2011/06/13

梅雨の晴れ間のグリーン グリーン デイ──祐天寺

2011.6.4
【東京都】

 この日のテーマは祐天寺ですが少し広い地域を歩こうと、前回同様田園都市線からスタートし、三軒茶屋〜東横線祐天寺〜目黒線武蔵小山を歩きます。

 土曜の午後、三茶から三宿方面に歩いていると、若い女性が次々わたしに向かって来ると錯覚するような? 昭和女子大の流れに遭遇しました。
 まるで「オヤジの小言」ですが、若い女性に対して「これくらいの節度でいてもらえないか」の見本としたい女子大生の群れに、少しホッとできた印象があります。
 これまで勤務地付近で感じたものには、市ヶ谷の大妻女子大は派手で「ご出勤ですか?」だったり、目黒日出学園の女子高生には「恥じらいを身につけなさい!」などの印象がありました。
 現在の勤務地六本木は卒業生が羽を伸ばす町ですから、バブルはとうにはじけた現在も「これでどうだ!?」の意気込みで乗り込む舞台のようです。

 このタイトルは、梅雨の晴れ間に味わえた若葉のみずみずしさと、女子大生たちの「今週の授業は終わった〜」という晴れ晴れした表情に、さわやかさを感じたことによります。


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世田谷公園(Map)

 日差しも強く汗ばむ陽気のせいか、公園のシンボル的な噴水池を囲む芝生には、海パン姿で日光浴するオヤジがゴロゴロ転がっています(外国人が多い)。一応シャッターは切りましたが不採用とさせていただきます。

 野球場、テニスコート、ミニSL(土曜日も盛況)等のある公園ですが、ここの売りは「プレーパーク」があることです。
 プレーパークとは、ヨーロッパの冒険遊びを日本で実践しようとする運動で、同じ世田谷区の羽根木公園に日本初の常設型プレーパークが作られました。
 ここには「禁止事項」はないので、子どもたちは思うままに遊べますが、その代わりケガや事故は全部「自己責任」とされます。
 ガキ時分に近所の野山で遊んだ環境を東京にも作りたい、そんな願望は理解できるところです(神奈川での取り組みは横浜市三保念珠坂公園で紹介しました)。

 足を踏み入れた瞬間は、縄文人体験のようなたき火をしていたり(指導者がいれば可能)、廃材の掘っ立て小屋が並びホームレスが暮らすような暗い印象を受けましたが、振り返ってみれば自分もそんな「秘密基地」を作って遊びましたし、母親の「なんでこんなに汚れたの?」に釈明できなかった記憶がよみがえってきます。
 やりたいんだもん、しょうがないよなぁ〜。


 世田谷公園の隣には自衛隊施設(病院や、三宿駐屯地とされる区域)が広がるので、公園の土地も中目黒公園同様、国の管理下に置かれていたようです。
 自衛隊は都内にもいてもらわないと困りますから、「柵の中は広そうだなぁ」とプレッシャーをかけつつ、整理統合で土地が地域に払い下げられることを気長に待ちましょう。


祐天寺駅周辺(Map)

 世田谷公園から祐天寺に向かう道の谷間に、蛇崩川(じゃくずれがわ)が暗きょ化された歩道があります。
 歩道付近は整地されたようですが、かつての暴れ川に浸食された斜面は現在も「ここだけ急坂」の地形に見て取れます。
 蛇崩川から祐天寺駅周辺は以前農地だったためか、区画の広い住宅地として開発され立派な家が多く、有名人が多く暮らすようです。
 その住宅街のある駅北側には商店は少ないのですが、南側に繁華街が開けています。
 代々木八幡・上原的な(で伝わるか?)、ビルはなくともこまごまと裏通りまで店が並ぶ様子に、アベックが多い理由を理解できた気がします。


 上写真は、SLの大きな車輪が置かれた辻の奧にある幼稚園で、緑は一本の大木の枝になります。
 大きな木の下にいると大人でも、守られているような安堵を感じることがありますから、子どもたちも夢中に遊び回れるのでしょう。
 幼稚園の守り神のような木の下で遊んだことは生涯忘れないだろうと思える、インパクトのある大木です。


祐天寺(Map)

 当初の企画としては、東横線で唯一利用したことのないこの駅から町に降り立つことを目指しましたが、ルートを検討したところ、結局今回も改札を抜けられませんでした。
 縁がないだけに、普段通過しながら「祐天寺ってどんなお寺?」の関心があっても、結局今回まで調べようとしなかったことが、出会いの演出にはよかったみたいです。


