2011/07/18

暑さをなごませる川面の風──多摩川

2011.7.9
【東京都】

 夏休み前に夏が来た! と盛り上がっても、この夏は節電で公共屋外プールの開設期間が短縮されているようなので、子どもたちは「どこで遊べばいいの?」とストレスを感じているかも知れません。
 晴天続きはうれしいのですが、近ごろの暑さに手加減はないので、暑さに少し慣れるまではご用心下さい……


より大きな地図で 東横沿線 を表示

 国民がエネルギー源までを真剣に考えはじめた、本質的な意味での「エコ元年」となる夏の暑さ対策として、自宅の日よけ等が話題ですが、「冷房の効いた」公共施設・ショッピングセンター等、人が集まる場所に出かけるのもひとつの手と思います。
 涼むつもりが余計な買い物をしたり、映画を観ちゃったという行動は、消費活性化につながるので、社会の潤滑剤になります(エネルギーを自宅で浪費せず消費が活性化します)。

 そこで今回は、余計な買い物をしたくない方に、川辺で涼をとってはいかが? との提案になります。
 川という場所は周辺では最も低い場所にあたり、低地や谷地形が続き障害物(山や建造物)が無いため、水神とされる「龍の道」に例えられるような、風通しのいい場所になります。
 日差しを避ける場所や手段があれば、心地よく過ごせる環境と思います。

 この日歩く東横線多摩川駅周辺は自宅から徒歩圏内で、多摩川に架かる丸子橋(中原街道)を歩いて渡ります。
 橋のたもとの堤防は南西に面しており、おひさまの恋しい季節には日光浴目的で結構人気の場所になります。
 しかしこのカンカン照りの昼下がりでは、日差しに焼かれたコンクリートは熱かろうに、挑む人がいます。
 海外の方のようですが、お尻冷やしグッズなど準備しているのだろうか?
 テレビで目にする海外の猛暑レポートでも、背景に水着姿で読書している姿を見かけます。
 暑くてもクールに振る舞うことが万国共通の「粋」であるならば、彼女も「江戸っ子には負けない!」心意気なのかも知れません……(絶対暑いってば!)


調布取水堰(Map)

 調布取水堰は1936年に作られ1970年まで利用されますが、多摩川の水質悪化により生活用水の供給を停止し、現在は工業用水道として三園浄水場(板橋区)に送水されます(当時、堰の下流側では洗剤の泡が飛び散ったそう)。


 堰は東横線のすぐ脇にあり、通勤途中に川の様子を目にして十数年(間断期間あり)になります。
 その初めのころに大規模な浚渫工事(土砂撤去)が行われて以来、年々土砂が堆積する経年変化を観察していますが、浚渫後は川底だった場所もアッと言う間に土砂が堆積し、スッカリ緑に覆われています。
 河川管理側の姿勢として、工業用水の取水である緊張感の無さと、防潮堰の役割(海水進入防止)が果たせればいいという重要度の低さが、見て取れるような気がします。

 取水堰には高水位の記録(上写真:網越しに撮影)が記されています。
 右側に記された平成19年の高水位は大阪在住で実際に見ていませんが、立ち位置からその高さを想像すると、上述女性の足元まで水位が上がったかも知れません。
 左右で数値と線の高さが違うのは、おそらく基準面の高さが変更になったのではあるまいか?
 理由は違いますが、大震災被災地で地盤沈下の激しい地域では、これまでの記録が記された堰など構造物自体の高さが変わってしまったので、この先に記される記録には大きなギャップが生じてしまうことでしょう。


多摩川台公園(Map)

 多摩川台公園は「田園調布古墳群」で有名ですが、以前、堰から組み上げた水を上水道として供給するための調布浄水場がありました(1918年〜上述の理由で1967年廃止)。
 跡地には浄水場のろ過池・沈殿池が、水生植物園として残されています。
 地下貯水場も活用されているらしく、右写真はその換気塔のようで、所々にポコポコと立っています(映画『天空の城ラピュタ』を想起します)。

