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地下鉄丸ノ内線「後楽園駅」(Map)
右の後楽園駅付近は、ティーン女子であふれています。ドームで韓流グループのコンサートがあるらしく、炎天下の中「チケットあります」とアピールしています(若い娘がダフ屋ではなくても、アルバイトってあるか?)。
おっさんも久しぶりに、ライブの先行抽選を申し込みました(ポール・マッカートニー ライブ in 東京ドーム)。
70歳過ぎてまだやっている驚きと、最後の「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」を大合唱しよう! が目的です。
これで、若い時分から「いつか是非!」の思い入れがあったアーティストも、最後という気がしています。
まずは当たりますように!
小石川後楽園(Map)
暑いにせよ、こんなに人けの少ない庭園は初めてです。
季節の花であるハス(もう終わりかけ)の開花は朝なので、午前中に訪れる人が多いためか?
右は世界遺産(文化遺産)に登録される、中国の西湖(せいこ)にならった西湖堤。
鮮やかな緑こそ、暑い季節の表情に見えます。緑を横切る石の部分が小さな太鼓橋になっている。
右下は京都東福寺の通天橋にならった同名の橋で、ほかにも、渡月橋(とげつきょう)、大堰川(おおいがわ:嵐山の渡月橋付近の桂川の別名)、清水観音堂跡(関東大震災で焼失)など、京都にならった施設があります。
江戸時代この地には水戸徳川家の屋敷があり、二代藩主光圀(水戸黄門)が庭園を整備しますが、京都の名所を江戸に再現したい趣向は、ただの田舎モンです(失礼)。
TVドラマのように全国を歩き回ったならば、土産話の具象化となりますが、漫遊記は後付けの作り話とのこと。
書きそびれていた文京区の由来について。
1947年旧小石川区と旧本郷区合併時の公募により「文の京(ふみのみやこ)」とされます。
読み方は新鮮で思いが伝わるような気もしますが、「京」が「教」に聞こえる響きには、いまだに「ちゃんと宿題やったの?」という、やかましさに感じられます。
1947年旧小石川区と旧本郷区合併時の公募により「文の京(ふみのみやこ)」とされます。
読み方は新鮮で思いが伝わるような気もしますが、「京」が「教」に聞こえる響きには、いまだに「ちゃんと宿題やったの?」という、やかましさに感じられます。
この日多く見かけた浴衣姿は、おそらく隅田川花火大会を目指したと思われますが、開始30分で豪雨のため中止となりました。
近ごろ急な雷雨が多いとはいえ「花火!」と盛り上がる際に、雨の心配をした人はどれだけいたでしょう。
都市部なら雨宿りや傘もすぐ手に入るとの考えも、百万人近くの見物客が一斉に実現できるわけもありません。
その対応「傘を持参」「判断ミスでずぶ濡れになった」で、カップルの将来が大きく左右されたかも?
この夏のデートでは、突然の雷雨などへの危機対応力が試されそうです……右は、何をのぞいているのかと思えば、セルフタイマーで撮ろうとするカメラの位置を調整しているようです。
現在池の護岸修復工事中で、職人さんはいかだに乗り、ロープを手繰って移動しています。
小さないかだが傾く様子から、水上運動会のような水中落下を期待する気持ちも……
成長が早い朝顔のツルは、この時期すでにあずまやの屋根まで達し、立派なグリーンカーテンとなっています。
夏休みの朝顔観察で、一度だけ1階天井付近までツルが伸びた記憶があります。
でもその後は、「水をあげた」「花が3つ咲いた」と書くだけで「行ってきま〜す!」ですから、育つわけがありません……
牛天神(北野神社)(Map)
下調べで眺めた地図の「牛天神下」交差点に目が止まり、その天神様を目指します。
ここは関東各所に残る「源頼朝伝説:奥州征伐(義経追討、奥州支配)の際、頼朝が腰掛けたとされる石」を伝えます。
建立当時の、戦勝+学問の神は強力そうですが、後者だけが伝わる現在こそ、先人(頼朝)に感謝すべきなのでしょう。
上は、牛の姿のおみくじ結び処。
牛天神の西側で神田川の流れが大きく曲がる地は「大曲」とされ、わたしにも「首都高のカーブ(カーブだらけですが)」のイメージがあります。
江戸時代まで付近は沼地でしたが、外堀建設時に飯田橋駅付近への最短水路を残し周辺は埋め立てられたそうです。
以前高島平在住時によく通ったこともあり、大曲で何か撮れないかと思ったのですが、こんな程度でした……
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