2013/08/26

明治期の再開発地域──牛込柳町〜若松河田

2013.8.17【東京都】──大江戸線を歩く_14


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河田町(Map)

 ここ数回歩いた「牛込:地域名」の由来は、701年大宝律令により設けられた牛牧場までさかのぼるらしく、「込:集まる場所」の名を持つ「駒込」「馬込」には馬牧場があったとされます。

 以前の東京15区、35区時代に存在した牛込区は23区の現在、新宿区に統合されます。
 名残としていまも記憶に残る「東京都牛込局区内 フジテレビ」(郵便局は現存)などの、公共施設名で使用されます。
 右はフジテレビ跡地の河田町コンフォガーデン。


東京女子医科大学(Map)

 1950年設立の私立大学ですが、女子大の医科大は世界的にも珍しいとのこと。
 よく目にする「至誠会病院」は、卒業生の同窓会〜校友会から発展したそうです。 
 しかし、2001年に起きた医療事故のカルテが改ざんされた「東京女子医大事件」では、2007年まで特定機能病院(高度先端医療対応可能病院)承認を取り消されます。
 2008年には、医師が女性看護師への強姦致傷容疑で逮捕され、品格どころか患者は困惑したことでしょう。

 そんな病院にカメラを下げ、汗ベチャベチャの半袖・短パン姿のオヤジが入ろうとすれば、止められるのは当然です。「外来休診日なので部外者はご遠慮を」は「変な写真撮るな」の意でしょう。右は歴史を感じさせる一号館。


 学内で演奏会があったらしく、女学生たちが協力して大モノの楽器を運んでいます。
 無邪気な様子から、天使たちが協力して物を運ぶ姿を想起し、撮りたくてウズウズするも、ここでは構えただけでつまみ出されそうです(目をつけられてた気がする)。

 天使とはキリスト教だけでなく、ユダヤ教、イスラム教にも登場する神の使い(ルーツは同じでしょう)ですが、われわれには日本訳の「御使い」「神使:しんし」の方が理解しやすい気がします。
 ミケランジェロ『最後の審判:寺院壁画』の天使たちは、キリストの受難具(十字架等)を運びます。

 右は単に縦横の線をデザインした建物ですが、前回紹介の「東京韓国学校」裏手にあたり、遠くからはハングル文字? のように見えたので……


小笠原伯爵邸(Map)


 ここは1927年建造の東京都歴史的建造物とされる伯爵小笠原家邸宅で、2002年レストラン「小笠原伯爵邸」としてオープンします(スパニッシュスタイル建築というのがあるらしい)。
 存在すら初耳の施設は、1952〜75年まで東京都の中央児童相談所とされますが、その後使い道に困り取り壊しの検討を含め、2000年まで放置されます(裏手の東京都視覚障害者生活支援センターを含めた再開発を検討していたようです)。
 

 庭園では催しがあるらしいも壁に阻まれ、のぞけたのは植え込みのすき間程度(暑い中よくやると、汗をふきふきひがみモード)。
 上は可愛らしい天使の矢のようですが、これは「鳥を射て食すべし」という絵なのでしょう。
 月一程度で建物内部の無料公開があるそうですが、10月分まで満員の人気です。


若松町(Map)

 明治期の若松・河田町周辺は、広大な武家屋敷跡地に病院・学校など大規模施設、守り継がれる(?)住宅地の狭い路地や、蔵を構えた商家の名残など(右)、多様な人を集めるための整備が行われたようです。
 駅名にある両町とも「丁目」のない単独町名で面積も狭いため、併記で地域をアピールしますが、牛込柳町同様「バス停のネーミング」的なローカルさがあります。
 計画された若松町駅の名称は、フジテレビ移転による河田町衰退防止策で変更されたそうです。
 その成果? なのか、河田町玄関口の地下鉄新宿線曙橋駅前の「あけぼの橋通り商店街」には、いまも活気が感じられます……


追記──イチロー、4000本安打達成!