 ここは以前紹介したあじさいの名所(もう枯れかけてました)であり、春には車窓から見える桜色に染まる丘に、季節を実感する方も多いのではないでしょうか。
 公園から望む多摩川の景色は「多摩川八景」に選定され、落ち着けるスポットもあり、昼間っから宴会をする集団がいたりします(蚊にお気をつけて)。


多摩川浅間神社(Map)

 右写真は多摩川浅間神社の境内で、ここではお皿に願いを書いて奉納するらしいので、「お皿に願いを書き奉納」と調べますがまるでヒットしません。
 これは神道で用いられる祭器具の「平瓮(ひらか:平たい土製の容器)」で、「お皿ではない!」という強い主張が検索結果から感じらた気がしました。
 日本書紀には、神武天皇の大和入りに際し「天香具山(あまのかぐやま)の土で平瓮(ひらか)を作り祈れ」の神の啓示に従い、敵を降伏させたという記述があるようです。
 各地の名所で目にする皿投げはここにたどり着くと思われ、宮崎県の青島神社では「天の平瓮(あめのひらか)投げ」とされています。
 観光地で耳にする「瓦投げ」のルーツと思ったものの、調べると「瓦投げは遊び」とキッパリと切り捨てられていることからも、そこには「意図的な力」が存在しているように思え、信用できない印象が強まった次第です。

 ちなみに漢字の「瓮」(か、へ、もたい)は「甕」(かめ)に通じる意味があるそうです。
 その字が読めなかった庶民が、文字に「瓦」が含まれることから「かわら」と読んだことは想像できますし、神社側がそれに腹を立てたことも、とても理解しやすく感じます(これは勝手な推測です……)。

 江戸時代この付近で採れた鮎は幕府に献上され、第9代将軍家重は鵜飼を楽しんだことから多摩川の鮎は名を高めます。
 現在も古びた「鮎焼き」の看板を車窓から目にしますが、それは「鮎の姿焼き」ではなく「あん入りの人形焼」のようです。

 1925年(大正14年)開設の「多摩川園(〜1979年)」は、「温泉遊園地 多摩川園」としてオープンし、当初はヘルスセンター的な(?)「大人の遊園地」で、俗っぽい「川っぷち文化」を楽しむ行楽地だったようです。
 昭和の初めには川遊び客の料亭が並び、屋形船で鵜飼いの鮎漁を楽しんだそうです。
 そんな歴史をふまえると、以前この地で目にした立川談志のはまり様も、場所柄ゆえかと納得したりして……(失礼!)。


上野毛(Map)

 東急大井町線上野毛駅に移動し、改装工事中と知りながらも足を運んだ五島美術館前の通りです。
 東京急行電鉄(東急)創設者である五島慶太の美術コレクションを保存展示するため、没した翌年1960年に設立されます。国宝『源氏物語絵巻』の所蔵で有名らしいのですが、見られなければ無用の情報です。

 右写真はその前の通りですが、道の反対側から伸びた大木の幹が斜めに道路を横切っています。根のある場所も五島一族の敷地と思われますが、これって普通は怒られますよね?
 考えてみましたが、自治体の「五島様のご意向ですから、特例とさせていただきます」とのへりくだり方よりも、「うちの土地に道路を通したいと言ったのはそっちでしょ」の方が、納得しやすいように思えます。
 そんな「木の1本や2本でガタガタ言うな」の主張が通った時代の、おおらかさが感じられるような気がします。


 上野毛駅から多摩川へと下る切り通しの稲荷坂途中に、上野毛稲荷神社があります。
 どうもこの神社は、それまでの村の鎮守であった六所神社が移転したため、北野神社の移転もしくは分祠(本社の神を別の神社にまつること)に向けて、地域住民の手により崖線の斜面を切り開き土地を確保し、神様を招致したようです。
 上写真の灯ろうは地震で崩れたのかも知れませんが、このあっけらかんとした姿は「修復費用の寄付お願いしま〜す!」とのアピールに見えてきます。
 大震災に限らず日本の社会は、そんな助け合う気持ちによって続いてきたことを再確認させられます。

