2013.9.14【東京都】──大江戸線を歩く_18
都庁周辺の地図を眺めるうちに、都営大江戸線開通に伴い整備された未知の地下道に目がとまり、久しぶりに「地下街を見まわらねば!」と、ビルの次は地下道です。
ここで問題発覚! 地下道を表示する拡大地図を作成しようとしたら、近ごろGoogle Mapがバージョンアップしたらしく、来年で10年を迎えるマイiBookではもうついていけないようです(新しい地図を作成できない)。買い換えを考えねば……
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新宿中央公園付近:大江戸線 都庁前駅 A5出口(Map)
新宿中央公園は高層ビル街のオアシスを目指すも、現在もホームレスのたまり場的な印象をぬぐえないため、環境改善への道筋として地下道を通したようにも。
出入り口のベタな写真ですが、赤丸部分のパネルに「海抜32.7m」とあります。
近ごろ自宅付近で見かけ、海に近い港区の取り組みと思いきや東京都のようです。
これはとても大切な情報で、たとえば「海抜3m」表示の自宅前で地震に遭遇した際、10mの津波が予測されれば3階以上に上る(海抜3m+1階を約3m×3階=12m)心構えができますし、この場所で30mの津波が予測されれば(絶対に無いとは言えない)念のためビルに入るなどの回避行動がとれます(高層ビルの安全性は不明)。
そんな情報チェックを習慣にすれば、緊急時に周囲のパニックを防げるかも知れません。
東京メトロ丸ノ内線 西新宿駅付近(Map)
大江戸線都庁前駅(1997年開業)とほぼ同時期に開業した丸ノ内線西新宿駅(1996年)の間には、長〜い地下道が通されます。
掘ればどこかにつながる場所柄で、ヒルトン東京ホテル、東京医大病院、新宿アイランドタワーなどへの接続出口があります(土曜日なので閑散としている)。
右の階下左側は新宿警察署、新宿野村ビルに向かう通路で、新宿野村ビル〜損保ジャパン本社ビル〜新宿センタービルを経由すれば、西口のメイン地下道に通じます。
都庁の新宿移転にともない、副都心整備に大盤振る舞いに見えますが、東京駅・大手町・有楽町周辺規模の町とするには、まだ時間とお金が必要になりそうです。
下は、地下道終点の丸ノ内線 西新宿駅 1番出口。ここだけ見ると、パリかニューヨークか? の印象に驚きます。
新しいらしくMapには未掲載です。
新宿周辺の地下施設開発史をおさらいすると、1959年丸ノ内線、64年東口地下街、66年西口地下街、73年新宿サブナード、76年京王モール、80年都営新宿線、2000年大江戸線全線開通、08年東京メトロ副都心線開業の順に拡張されてきました。
足で覚えた地下鉄出口を「A0」とか言われてもピンときませんが、ちゃんと規則があるようで、A:丸ノ内線の南側(高野パーラー側)、B:丸ノ内線の北側(紀伊国屋側)、C:新宿線開業時の三丁目周辺、D:大江戸線新宿西口駅付近、E:副都心線回りとされます。
ですが西口側では地下鉄 vs 都庁ルール?(に、石原前知事の顔が浮かんだ)が入り乱れ、とても分かりづらくなります。
丸ノ内線・新宿線・副都心線 新宿三丁目駅付近(Map)
都会で「何年ぶり?」を何度か重ねる自分はもう浦島太郎ですが、新宿三丁目の裏側も目をつけられたようで、寄席の末広亭付近で再開発が始まっています。
狭い店が軒を連ねる場所なので、くしの歯が欠けるような状況だったのでしょう。
新宿三丁目交差点から、新宿区役所第二分庁舎(花園神社の裏)まで地下道があること初めて知りました(以前、通りの騒音がうるさかった映画館「新宿文化」前の道)。
副都心線開業時に設置されたそうですが、サブナードと連絡する地下道延伸計画等は、オリンピック関連予算の大幅な増加が判明したため、先送りとなりそうです。
都庁付近に戻る(Map)
新宿線・京王新線 新宿駅(甲州街道)方面から至る都庁前出口です。
これで地下道+建物内(タカシマヤ店舗等)だけで、同じ道を通らず新宿3丁目までを時計回りに歩いたことになります(工事中のJR新南口には30m程度の不連続個所あり)。
寄り道するわたしは2時間以上かかりましたが、雨の日の散歩コースとしては長く、何の不便も無いコースです。ただし、行程の半分程度は人込みにイライラします……
9月10日の晩、都庁前の都民広場で開かれた『五輪開催決定都民報告会』では、一部から「イノセ(キではない)コール」が聞かれましたが、あれは知事の要請か?