 日本プロ野球の名球会では、2000本安打で「おみごとでした!」とたたえられますが、その倍の数字って? 比較の対象にならない、次元の違う数字に思えます。
 日頃から怠らない体の手入れは、パフォーマンスはもちろんですが「ケガをしないため」の考えこそ、本物のプロフェッショナル! です。
 これからの活躍はもちろんですが、現役の限り「偉大な目標」を目指す若者たちのけん引役として、刺激を放ち続けて下さい!

2013/08/19

国を守る仕事──牛込神楽坂〜牛込柳町

2013.8.10【東京都】──大江戸線を歩く_13

 お盆休み中には東京の人種が入れ替わるようで、サラリーマンは「地元に帰ろう」と激減しますが、地方から「東京さ行くだ」の目的地に六本木ヒルズも含まれるらしく、周辺にはお盆と関係ない「イベント感」があります。
 そんな時節に、帰省しない同郷出身者とのマッチングができたなら、男女だけでない「新しい連携の芽」が生まれまいか? と思ったりします。


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防衛省(Map)


 ここは防衛省北側の左内門で、ドスを利かせてにらみ付ける門番のような守衛(OB or 警察出身?)の迫力に威嚇され、のぞき込むような撮り方はできませんでした。 
 北朝鮮のミサイル発射の際、迎撃用パトリオットミサイル(PAC-3)が設置されたのは、門の奧に広がる緑のグラウンド付近と思われます。
 ここに配置されたミサイルは「自衛活動のために本部を守る」を第一義とするもので(戦場では軍隊を守るために戦う、に同じ意)、首都防衛は体裁でしょう。
 でなければ、隣接のマンションから見える地などに軍事展開しないはず。
 論理は理解できても「何だかなぁ〜」と、戦争時に感じたのではもう手遅れです……


大日本印刷(Map)


 以前通勤で都営地下鉄市ヶ谷駅を利用しましたが、お堀外側の丘陵地方面に足を運ぶのは、もっと前の大日本印刷訪問で坂を上らされて以来です。
 足を踏み入れると、谷筋全体が「大日本教のサティアン」のようで、悪口を聞かれたら生きて帰れないような印象がありました(失礼!)。
 その地で印象深いのが、上の工場を横断する歩道橋です(ごみ坂歩道橋:江戸時代にはゴミが投げ入れられた地らしいが、その名が残るのも驚きです)。
 谷筋に工場が続くため近隣の方は、近道である歩道橋を日常的に利用するようです。

 現在工場の建て替えと下水路の工事中で、完成後は見違える設備となるのでしょう。
 前回は凸版印刷なのに「大日本には寄らないのか?」に、気を使ったつもりです……


牛込柳町(やなぎちょう)駅周辺(Map)

 目的地を見過ごした先で、偶然ハングル文字の看板を目にし、その理由「東京韓国学校」の存在を知ります。
 日本駐在のニューカマー韓国人(ビジネスマンや大久保コリア街)の子弟が通い、在日韓国人の割合は低いそう。
 在日韓国・朝鮮人とは、第二次世界大戦で強制連行された人の呼称で、能動的来訪者はニューカマーとされる。

 突然、歴史教科書で戦争に関する記述がどうあれ、授業では「読んでおくように」と流された個所ではなかったか? の記憶がよみがえります。
 そこは「試験に出ない」の意味で、「ラッキー」と目も通しませんから、互いに「かかわらない」ことを了承していたわけで、それでいいのか? という気がします。

 付近一帯には旧町名が残されており、それぞれ由緒への関心を抱くも、区割りが狭いため歩いていると町名がコロコロ変わるので、チンプンカンプンです。
 震災復興による町名改正や、住居表示整備も行われなかったのは、有力者の鶴の一声だったのでは?

 駅名にある「柳町」周辺には狭く入りくんだ路地が健在で、右写真は夏祭りの飾りらしく、毎年サンバカーニバルが開かれるらしく(今年は7月7日)来年はぜひ!
 奧には共同井戸が現存しており、昔から高台でも井戸水を利用できることが付近のキーワードのようです。

 防衛省のある市ヶ谷台からは、江戸城や都心方面が見渡せるため、江戸開府から防衛関連施設が置かれました。
 江戸時代は御三家の尾張徳川家屋敷とされ、明治には陸軍士官学校、戦時中は陸軍参謀本部、米軍接収終了後は自衛隊市ヶ谷駐屯地、2000年から防衛省とされます。

 付近は「闘う人格」が集まる土地柄なのか、後の新選組面々が集った剣術道場試衛館や、日露戦争満州軍総参謀長で名をはせた児玉源太郎宅跡等の案内板が目に入ります。
 右奧は防衛省の巨大アンテナ。


東京湾大華火祭 in 田町(Map)

 この日行われた「東京湾大華火祭」見物の浴衣姿を、田町駅周辺で撮ろうとしたのですが、人の流れが多い時間帯ではもう暗くなってしまい、まともに撮れなかったと反省(浴衣は素敵です!)。
 別の場所で目にしたイマドキの浴衣には、襟にフリルがついてました。何でもありのようです……

 暑さのためか襟元を洋服のように崩す姿は、だらしなさを通り越して下品に見えてしまいます。
 「浴衣ってカワイイよね!」の着こなしから、「品」を学んでもらえますように。
 右の女性はキリッと素敵でした。

 隅田川の花火で豪雨に遭った方を招きたいくらい、ゆっくりと見物できました。めぐり合わせですから……

 ここは旧公団アパートの屋上ですが、この日はウエルカムらしく「花火見られます!(売店あり)」の張り紙を出してますから、少し遠くてもよければ来年いかが?


追記──マー君21連勝の新記録!

 一年間負けないってスゴすぎです。
 これまでの記録保持者「鉄腕稲生」を、最初に意識させた元監督野村さんの「神様、仏様、田中様」発言は、予言だったのか?(これまでは「神様、仏様、稲生様」)
 チームメイトも「緊張します…」の雰囲気がお互いを刺激しあうようで、まだまだ続けて欲しいし優勝という目標もありますから!

2013/08/12

メディアを支えるのは熱意──飯田橋〜牛込神楽坂

2013.8.3【東京都】──大江戸線を歩く_12

 国内最高気温記録更新(41度)、お見舞い申し上げます。
 最高気温40度超、最低気温30度超の呼び名が必要と思える暑さです。
 35度程度で「暑い」の表現はNG? と、感覚がおかしくなる気もしますが、汗っかきなので、つゆダクならぬ「汗ダクダクで!」歩くも、涼しげに見える周囲の人たちには何か秘策があるのか?
 まあ、夏は倒れない程度にたっぷりと汗をかいて、うまいビールを楽しみましょう!


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印刷博物館(凸版印刷)(Map)

 ここは凸版印刷運営の印刷に関する博物館で、雑誌等の仕事に携わって以来お世話になっており、期待なしの義理で(?)足を運びました。
 ですがここでは、印刷メディア(雑誌・書籍)の仕事は、送り手の「伝えたい」意欲と、受け手の「知りたい」欲求に支えられることを再認識しました。
 展示されるむかしの手作業には「根気あるなぁ」と感心するも、現在のわれわれも違う形の「根気仕事」を、せっせとこなしていることに気付かされます。
 各工程でさまざまな技術向上の恩恵を受けますが、それぞれ時代の条件下でよりいいものを作ろうとする「熱意」が、歴史となりつつあるのかと、納得するところです……

 ここには「トッパンホール」が併設され、この日開催のクラシックコンサートはソールドアウトの盛況です。
 客層は社員関連としても、インクのニオイだけの地に新たな文化を根付かせた功績は評価すべきです。
 右は意思伝達の表記(文字)をイメージしたオブジェ。


赤城神社(Map)


 神社の由緒は群馬県赤城山麓にあり、早稲田付近にあった社を太田道灌が1460年牛込台に移し周辺の総鎮守とされます。なるほど見晴らしのいい場所柄ながら現在は、再建のためドライに割り切った姿を呈します。
 社務所とカフェを納めた右奧マンションはいいが、ガラス張りの社殿への出入りは自動ドアで、右端の白い柱上のこま犬は、簡略化されたスフィンクスのような姿です。
 神社のデザインをマンションに合わせたように見え、ちょっと驚きました。