 切り通しの反対斜面には上野毛自然公園がありますが、整備工事中で立ち入ることができません(この一帯が工事中?)。
 ガッカリですが、そのおかげで下写真のブドウ畑に出会えました。


 住宅地内に存在感を示して残る一画だからでしょうか、ガキ時分のイメージである「多摩川河川敷の果実畑(ナシ、ブドウ…)」を想起して、応援したい気持ちにさせられます。
 広くないゆえ手入れが行き届いているようにも見え、品質向上の自負は達成できても収入との両立は難しいのではないか、という印象を受けました(兼業なら可能なのか?)。


二子玉川ライズ(Map)

 右写真は二子玉川駅ホームから見えるスーパー堤防建設工事区域に立つ木で、同工事区域から移植されたそうです。
 かなり長い間ネットがかけられたままの状態ですが、木を守るためというか、周辺に落ち葉をまき散らさない対策という気もします。
 付近には現在でも「工事反対」のメッセージが見られますから、新たな火種を作らないための配慮かも知れません。

 二子玉川東口方面では「二子玉川ライズ」とされる大規模再開発が進行中で、遠くからも目にできる27階建のマンション(筆頭に3棟)が立ち並びます。
 高島屋側と比べると中途半端なイメージを一気に払しょくすべく、ドカンドカンと騒がしくホコリが舞っています。

 東横線から「あんなに高い建物を作っちゃって」と眺めていましたが、田園都市線から振り返ると「あらま、武蔵小杉の方こそ節操がない」と、思い知らされた気がしました……

 帰路は、堤防の上の多摩堤通りを通るバスで多摩川駅に戻りましたが、途中に「温室村」というバス停があります。
 大正時代〜昭和初期、付近にガラス張りの温室が立ち並びはじめ、玉川温室村として知られるようになり、見学者や研究生が集まるほどとなります(カーネーションやメロン栽培)。
 日本における、近代施設による園芸発祥の地とされますが、現在その名残はバス停名だけだそうです。

 この日は梅雨明け発表の日で、強烈な日差しに照りつけられ暑かったものの、川面の風が心地よかったことを伝えるつもりでしたが、週明けに勤め先で「もう焼けてる」と指摘されました。
 川沿いには日差しをよける場所が無いので、日よけ対策万全でお楽しみ下さい(全然、オススメになってない……)。


追記1
 サッカー女子ワールドカップで、日本代表「なでしこジャパン」が初優勝しました。
 準々決勝ドイツ戦に勝ってから、開催国ドイツをはじめ海外の評価が高まって以降も、当初と変わらない執念のような気迫が感じられた印象があります。
 「アマゾネス軍団」のような海外の壁の間を、軽快にすり抜ける小柄な「大和撫子」の姿には、体格差のイメージをひっくり返してくれる痛快さがありました(なでしこの花言葉「勇敢」等)。
 決勝で対戦したアメリカ選手のコメントに「彼女らを後押しするものがあったような気がする」とありました。
 震災の有無は受け止め方の問題で、彼女たちは初めてのチャンスを自分たちの力でつかみ取ったのですから、胸を張るべきと思います。
 日本は元気づけてもらいました。おめでとうございます!


追記2
 セシウム牛肉が全国にばらまかれてしまいました。これで、食の安全対策や海外観光客の誘致も一からやり直しです。この国の信用がゼロに戻ったことになります。
 いかんとも表現しがたい事態なので、寺社の住職的な例え話にすると、安全と思われていた地域の作物が人間の体に入る前に、牛が身代わりになってくれたと考え、秋の収穫期までに全食品の安全性を検査しなさい、と受け止めるべきではないか? と思うところです。
 誰もが、何で人と一緒に牛は避難しないんだろう? と思っていたはずです(そこを掘り下げると、被災者農家まで加害者にされるおそれがあります)。
 牛だけでは済まされないでしょうから、全出荷物の検査を行わない限り、福島県(だけでは済まなくなる)は「ノーモア」でなく「ノー」とされてしまいます……

0 件のコメント: