2009/12/14

落ち葉から、クリーンエネルギーを!

2009.12.6
【東京都】

 都内では、紅葉の見頃も終わりに近づいてきたので、今回は落ち葉をテーマに歩きました。
 「葉っぱがお金に化ける」昔話ではありませんが、膨大な量の落ち葉を目にすると今どきの願望として、この落ち葉を燃やすのではなく、クリーンエネルギーとして活用する技術が生まれないだろうか? そんな空想をしたくなります。
 落ち葉がエネルギー源となったなら、皆こぞって樹木を育てるようになるでしょうから、温暖化対策のひとつの柱となるようにも思えます。
 だなんて、小学生の夢物語の作文のようですが、近い将来に実現するかも知れませんから、期待を込めて待ちたいと思います……


 新宿御苑(Map)


 人が多いことは仕方ないのですが、ついでに立ち寄れる公園として、都心にこれだけ立派な施設があるのですから、利用しない手はありません(入園料200円)。
 それでも近ごろ訪問回数が減ってきた理由を考えると、新宿に映画を観に来なくなり「ついでの元」が減ったからのようです。
 近ごろでは、都心周辺の中核都市に「シネコン(シネマコンプレックス:同一の施設に複数のスクリーンがある映画館)」が増殖し、スクリーン数も多いので、マイナーな作品も都心以外で観られるようになりました。
 最近は、川崎、横浜の映画館で、観たい作品の95%くらいは観られるようになりました(都心に比べれば混雑してませんし)。

 個性や雰囲気を持つ、かつては「劇場」と呼ばれた施設が次々姿を消した今どきでは、都心の映画館はステータスでは無くなってしまったようです(日比谷シャンテ付近にあった「有楽座」のロビーにあったシャンデリアや、反対側にあった「スカラ座」の石造りの階段等が、強いインパクトとして残っています)。
 渋谷はメジャーからミニシアター系作品まで、守備範囲が幅広いのでたまに行ったりしますが、銀座方面は皆無となりつつあります。
 なので、新宿御苑にも増して、日比谷公園はずいぶんとご無沙汰です。


 ここは、フランス式整形庭園とされるプラタナスの並木になります。
 勝手な思い込みですが、ここは映画『第三の男』のラストシーンを想起する場所で、この季節には大きな落ち葉をバリバリと、踏みしめて歩くのが好きだったりします。
 絵になる景色の中を、トレンチコートを着た女性が、映画のヒロインのように歩いていました。
 これはシャッターチャンスと思ったのですが、「何でここにそんな人種がいるの?」と思ってしまう様な、アキバ系的な若者たちに雰囲気を壊され(女性も遠ざかりますわね)チャンスを逸してしまい、ちょっと声を上げたくなりました。「枯葉は、萌え〜じゃないでしょ!?」
 ──アジアからの観光客が多かったので、ひょっとするとそんな人たちだったかも知れません。


 緑のオアシスなので当然ですが、落ち葉はもの凄い量に見えます。
 落ち葉を量る単位があるのか知りませんが、トラックだと何台分くらいになるのだろうか?(運び出さなくていいのですが)
 でも、冷静に考えてみれば、枯葉は落ちる場所を選ばないので、散らかった印象を受けるものの、東京ドーム何杯分まではないような気がします。
 すると、近ごろCMに登場の「レレレのおじさん」(松平健)が、何人いれば1日で掃きおわるか? というような、身近な単位になってくるのかも知れません(くだらん例えでスミマセン……)。
 でも今どきは、強力な風で落ち葉を吹き飛ばすハンディマシンがあったりします。
 確かに便利だとは思うのですが、ほこりも巻き上げるので、こっちに来ないでと思ってしまいます……


 今回テーマとしたかった「落ち葉をクリーンエネルギーにできないか?」について調べてみました。
 最も多かったのが「腐葉土作り」で、それ以外では「落ち葉プール」「カブトムシの幼虫を育てる」などで、革新的なものは見当たりませんでした。
 現状では、数年かけて堆肥化したものを、販売する等の利用法が現実的なようです。
 ちなみにカナダでは、落ち葉を指定されたゴミの日に出すと、落ち葉専用の収集トラックで堆肥処理場に運ばれ、数年後、堆肥化された土は「リサイクルされた土」の表示がされ、販売されているそうです。
 まずはそこからのスタートでも、将来的には映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場した、タイムマシンの燃料(映画ではバナナの皮などの生ゴミでした)のような利用法を目標に、研究してもらいたいと勝手に思っています。


 代々木公園(Map)


 前日の雨のおかげで、いつもほこりっぽい印象の公園を、気持ちよく歩けたと思える本日ですが、落ち葉遊びとしては「Good Idea !」と思える光景を目にしました。
 代々木公園の足下には、地下鉄千代田線が通っているため、その通気口が点在しています。
 その上に、イチョウの落ち葉を山のように積み上げて、地下鉄が通過するときの風(マリリン・モンローのスカートが舞い上がる風と同じ)によって、落ち葉を舞い上げようとする遊びです。
 電車が来るたびに子どもたちは、大はしゃぎで踊り出しますが、前日の雨のせいでしょう、葉っぱが湿っていてキレイに舞い上がらないようでした。
 ──地下鉄沿線に数ある通気口の中でも、公園一帯にある通気口の清掃は、ちょっと大変かも知れません……


 明治神宮(Map)

 何だか少女趣味的な絵柄になりましたが、被写体に手は加えていません。
 腰をかがめてウロウロと、怪しまれながら(?)結構探しました。


 仮に、落ち葉からクリーンエネルギーが生み出されたとすると、その時点から、山中の落ち葉が消えてしまうかも知れません。
 「おじいさんも、おばあさんも山へ落ち葉を集めに行きました」どころの騒ぎではなく、積極的に木を植えても供給が間に合わなくなるかも知れません。
 そんな時代には、杉を切った場所に落葉樹を植えるようになり、花粉症は減るのかも知れませんが、枯葉を根こそぎ持って行かれては、山の土壌がやせてしまい、植物の生育が悪くなり、水害が増える等の心配があります。

 近ごろわたしたちの自然との付き合い方は、「ここまでは大丈夫だが、これ以上はダメージを与える」という、「さじ加減」(付き合い方)ができなくなっているようにも思われます。
 そのしっぺ返しに「圧倒的な自然の力」である、自然災害(土砂崩れ、鉄砲水等)に見舞われてしまいます。
 それは、何でもお金に換算して考えようとする、現代社会の風潮そのものに思えてきます。
 お金に見えてしまうから、何でもしてしまい、揚げ句の果てには「○○ショック」のように、はじけて混乱を招いてしまいます。
 地球環境がはじけてしまったらどうするのか? 世界で話し合うはずの「COP15」の序盤は、非難の応酬のようですが、何とか知恵を出し合い、取りまとめてもらいたいものです。

 ならばやっぱり「お金に化けるのが一番イイ」なんて、海を挟んだ隣国の様なことを考えていると、いつか化けの皮がはがれて「お金が葉っぱに戻ってしまう」かも知れません。
 やはり現在は(いつの時代も)、将来にクリーンエネルギー化の夢を抱きつつも、次世代の草木に栄養が行き渡るような、土壌を育てていくべきなのでしょう。
 それが、れっきとしたクリーンエネルギーであることは、先人たちに育てられたわたしたちが証しとなるのだと思います。

2009/12/07

江戸庶民の行楽地──滝野川

2009.11.28
【東京都】

 現在滝野川という名称は、地名(北区滝野川)に対して使われています(概略として、JR王子駅・板橋駅・地下鉄西巣鴨駅に囲まれる地域)。
 室町時代以前には、現在の石神井川は滝野川と呼ばれていたそうです。
 当時の石神井付近は、人影もまばらだったと思われるので、「王子七滝」(現在のJR王子駅周辺)と呼ばれ滝の名所とされた、この付近での名称が定着したと想像されます。
 この付近は、明治時代に滝野川村、その後滝野川町となり、昭和には滝野川区とされたこともあるそうです。

 地下鉄南北線の、駒込と王子の間にある西ヶ原駅はピッタリと、独立行政法人国立印刷局滝野川工場の前に作られてあります(建設に融通の利く場所だったのかも知れませんが)。
 パフォーマンス的と思えた事業仕分けでの、「お札などは、都会で印刷する必要があるのか?」とのやり取りを思い出したりしました。
 確かに、新聞や週刊誌ではないのだから(搬入が数時間遅れただけで始末書などにはならないでしょうし)、そういう機能はできるだけ地方に移していくべきとも思われました。