 1723年(江戸時代)に開山したこの寺は、徳川家の菩提寺である芝増上寺住職だった祐天の霊堂として建立されます。
 将軍吉宗から「明顕山祐天寺」の寺号が授与され(当時寺院建立は禁じられていた)、以来将軍家から特別の保護を受け栄えます。
 立派なお寺はパトロンのおかげ、という失礼な印象ですが、見晴らしのいい場所にあり当時は江戸城から見通せたことでしょう。

 上写真は賽銭箱で、家紋などではなく「纏(まとい)」の絵が並ぶ様子は江戸時代らしく見える。

 政治中枢とのゆかりがあったためか、以前ニュースで、この寺には政府に委託された朝鮮半島出身の(強制動員された)旧日本軍軍人・軍属の遺骨が仏舎利殿に保管される、ことを知りました。
 第二次世界大戦当時の日本人の思考からすれば、「とにかく別の場所に隔離しろ」程度の考えだったのでしょう。
 その保管状況の悪さから遺骨返還の際に、生存している方の遺骨を返還したことが判明したそうですから、誠意のない対応への韓国・北朝鮮側の日本嫌悪感は当然と思えます……

 きちんとした立派なお寺(浄土宗)なので、「急行がとまらない」を理由に通過している方は、町中散策と併せて是非!
 気取った町との印象も薄れ、好感を持てる地域と思います。


油面地蔵通り(高地蔵尊)(Map)

 今回歩く周辺を調べ「油面:あぶらめん」の表記を目にした途端、「是非行かねば!」と駆り立てられました。
 以前目黒に勤めたころ、徹夜明けのタクシーで帰宅の際に交差点名で見かけ「不思議な名前」と毎週感じながらも、何年もその地名に関心を持たなかったことへの反省もあります。


 江戸時代中ごろこの地域では菜種の栽培が盛んになり、菜種油が増上寺や祐天寺の灯明に使われるようになります。油を奉納することで税が免除されたそうで「油免」から「油面」となったと伝わります。
 ネット検索で目に止まった「日本植物油協会」のページによると、油面・油免の名称は多く残るようで、現在住の川崎市にもあるとのこと。
 川崎市にある3つの油面地区では王禅寺に油を納めたそうで、栄えたころの王禅寺がしのばれます。
 
 現在でも交差点・バス停・学校・商店街等に名称は残りますが、地名としては存在しません。


林試の森公園(Map)

 ここは1900年(明治33年)に農商務省林野整理局「目黒試験苗圃(びょうほ)」として開設され、1978年まで「林業試験場」とされました。
 林業試験場がつくば市に移転後整備され、1989年に「都立林試の森公園」として開園します。


 100年以上歴史のある森なので(都内では珍しいが目黒付近には自然教育園もある)、幹回りの太い大木が数多く健在で、絶滅危惧種(ハナガカシ)、日本の珍しい樹木(ヨコグラノキ、ナナメノキ、クロキ)や、外国産樹木(カイノキ、シナユリノキ、ユサン、アメリカトネリコ)などが見られます。
 植物に関心が無くても大木の根元に立つと、その迫力に圧倒される森です。
 ここは公園化されていて結構自由に歩き回れるので、ガキたちも活発に走り回っています。

 公園紹介の年間カレンダーで、10月に見られるものには「ドングリの落下(園内各所)」とあります。
 きっと、いろんな種類のドングリが落ちてくるんでしょうね……


 追記
 国際通貨基金(IMF:通貨・為替安定を目的とする国際連合の専門機関)が、日本の消費税率を「2012年度から7〜8%に引き上げるべき」との案を示しました。
 国内の見方は「国際機関が日本の税制に対し、増税時期と内容まで詳しく特定して提言するのは異例」で、内政干渉のようにも受け止められますが、これが世界からの見方になります。
 「借金(国債)が膨れあがっても成長力への期待感が信用とされてきたが、大震災後の成長が望めない現状では、国の財政状況の見通しを世界に示さねば、通貨や日本国債等の信用不安だけでなく、国際社会への影響が懸念される」ということのようです。

 世界の中で存在感を示し、輸出を伸ばすためには責任を負う義務もあるわけで、日本だけ財政赤字を大目に見てもらえた時代は終わり、「赤字国債発行」のまやかしでなく、本質的な「財政健全化」のあり方を突きつけられたことになります。

 とは言え、ここは甘んじても(反論の余地が無いことは国民も分かっています)「いまに見てろよ!」の気概がなければ、日本は復興できません!

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