2015/09/14

人のふり見て我がふり直せ──旧谷田川

2015.9.5【東京都】──「神田川を歩く_34」

 今回は、旧石神井川が浸食した河床の最後の流れとなった、旧谷田川(現在暗きょ)沿いの、駒込〜西日暮里付近を歩きます。




駒込駅


 この駅は旧石神井川の浸食地形の縁に建設されたため、西口は高台を掘り込み、東口は低地の河床に盛り土されています。
 上の東口通路は旧谷田川の暗きょで、駅両側の旧水路沿いに商店街が伸びています。
 1910年(明治43年)の開業当時から町の中心で、通路入口の両側に門のような飾りがありますから、どちらからもWelcom!のにぎわいだったようです。


田端の切り通し


 駒込側(旧石神井川)と田端駅側(隅田川)の間には、両河川からの浸食に耐えた(?)堤防のような高台が、上野の山まで続きます。
 王子駅前の谷とは異なり、付近では道路だけのために鋭角な切り通しが刻まれます。
 高台を道路方向に横断すると、両側の川の水量と浸食力の違いが体感できます。
 旧石神井川は水量が少ないため、ゆるやかで浅い浸食ですが、暴れ川の隅田川は容赦ない力により急峻で深い浸食の痕跡を残します(江戸期以前は利根川も流れ込んでいた)。
 現在の山手線は、日本鉄道の上野〜熊谷間(東北・高崎線)建設に始まりますが、隅田川に浸食された崖下を通したのは、工事がたやすく費用も安価だったためらしい。



 右の形容しがたい物体は東覚寺にある仁王像で、参拝者が治したい患部に赤紙を貼り願いが託された姿。
 貼られた赤紙すべての祈りが成就した際には、中から生まれ変わった仁王が出てきそうです。
 願いがかなったお礼には、仁王が履くための草履を奉納する習わしがあるも、この姿で動いたら赤紙が落ちてしまいそうで、庶民を救済したくても歩き回れない、仁王のジレンマを感じたりします。


田端八幡神社


 瓦屋根の神輿庫が並ぶ様は壮観で、付近の根津神社、神田明神に対抗する(?)祭への意気込みが感じられます。
 境内に残る石橋の遺構は、旧谷田川に架けられた橋を移設したもので、暗きょとされた現在でも川とのつながりを大切にしているようです。

 田端〜西日暮里にかけての旧谷田川周辺には、以前の姿で区画ごとマルッと残される地域があります。
 西日暮里駅開業(1969年千代田線、71年山手線)まで閉ざされた地を、以前江戸時代の被差別地区と記しました
 差別意識の根強い関西では、拡散防止用のリストが出回るらしく、移転もできず居住地区が残されるようです。
 一方、東京の意識の薄さは、町の歴史の浅さ加え、地方出身者の寄り合い所帯のため「根が浅い」のではないか?
 この国の歩みを振り返り、過去から負の歴史を引きずらないのは東京だけと気付けば、再開発が動き出せばあっという間に痕跡は消え去りそう、とも……


 遠いので詳しく分かりませんが、右は近所のばあちゃんに何かを説明する姿に見えます。
 下町っ子の心情には「おせっかい=思いやり」の勝手な思い込みがあるようですが、受け手側の気遣いも含めて「下町人情」と言うのでは? と感じた光景です。
 おばちゃんの説明は延々と続きばあちゃんは、ありがたいけど「もう少しゆっくり話してくれ…」の様子と思えたのは、自分も母親に説明する際、反応の鈍さにイラつき矢継ぎ早に話していたことを思い出したからです。
 人のふり見て我がふり直せと、反省です……

 以前、谷根千(谷中・根津・千駄木)を歩き目にしたよみせ通り商店街のアーチを、反対の駒込側から目にした瞬間「おぉ、つながった!」の感慨がありました。
 これが散歩の楽しみであり、この土地にも「自分なりの筋を通せた」とでも言いましょうか……


追記──雨の印象が残る今年の夏

 「暑くなるの早すぎ!」から「涼しいのは楽だけど極端」と共に、「雨降り過ぎ…(日照不足)」の印象が残る夏でした。
 台風18号の豪雨で堤防を乗り越え決壊させる水の勢いを目にすると、防災対策でどこまで守れるのか? と、不安を覚えます(100%の安心は不可能でしょう)。
 近ごろの極端な自然現象による災害を目にするたび、守ってもらう意識ではなく、個人の危機意識とその準備(シュミレーション)の必要性を実感させられます……

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