 旧古河庭園(Map)

 この庭園は駒込に近く、地名は西ヶ原になります。
 1917年(大正6年)に造られた、古河虎之助男爵(古河財閥の3代目当主)の邸宅を、保存した施設になります。
 男爵とは、明治時代に制定された華族制度の最下位で、財閥家にも与えられたそうです。
 ちなみに後述の渋沢栄一は、公共への奉仕が評価され、その上の子爵を与えられます。
 それは、天皇(国家)から「あんたはエライ!」(古いギャグの引用で通じなかったらゴメンナサイ)と言われたことになるのでしょうから、現代では文化勲章か? とも思いましたが、比較対象とできる社会構造ではありませんでしたよね……

 この庭園の特徴としては、ジョサイア・コンドル(久々の登場ですが、東大の校舎旧岩崎邸、鹿鳴館等、西洋建築技術を日本に伝えた人物)設計による洋館(右上下写真のバック)と、前庭に広がるバラ園になると思います。
 花については全般的にうといのですが、バラという植物は園芸品種として、品種改良等がしやすい植物のようで、品種名表記だけではその意図が理解できない名称を見かけたりします(南半球には自生しないそうです)。
 ここには「プリンセスマサコ」という品種のバラがあるそうですが、最近は人気無いんだろうなぁ〜(失礼)。

 ここは何度も来ているのに、洋館内に入った覚えが無いと思ったら、往復葉書で事前の予約が必要なんだそうです。
 まあ、桂離宮(京都)ほどの倍率ではないにしても、日時を決められると行きづらく感じてしまいます。


 この庭園のもうひとつの特徴は、斜面を下った木立の中に日本庭園があることです。
 この庭園は、近代日本庭園の先駆者とされる小川治兵衛(おがわじへえ:幕末生まれで昭和まで活躍)によるものだそうです。
 平安神宮、円山公園(共に京都)などを手がけたそうで、この名前を記憶しておきたいと思い、書きとめました。
 これも治兵衛さんが持ち込んだのだろうか、大きな灯籠が点在しており、それぞれの存在感がとても印象に残ります。
 上写真は、どこかで目にしたような絵ですが、やはりその場に立つと撮ってしまうし、それが絵になるというのは、まさに庭師の術中ということなのでしょう……


 飛鳥山公園(Map)

 右写真からは趣旨が伝わらないとの反省から、説明させてもらいます。
 状況としては、このちょっと前に、もう少しお姉ちゃんの2人組がこの噴水のてっぺんで、水遊びをしていました。
 オイオイと思いながらも、シャッターを切ったわたしと同じように、興味を感じてしまった彼は、噴水に向かって行きます。
 お母さんは止めますが、言うことを聞く気配がないので、仕方なく靴を脱がせ、ズボンをまくり上げて噴水に入らせた、という状況になります。
 でも、お母さんの選択としては、どうなんでしょうねぇ? その後、風邪をひいてなければいいのですが……
 自分もガキの時分、そんなことをやっていたのだろうか?

 こちらには、自分の彼女か知り合いの女性をモデルにして、撮影をしているお兄さんがいました。
 雲が出てきてしまったのですが、レフ板(光を反射させて対象物を照らす板)を取りだして準備をしています。
 助手もいないのにどうするかと思ったら、あぐらをかいた自分の足で方向を調整していました。
 「必要は発明の母」と言うのか、表情の硬かった女性も、そんな滑稽な姿勢に笑いだし、緊張もほぐれていたようです。

 下写真は、以前訪れた旧渋沢栄一邸になります。
 日本資本主義の父と呼ばれる方ですが、当初は尊皇攘夷(反徳川幕府)側の考えを持っていながら、徳川慶喜の家臣となってさまざまな経験を重ねたようです。
 新しい会社が次々と作られた時代ですから、500以上の企業設立に関わったそうですが、財閥(上述の古河を含め)を作らず「私利を追わず公益を図る」との姿勢を貫いたそうです。
 初代紙幣頭(後の国立印刷局長)となった彼の志は、独立行政法人国立印刷局の組織を守ることに受け継がれているように見えてしまい、反公益的と思えてしまうのは、とてもおかしなことです。
 印刷所に隣接して大きな付属病院があります。病院が悪いとは言いませんが、経営・運営の実態(税金の使われ方)について明らかにされているのだろうか? そんな「いいがかり」的な疑いを持つ視線が、今どきの世間の見方と思います。
 渋沢栄一の生きた「希望の持てる時代」とは社会情勢は異なりますが、現代にも「私利を追わず公益を図る」人物が出現して欲しい気もします……
 ──期待は大きかったのに、何億ものお小遣いをもらっても「知らなかった」というお坊ちゃま感覚では、いくら耳が大きくてもこちらの声が届くとは思えません……(でも、頑張ってもらわないと)


 これまでは、駒込地域、王子地域という線引きで散策することが多かったので、駒込から王子までを、歩いてつなぐことがひとつの目的でもありました。


 金剛寺(紅葉寺)(Map)


 東京周辺の紅葉情報を調べていて、この寺の存在を知りました。
 都内にも紅葉寺と呼ばれるお寺があるのかと、期待を膨らませて門前に立ちましたが、瞬時に「過去の名声」であったことに気付かされます。
 金剛寺の名称通り、弘法大師(空海)の教えである真言宗のお寺で、源頼朝が鎌倉幕府を開く前に、この地に陣取ったとされています。
 江戸時代には、第八代将軍吉宗の命によってカエデが植えられ、そこから紅葉寺と呼ばれるようになりました。
 前述の飛鳥山公園、後述の弁天様と合わせて、江戸の観光名所とされたそうです。
 吉宗は、飛鳥山には桜を、この地にはカエデを植林したそうで、そこだけ見ると、何とも粋な殿様と感心させられますが、これは「享保の改革(きょうほうのかいかく):江戸時代の三大改革の一つ」の一環なんだそうです。
 ──分かりやすいところでは、庶民の声に耳を傾けるための目安箱の設置などがあります。


 岩屋弁天跡(Map)

 むかし、石神井川がわん曲して流れていたころ(江戸時代の以前のことと思います)、流れに削られたガケに「弁天の滝」が見られたようです。
 石神井川は、十数メートルの渓谷を刻み滝も数多く見られたそうなので、住宅が密集し河川改修される以前の姿は、現在の等々力渓谷的なイメージでしょうか。
 どうも明確な資料は見当たりませんが、江戸時代の古地図には、金剛寺の「松橋弁天」と、近くに「岩屋弁天」が表記されています。
 滝沢馬琴『南総里見八犬伝』(江戸時代)には、「滝野川なる岩屋殿」として登場しているそうです。
 八犬伝の記述は、岩屋弁天のようですが、古地図サイトに掲載されている広重の浮世絵を見ると、松橋弁天のようにも見えます。
 いずれにせよ、江戸時代この付近が大変にぎわっていたことは、確かなようです。


 上写真は、王子駅近くの音無橋になります。
 これまで、橋上の道と交差する本郷通り(都電の通る道)しか歩いたことがなかったので、深く刻まれた川面に続く橋下の光景に出会えて、とても新鮮な印象を受けました。
 隣接する飛鳥山公園との高低差は結構ありますし、この地形を生かして、桜やカエデが配された江戸の時代に、行楽地として持てはやされたことは、とても納得できる気がしました。

 飛鳥山というのは、滝野川のある「山の手」と、王子駅のある「川の手」の境にありながら、丘のような高台になっていますから、王子駅側から登るにはちょっと息が切れます。
 そこでこの7月に登場したのが「飛鳥山公園モノレール」です(無料)。
 16人乗りと、サイズは小さめですが、かなりの急勾配を登っていきます。
 瀬戸内や四国のミカン畑でよく見られる、果実運搬用のモノレール(と呼ばれること初めて知りました)の上に、ゴンドラが乗っているようなイメージ。
 あれなら、エレベーターの方が安く作れたのでは? とも思いましたが、景色が良かったりするのかも知れません。
 今度は乗るつもりで来たいと思っています。