2011/06/27

不安な「夏の扉」が開かれる──都立大学

2011.6.19
【東京都】

 今年の梅雨入りは早かったせいか、前半は肌寒い陽気が続きましたが、さすがに夏至を過ぎれば梅雨もSummer Sideを呈しはじめ、ムシムシが一気に押し寄せてきます。
 まずはこのムシ暑さに体を慣らす必要がありますが節電モードも加わるので、この夏の体感不快指数(とてもイヤな表現)はどれほどか?
 文句を言っても仕方ないので、まずは食生活・体調管理(運動を含め)の準備を始める時季のようです。

 埼玉県熊谷で39.8℃を記録した日、東京電力管内の需給割合が91%となりました。
 原発の現場では「弁の向きが逆だった」等、使い捨て労働者(被爆量が超えたらご苦労さん!)たちによる懸命な(?)放射線封じ込め作業が続きますが、その一方で、電力需要量が供給力を超えたら「はい、それまでよ」という態度に見えてしまう東京電力の姿勢には、ほとほとあきれます。
 国や自治体に向けられた矛先も、何ら変化が見られない停滞状況には、復興への意欲に水を差す失望感を覚えてしまい、そんなヤツらに「節電」と言われても、何だかなぁと思ってしまいます……
 

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駒沢緑泉公園(Map)

 ゴールデンウィークに仕事の車で通った際、公園の看板を見た同乗者の「駒沢公園とは違うの?」が印象にあったので、立ち寄りました。
 ハチたちはかき入れ時と精を出しているためか遭遇の機会が多く、反射的に払ってしまった後「刺されたらイヤだな……」と思う回数が多い季節になりました。


 かつてわき出した水は蛇崩川(じゃくずれがわ)に流れ込んだそうで、広さはないもこの一画にそびえ立つ大木たちは、そんな様子を見てきたのでしょう(狭い場所ながら立派な木が残される一画です)。
 現在もわき水はあるのでしょうが、木立に作られた人工的な流れで子どもたちがたわむれ、池のない地面から吹き出す噴水では盛んに水を浴びています。
 素っ裸で走り回るチビを両親が大笑いで見ています。子どももよろこぶのでしょうが、あれって親の趣味ですよね……(ちなみに男の子です)

 未見ですが、ここにもプレーパーク(やりたい放題でも、全部自己責任の公園)があるようです。

 おそらくこの周辺では国道246号線付近が分水界(雨水が流れ込む河川の境界)となるようで、北側は蛇崩川、南側は呑川(のみがわ)の流域になります。


駒沢オリンピック公園(Map)

 前日の土曜日が雨だったせいか、曇り空でも人出が多くにぎわいが感じられます。
 広い公園ですから、一画をスケボーパークにするくらいどうって事ないようで、ここのにぎわいは外国人が多いせいか、都会的な「○○ストリート」のような空気が感じられます。
 そのひとつに写真のような、仲間内での「ノリ」にギャラリーが集まり、盛り上がっていくチャレンジもあります(見せ物ではない)。
 しばらく見てましたが、クリアする度に一段ずつボードが積み上げられていく様子には、オリンピックの走り高跳び・棒高跳びのような緊張感と、期待感が高まっていきます。
 それにしても、足下のボードと一緒に飛び上がれる力学自体が「?」と感じる芸当です。

 でも、路面が平らな場所(舗装路面等)でしかできないので、転倒した際はとても痛そうです……


 公園内で最も盛り上がっていたのが上写真の球技場で、関東高校アメリカンフットボール大会の決勝戦、慶應義塾 vs 早大高等学院が行われていました。
 この写真はフェンス越しに撮りましたが、外から見えるのにスタンド観戦には入場料を取られるようです。
 結果は35対7で早大高等学院の優勝。スクールカラーの雰囲気からすると手前が慶應か?
 高校生ですから、これからもっと大きな体になるでしょうが、もう立派な体つきの選手がチラホラ見られます。

 真剣勝負中の彼らには失礼なんですが、写真中央奧に立つ女子マネージャー(?)がビデオを撮っている姿に「青春真っただ中」が見て取れる気がして、写真を見る度に目がいってしまいます。
 今どきのマネージャーはビデオ撮影が重要任務のようです。


 第一球技場とされる場所で、アーチェリーの都大会(?)が行われています。
 この競技に接するのは初めてで、開かれた門の外でタバコを吸っている競技者(?)に親近感を覚え、ソロソロとのぞきました。
 両脇の選手は望遠鏡のようなものをのぞいていますが、矢を射る際は中央の選手のように使えませんから、狙いを定めるために使用するものではありません。
 これはフィールドスコープといって、放った矢の得点や狙いとのズレを確かめるためのもので、次の狙いを修正するための情報源とされます。
 的との距離は最長で90mあるそうですから、いちいち見に行ってたのでは日が暮れてしまいます……


 ここは上述第一球技場の外壁で、テニスの壁打ち名所(?)のひとつでしたが、現在は「壁打ち禁止」の張り紙とともにネットで覆われています。
 早朝から「パコパコうるさい」という、近所からのクレームだそうです。
 今に始まった話ではないと思うので、マナーが悪くなったということなのか?