 これは「赤城神社 再生プロジェクト:2009〜10年」という、老朽化した社殿建て替えと、隣接幼稚園(少子化などの理由で閉園)跡地にホールやギャラリーなどの施設を併設するもので、グッドデザイン賞を受賞したそうです(定期借地権の期限後はマンションを解体し神社の杜に戻す予定)。
 マンションの入居者は氏子になる条件としても、神様がこんなにも「時代に迎合的」でいいのだろうか? という気がします(相当困っていたのかも)。


地下鉄東西線「神楽坂駅」北側周辺(Map)


 ずいぶん前ですが、東西線神楽坂駅北側の傾斜地にうらぶれた印象を抱いたことがあります。現在も地図からは、斜面の上下から伸びる櫛の歯のような道路が接合しない様が見て取れ、実態を目にしたく足を運びました。
 駅南側は、起伏のある丘陵地が外堀(中央・総武線)まで続きますが、北側には神田川に浸食された傾斜地しかありません。
 車が普及する前から傾斜地に民家が立ち並び、櫛の歯の先は斜面上からの整地と、斜面下からの整地との境界にあたり、生じた高低差のギャップが道を寸断したまま現在に至ります。上はその高低差を利用した「あかぎ児童遊園」。
 整備には付近全体の区画整理が必要なので、ちょっと大変そうです。

 付近で目にした物干し柱に『幸福の黄色いハンカチ』(1975年 監督:山田洋次)まで記憶が巻き戻されます。
 昭和の記憶がよみがえる飛び石も、昔のままに見えますし、路地入口の洋菓子店(右背後)は、以前は理髪店? らしき建物に暖色系の塗装をした姿が目を引きます(突き当たりが高度差ギャップの壁)。
 近ごろの飲食店では、ノスタルジックな演出が鼻につきますが、神楽坂には生活空間がそのままの姿で残されています。


袖摺坂:そですりざか(Map)

 案内柱はじゃまですがとても絵になる坂で、右の黒塀は景観に配慮した構造物に見えます。
 坂の多い町並みには、切り取ればドラマの舞台となる場所がまだまだ散在していそうです(背後は大久保通り)。

 柱の説明文には「両脇が高台と垣根の狭い坂道で、すれ違う人がお互いの袖を摺り合わした」とされますが、名無しの袖摺坂などいたるところにありそうです。
 ここで芸妓さんとすれ違った男の、誇張した自慢話しから始まったのでは? は、野郎的な想像です……


神楽坂(Map)

 短い路地でも京都に通じる空気感が好きな一画。
 近ごろ地域のトレンドは回帰趣向なのか、外装に黒を基調とする店舗が目につきます(江戸時代は防虫・防腐が目的でした)。
 むかしの真っ黒な町並みでは「看板」がたよりでしたが、目立たない看板(←意味あるのかい?)で隠れ家を演出する店も目につきます(←?)、ってまだはやり?
 店内を想像して歩くのは一興でも、値段を想像した途端、プツンと途切れてしまいます……


追記──今年の宮城は、楽天イーグルスにお願い!

 マー君は「開幕16連勝」ばかりか、年をはさんだ「20連勝」で「鉄腕・稲尾:西鉄ライオンズ 1956〜69年」に並び、その名前を引きずり出したのですから、大投手の称号まだでも、現在の「日本のエース」に違いありません。
 本調子の彼がWBCで投げる姿が見たかった気がしますが、きっと近いうちに大リーグで活躍してくれるはず。

 打撃好調の楽天は「このまま突っ走れ!」の応援を背に、プレッシャーで終盤コケそうな分まで貯金しておかないといけません。
 『あまちゃん:岩手』『八重の桜:福島』で盛り上がるも、はざまの宮城は「イーグルスにやってもらわないと!」は、選手たちが一番感じているはずです。
 あの社長は嫌いでも、このチャンスを逃さぬよう応援せねば!