そんな熱気は去りましたが、以来町の人々には明るさが感じられる気がします。
そこで耳にする「また東京だけでしょ!?」の声に対する第2の矢となるのか、2027年開業を目指した「リニア中央新幹線ルート案」が発表されました。
新旧沿線は悲喜こもごもでも、ようやく復活の兆しが見えはじめたこの国に、未来が感じられたような気がします。
ですがここで想起したのは、避けて通れない「グローバル社会」の仕組みです。
それは「弱者からの搾取構造」であり、世界と戦う競争力のため、東京が名古屋・大阪のエキスを吸収するための「リニア新幹線」だったとなりはしないか? とも。
そうならないための対策を今から考えるべき、かも知れません。
現時点では7年後の「オリンピック」、その7年後の「リニア新幹線」、その先に大阪まで開通、という「明るい設計図」が示されれば、人々の士気も高まります。
自分も含め「リニア新幹線には乗ってみたい」と夢見るだけの世代にも、大きな勇気となるはずです。
●お知らせ
今週遅めの夏休みを取り遠出をするので、次回の更新は遅くなります。
2013/09/23
2013/09/16
摩天楼で抱いた夢──新宿西口〜都庁前
2013.9.7【東京都】──大江戸線を歩く_17
この夏は毎日どこかの「豪雨」「竜巻」被害を目にしており、この日も急に黒い雲が迫り「あきらめ?」の覚悟がよぎりました(何とかセーフ)。
温暖化の影響で「年々暑くなる」と実感する20代前半の青年に尋ねられ、「ガキの時分は〜」と話す立場となりました。
気象庁の「この夏は異常気象」の発表に接して、将来は「正常だった夏を知る生存の方も現在は少なく」となるのか? とも……
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新宿西口周辺(Map)
上は新宿大ガード西交差点で、渡る際は歩きにくいが、その混雑感を撮ると結構スカスカだったりします。
各人の歩くペースと、態度にイラッとくるわけで、下を向いて歩く姿は迷惑ですが、自分も急ぐ際は「間に合う?」と時刻表ページを見ながら歩いてしまいます……
付近で無視できないのが「思い出横丁:父親世代はしょんべん横丁と呼んだ」の装飾(?)です。
ガラクタを並べたとしか思えない狭い路地に反応してしまうのは、三つ子の魂オヤジも忘れずで、年齢に関係なく自分の秘密基地(居場所)を求める気持ちとすれば、理解できる気がします……(夕方から満席の店が結構ある)
十二社(じゅうにそう)熊野神社例大祭(9月21~22日)の提灯が、新宿駅前に飾られます。今年は三年に一度の宮神輿渡御(みやみこしとぎょ)で、西口駅前を神輿がねり歩きます(麻布十番稲荷神社の宮神輿渡御も3年ぶりなので、意味のある年らしい)。
提灯にユニクロの名があるのは、祭り主催者側による「周辺全店舗への寄付依頼」の成果と思われ、店舗側の「断れない心理」につけ込む、ヤクザの興行師的なやり口はここから派生したのでしょう。
上は伝わるか、新宿西口バスターミナルに突き出た、竹を斜めに切ったような換気口が植物に覆われた姿。
緑化の成果よりも、映画『天空の城 ラピュタ』での廃虚都市のイメージが強いのは、受け手側の問題か?
どうせなら、バスターミナルの屋根も全部緑で覆ってしまえば、初めての人は仰天しそうと思ったりします。
高層ビル街創生期にエレガントな個性を放った右の新宿野村ビルですが、都庁やモード学園コクーンタワーの出現で存在感が薄れた印象も。
ですが近ごろ高層ビルで注目されるのはデザインよりも耐震性とすれば、新宿では下の新宿住友(三角)ビルに次ぐ安定感が見て取れます。
この夏は毎日どこかの「豪雨」「竜巻」被害を目にしており、この日も急に黒い雲が迫り「あきらめ?」の覚悟がよぎりました(何とかセーフ)。
温暖化の影響で「年々暑くなる」と実感する20代前半の青年に尋ねられ、「ガキの時分は〜」と話す立場となりました。
気象庁の「この夏は異常気象」の発表に接して、将来は「正常だった夏を知る生存の方も現在は少なく」となるのか? とも……
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新宿西口周辺(Map)
上は新宿大ガード西交差点で、渡る際は歩きにくいが、その混雑感を撮ると結構スカスカだったりします。
各人の歩くペースと、態度にイラッとくるわけで、下を向いて歩く姿は迷惑ですが、自分も急ぐ際は「間に合う?」と時刻表ページを見ながら歩いてしまいます……
付近で無視できないのが「思い出横丁:父親世代はしょんべん横丁と呼んだ」の装飾(?)です。
ガラクタを並べたとしか思えない狭い路地に反応してしまうのは、三つ子の魂オヤジも忘れずで、年齢に関係なく自分の秘密基地(居場所)を求める気持ちとすれば、理解できる気がします……(夕方から満席の店が結構ある)
十二社(じゅうにそう)熊野神社例大祭(9月21~22日)の提灯が、新宿駅前に飾られます。今年は三年に一度の宮神輿渡御(みやみこしとぎょ)で、西口駅前を神輿がねり歩きます(麻布十番稲荷神社の宮神輿渡御も3年ぶりなので、意味のある年らしい)。
提灯にユニクロの名があるのは、祭り主催者側による「周辺全店舗への寄付依頼」の成果と思われ、店舗側の「断れない心理」につけ込む、ヤクザの興行師的なやり口はここから派生したのでしょう。
上は伝わるか、新宿西口バスターミナルに突き出た、竹を斜めに切ったような換気口が植物に覆われた姿。
緑化の成果よりも、映画『天空の城 ラピュタ』での廃虚都市のイメージが強いのは、受け手側の問題か?
どうせなら、バスターミナルの屋根も全部緑で覆ってしまえば、初めての人は仰天しそうと思ったりします。
高層ビル街創生期にエレガントな個性を放った右の新宿野村ビルですが、都庁やモード学園コクーンタワーの出現で存在感が薄れた印象も。
ですが近ごろ高層ビルで注目されるのはデザインよりも耐震性とすれば、新宿では下の新宿住友(三角)ビルに次ぐ安定感が見て取れます。
学生時代にはまだ数少なかった高層ビル群ですが、「未来の象徴」への関心から高層階の大衆パブ的な店によく足を運びました。
町を見渡し「青き夢」を抱いた場所は、何ひとつ成せなかったと素直になれる場所となりました。
窓からの景色は大きく変化していますが、以前慣れ親しんだ安心感のせいか、近ごろ弱くなった高所でも怖さがありません。
そこまでを含めて学生時代の感覚を取り戻せたとしたら、ちょっと驚きです……
追記──祝 イプシロン打ち上げ成功!
夏休みの絵日記の最後を飾るはずだったイプシロン打ち上げは、「バンザーイなしよ」の延期とされました。
成功に歓喜する子どもたちの姿に、「アポロ11号月面着陸」をかぶりついて見ていた自分が重なります。
海外の出来事が、毛利さん以降はとても身近に感じられるようになり、「はやぶさ」ブームから国産ロケットに関心が向けられるようになりました。
この日、発射のカウントダウンをした子どもたちから、宇宙に関心を向ける人格がひとりでも多く育つことを!
町を見渡し「青き夢」を抱いた場所は、何ひとつ成せなかったと素直になれる場所となりました。
建設当時は三角の形状で注目されるも、今どきは「地震に強そう」と見る目は変わりました。
東日本大震災では被害の報告があったらしく、三角の構造は強そうでも、高層ビルでは上・下部での揺れの差が影響するようです(右は内側の吹き抜け)。
次の手には、ペンタゴンの「五角形」が強そうに思えますが……
窓からの景色は大きく変化していますが、以前慣れ親しんだ安心感のせいか、近ごろ弱くなった高所でも怖さがありません。
そこまでを含めて学生時代の感覚を取り戻せたとしたら、ちょっと驚きです……
追記──祝 イプシロン打ち上げ成功!
夏休みの絵日記の最後を飾るはずだったイプシロン打ち上げは、「バンザーイなしよ」の延期とされました。
成功に歓喜する子どもたちの姿に、「アポロ11号月面着陸」をかぶりついて見ていた自分が重なります。
海外の出来事が、毛利さん以降はとても身近に感じられるようになり、「はやぶさ」ブームから国産ロケットに関心が向けられるようになりました。
この日、発射のカウントダウンをした子どもたちから、宇宙に関心を向ける人格がひとりでも多く育つことを!
2013/09/09
隣人と無垢に遊べる日──東新宿〜新宿西口
2013.9.1【東京都】──大江戸線を歩く_16
体感的にはかなり厳しい暑さの中、祭りが近いのか戸山公園では「ヨサコイ踊り」をはじめ、ダンスチームが練習をしています。
野球場のオヤジたちのプレーを目にし、以前は自分もぶっ倒れそうな暑さの中でよくやったと振り返るも、「お疲れ〜!」のビールに「生きてる実感」を味わったこと以外は覚えてません。それが「草野球」でいいんですよね……
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東京グローブ座付近(Map)
一帯に集中する公営住宅、公園、学校・大学、病院など公共性の高い施設は、江戸時代の尾張徳川家下屋敷〜明治時代に戸山ヶ原とされた軍用地(陸軍戸山学校を含む)の跡地(経緯を見れば東京の一等地)が、戦後に活用されたものです。
山手線の外側に、シェイクスピア作品の上演劇場を目指し建設された「東京グローブ座:シェイクスピア時代のロンドンの劇場に倣った」ですが、閉鎖後の現在はジャニーズ事務所の傘下に置かれます。
上は同時に再開発された西戸山タワーホームズの「シェイクスピア・アレイ:劇場の意か?」で、民間活力導入による国有地再開発第1号とは言え、気取りすぎてません?
百人町周辺(Map)
JR新大久保駅周辺は百人町に属し、江戸警護を担当した伊賀組百人鉄砲隊屋敷があったことに由来します。
腕利きの連中でも、下の皆中稲荷神社(かいちゅう:すべて的中の意)への願掛けは欠かさなかったとのこと。
この町の路地が真っすぐ甲州街道(敵の侵入口)に伸びるのは、出動のためと『ブラタモリ』で学びました(ホームページは閉鎖された?)。
周辺に管楽器を扱う店が多いのは、明治期に来日した多くの外国人音楽家が「武蔵野の入口:郊外」のこの地に暮らしたことにより、それが現在の「ミュージシャンは中央・総武線沿線を目指す」のルーツなのか?