 公園の脇は以前都立大学(現在の首都大学東京だそう)があった敷地で、売却後のマンション建設計画に「建設反対!」ののぼりが並んでいたり、ダンプが行き来していた工事中以来の訪問ですが、現在はドでかいマンション村(深沢ハウス)がそびえています。
 もし、そんなクレームがそこの住民のものだったら、ちょっと言いたくなっちゃいますね。暗いうちはできないんですから、カラスが騒ぐようなものと受け止められないものか?
 高級マンションなのに防音設備は無いの? とでも聞いてみましょうか……


衾(ふすま)町公園(Map)


 江戸時代、現在の環七通りの南側一帯は「衾村」とされ、1889年(明治22年)碑文谷(ひもんや)村との合併で「碑衾(ひぶすま)村」〜「碑衾町」となり、1932年(昭和7年)目黒町との合併で目黒区が誕生します。1964年には「衾町」の名も消えてしまい、現在は公園名だけが残されています。

 目黒区のホームページには、油面(あぶらめん)碑文谷と並ぶ難読地名の一つと紹介されますが、その由来については、
・この地に古くからあった民間信仰の神の名「塞坐大神(ふせぎますおおみかみ)」の「フセギマス」が転訛した。
・この地が往古から馬の飼料「麩(ふすま)」の産地として知られていた。
・地形上、呑川の本支流の谷間が多いところから「間(はざま)」が転じた。
・幾つかの丘陵が並ぶこの土地の起伏の様子が「衾」(掛け布団)に似ていた、などがあるようです。

 ルーツは特定できずとも名称が残されれば、「子どものころ遊んだ公園の名前」は記憶にあっても地名に無いことから、育った地域への関心が高まるかも知れません。


氷川神社 周辺(Map)


 旧衾(ふすま)村の鎮守様で、長い参道にコケをまとった大木が並ぶ雰囲気からは、地域に守られてきた様子がうかがえます。
 参道を通勤・通学路に利用している方も多いようで、ON・OFFの間に緩衝地帯を通る日常というのは、自分の中に新たな発見がありそうな気もします。
 近所の方と思われる参拝者がパラパラ訪れるのですが、みなさんキッチリとお参りの所作をされるので、祈りの終わりを待つ側も、この時間は「永遠か?」と感じさせられます(写真は不採用です)。

 9月の祭礼には「剣の舞」とされる、八岐大蛇(やまたのおろち)退治を描く奉納行事があり、上写真左は舞台に登る道になります。


 上写真は、中世の時代に周辺(碑文谷・衾)の領主だった吉良氏が建立した東光寺にある、「撮ってくれ!」とこびを売る石像です。
 吉良氏とはご存じ「赤穂浪士」の敵役吉良上野介の家系で、世田谷城(せたがやじょう:豪徳寺)を本拠にしてこの地域を領地としていたようです。

 このお寺には他にも七福神など石像が多く配されており、その背景には石像を提供する存在がありそうと思ったら、門前に石屋がありました。
 失礼かも知れませんが、今どきこの立地で石屋商売を続けていけるのだろうか? その宣伝としてお寺に奉納したように見えました。


 上写真は常圓寺(じょうえんじ)の門扉で、切り抜かれた絵柄は「橘(たちばな)の紋」で日蓮宗の印になります。
 わたしには何か笑っているような絵柄にも見えるので、背景の緑鮮やかな季節の訪れをよろこぶ様子として伝わればと思います……


長屋門跡(Map)

 ここは都立大学駅と大井町線緑が丘駅の間に位置し、代々衾(ふすま)村の名主を務めた岡田家の長屋門(門の両側に使用人の住居などが備えられる)で、江戸時代に作られました。
 現在も使用される門らしく、開門される際にはどんなにガッカリする車や人の姿でも、背筋を伸ばした振る舞いをしてもらえたら、と思うところです。

 目黒緑が丘郵便局の風景印の絵柄に採用されますが、ちょっとガッカリなので紹介は控えます。

 都立大学駅から大岡山駅までは、暗きょ化された呑川(のみがわ:最初はどんがわと読んでいました)沿いを歩きます。
 桜新町付近を源流とし、大岡山駅付近で姿を現しJR蒲田駅付近を通り羽田空港付近で東京湾に注ぎます。

 目黒線大岡山駅にたどり着くも、空腹のため東工大キャンパス潜入は断念。
 しかしこの商店街(飲食店)にはいつも裏切られる印象があり、今回も寄ろうと思ったそば屋が「準備中」だったので、我慢して帰ってきました……

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