2013/08/05

危機対応力が試される夏──春日〜飯田橋

2013.7.27【東京都】──大江戸線を歩く_11


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地下鉄丸ノ内線「後楽園駅」(Map)

 右の後楽園駅付近は、ティーン女子であふれています。ドームで韓流グループのコンサートがあるらしく、炎天下の中「チケットあります」とアピールしています(若い娘がダフ屋ではなくても、アルバイトってあるか?)。

 おっさんも久しぶりに、ライブの先行抽選を申し込みました(ポール・マッカートニー ライブ in 東京ドーム)。
 70歳過ぎてまだやっている驚きと、最後の「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」を大合唱しよう! が目的です。
 これで、若い時分から「いつか是非!」の思い入れがあったアーティストも、最後という気がしています。
 まずは当たりますように!


小石川後楽園(Map)

 暑いにせよ、こんなに人けの少ない庭園は初めてです。
 季節の花であるハス(もう終わりかけ)の開花は朝なので、午前中に訪れる人が多いためか?

 右は世界遺産(文化遺産)に登録される、中国の西湖(せいこ)にならった西湖堤
 鮮やかな緑こそ、暑い季節の表情に見えます。緑を横切る石の部分が小さな太鼓橋になっている。

 右下は京都東福寺の通天橋にならった同名の橋で、ほかにも、渡月橋(とげつきょう)、大堰川(おおいがわ:嵐山の渡月橋付近の桂川の別名)、清水観音堂跡(関東大震災で焼失)など、京都にならった施設があります。

 江戸時代この地には水戸徳川家の屋敷があり、二代藩主光圀(水戸黄門)が庭園を整備しますが、京都の名所を江戸に再現したい趣向は、ただの田舎モンです(失礼)。
 TVドラマのように全国を歩き回ったならば、土産話の具象化となりますが、漫遊記は後付けの作り話とのこと。

 書きそびれていた文京区の由来について。
 1947年旧小石川区と旧本郷区合併時の公募により「文の京(ふみのみやこ)」とされます。
 読み方は新鮮で思いが伝わるような気もしますが、「京」が「教」に聞こえる響きには、いまだに「ちゃんと宿題やったの?」という、やかましさに感じられます。

 この日多く見かけた浴衣姿は、おそらく隅田川花火大会を目指したと思われますが、開始30分で豪雨のため中止となりました。
 近ごろ急な雷雨が多いとはいえ「花火!」と盛り上がる際に、雨の心配をした人はどれだけいたでしょう。
 都市部なら雨宿りや傘もすぐ手に入るとの考えも、百万人近くの見物客が一斉に実現できるわけもありません。
 その対応「傘を持参」「判断ミスでずぶ濡れになった」で、カップルの将来が大きく左右されたかも?
 この夏のデートでは、突然の雷雨などへの危機対応力が試されそうです……

 右は、何をのぞいているのかと思えば、セルフタイマーで撮ろうとするカメラの位置を調整しているようです。


 現在池の護岸修復工事中で、職人さんはいかだに乗り、ロープを手繰って移動しています。
 小さないかだが傾く様子から、水上運動会のような水中落下を期待する気持ちも……

 成長が早い朝顔のツルは、この時期すでにあずまやの屋根まで達し、立派なグリーンカーテンとなっています。
 夏休みの朝顔観察で、一度だけ1階天井付近までツルが伸びた記憶があります。
 でもその後は、「水をあげた」「花が3つ咲いた」と書くだけで「行ってきま〜す!」ですから、育つわけがありません……


牛天神(北野神社)(Map)


 下調べで眺めた地図の「牛天神下」交差点に目が止まり、その天神様を目指します。
 ここは関東各所に残る「源頼朝伝説:奥州征伐(義経追討、奥州支配)の際、頼朝が腰掛けたとされる石」を伝えます。
 建立当時の、戦勝+学問の神は強力そうですが、後者だけが伝わる現在こそ、先人(頼朝)に感謝すべきなのでしょう。
 上は、牛の姿のおみくじ結び処。


 牛天神の西側で神田川の流れが大きく曲がる地は「大曲」とされ、わたしにも「首都高のカーブ(カーブだらけですが)」のイメージがあります。
 江戸時代まで付近は沼地でしたが、外堀建設時に飯田橋駅付近への最短水路を残し周辺は埋め立てられたそうです。
 以前高島平在住時によく通ったこともあり、大曲で何か撮れないかと思ったのですが、こんな程度でした……