約を締結し崩壊した徳川幕府の仕返しなのか、家賃は月100万円以上とも。
管理会社八雲産業ホームページにはうさん臭さが漂い、徳川家の閉鎖性は変わらない? とも。
右は隣接する徳川黎明会の門で、尾張徳川家所蔵美術品などの管理・一般公開を手がけるらしい。
ここは「エリート外国人専用の高級賃貸住宅街」らしく、外国の言われるままに条約を締結し崩壊した徳川幕府の仕返しなのか、家賃は月100万円以上とも。
管理会社八雲産業ホームページにはうさん臭さが漂い、徳川家の閉鎖性は変わらない? とも。
右は隣接する徳川黎明会の門で、尾張徳川家所蔵美術品などの管理・一般公開を手がけるらしい。
氾濫を繰り返した神田川(左)と妙正寺川(右)の合流地を、下落合駅付近から高田橋・高戸橋(都電が神田川を渡る)付近に付け替える分水路が設置されますが、単独での成果は見られず、結局は上流調整池での制御が必要だったらしい。
浸食作用で深い谷底となった川沿いには、地中にしみ込めない雨水が集中するため、常時洪水対策に追われる流域となっています。
今回はルート順ではなく、目白の歴史に登場した年代順の並びとしました。
浸食作用で深い谷底となった川沿いには、地中にしみ込めない雨水が集中するため、常時洪水対策に追われる流域となっています。
今回はルート順ではなく、目白の歴史に登場した年代順の並びとしました。
追記──「サッカー女子W杯」開幕&「W杯アジア2次予選」スタート
女子サッカー界の「レジェンド」とされる澤 穂希選手は、今回の活躍を心に期すも、おそらくピッチ上に限らず「なでしこが大会を戦い抜く戦力になりたい」との、心づもりなのではないか? そんな「なでしこ」を応援しましょう!
彼女たちの活躍に刺激を受け、野郎どもも発奮せねば!
報告──近頃、動画編集に明け暮れています
昨年、乗馬関連の雑誌は休刊となりましたが、ネットで続けられないかと、素人カメラマン(営業担当者)が撮ってくるビデオを編集しています。
下手なカメラワークはフォローできませんが、楽しさが伝わればというところです。
「三浦海岸を馬で駈けられるんです!」の紹介ビデオ(下)
などを紹介するホームページ作成をしています。
女子サッカー界の「レジェンド」とされる澤 穂希選手は、今回の活躍を心に期すも、おそらくピッチ上に限らず「なでしこが大会を戦い抜く戦力になりたい」との、心づもりなのではないか? そんな「なでしこ」を応援しましょう!
彼女たちの活躍に刺激を受け、野郎どもも発奮せねば!
報告──近頃、動画編集に明け暮れています
昨年、乗馬関連の雑誌は休刊となりましたが、ネットで続けられないかと、素人カメラマン(営業担当者)が撮ってくるビデオを編集しています。
下手なカメラワークはフォローできませんが、楽しさが伝わればというところです。
「三浦海岸を馬で駈けられるんです!」の紹介ビデオ(下)
などを紹介するホームページ作成をしています。
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