軍事施設が戦後宅地化される再開発期に、日雇い労働者や在日朝鮮人などのバラックが、空き地や山手・中央・総武線のガード下に並びます。
職業安定所の存在や、ロッテの工場操業(1950年:韓国系企業)により、韓国からも職を求めて人が集まります。
日曜日のかき入れ時とはいえ、コリアタウンの人たちは働き者で、「働き者日本人」のルーツは韓国からもたらされたか? と思ったりします。
そこで勝負となれば、それぞれの文化に根ざす「おもてなしの心:滝川クリステルのスピーチ前に書いたのですが…」となりそうですから、サッカーの試合よりも火花が散るかも知れません。
以前山手線の車窓から、新宿の職安付近で仕事を求める人の群れを目にした記憶があります。
コリアタウン大盛況の現状からは、朝鮮半島出身者がらみと想像できますし、この日「やはり」と受け止めたことで古い記憶がよみがえりました。
半島出身の出自を持つ小学校の同級生が「お前知らないのか?」と、放課後はクラスメートを遠ざけていた事に思い至ります。
それは社会認識をゆがめてしまった教育の残滓のせいとしても、以前には現在とは比較にならない「被差別意識」を抱き、過ごしたであろう人々がいました……
このところ、主張だけを繰り返し互いにダダをこねるだけの「ガキの外交」で、幼稚さを確認し合う間柄ですから、けんかの後の子どもたちのように、無垢(むく)な気持ちで遊べる日はやってくるはず、とは、楽観しすぎだろうか……
上は、線路沿いにあったドヤ街(簡易宿泊施設:宿以下なので逆さに呼ぶ)の名残。
フェンス内の建物は取り壊され現在道路建設予定地。右下は昔のゴミ出し箱。
追記──祝! 東京五輪開催決定!
久しぶりの大きな明るい話題で、社会人になってから初めて「社会への期待感」を抱くオヤジたちも、「2020年までがんばっぺ!」と、ムチを入れられそうです。
開催時の震災全面復興は無理でも、目標が明確にされた「震災復興宣言」に向け、取り組みを加速させる意志を耳にしました。
プレゼンテーションでの首相の嘘(放射線汚染水は管理下にある)は、必ず達成する国際公約として受け止めるべきと納得できるものです。
ですが、この期に自爆的反論をする腐った東電にかぶせるフタは無いのか?
お前らの仕事の質が問われている時に「何をやってだめでした」の発表ができるのか!(理系の風上に置けない)
大きな夢というニンジンを目の前にすれば、わたしもほえてしまいそうですが、「ホラの実現」こそ政治家の役目と思える気運が生まれました。
今度ばかりは、やってもらわねばなりません!
東京タワーの祝賀ライトアップは、前回の応援時と2020の表示面が変わりましたが、ほかは変わらない気がします(iPhoneじゃ色が分からない)……
追記──宮崎駿監督引退
体調不良かの心配も「(老眼の)裸眼で集中する疲労」に共感してしまう近ごろ。老眼でも手元の様子を「キッチリ」見たい意識があると、眼鏡を外し裸眼で見ようとしますが、その作業を続けるうちに視力自体の衰えを実感するようになります。
「オオカミおやじ:引退は何度も聞いた」であれば歓迎ですが、まずは今後の活動を応援することに(話題になってしまったので『風立ちぬ』観賞は次週にします)……
体感的にはかなり厳しい暑さの中、祭りが近いのか戸山公園では「ヨサコイ踊り」をはじめ、ダンスチームが練習をしています。
野球場のオヤジたちのプレーを目にし、以前は自分もぶっ倒れそうな暑さの中でよくやったと振り返るも、「お疲れ〜!」のビールに「生きてる実感」を味わったこと以外は覚えてません。それが「草野球」でいいんですよね……
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東京グローブ座付近(Map)
一帯に集中する公営住宅、公園、学校・大学、病院など公共性の高い施設は、江戸時代の尾張徳川家下屋敷〜明治時代に戸山ヶ原とされた軍用地(陸軍戸山学校を含む)の跡地(経緯を見れば東京の一等地)が、戦後に活用されたものです。
山手線の外側に、シェイクスピア作品の上演劇場を目指し建設された「東京グローブ座:シェイクスピア時代のロンドンの劇場に倣った」ですが、閉鎖後の現在はジャニーズ事務所の傘下に置かれます。
上は同時に再開発された西戸山タワーホームズの「シェイクスピア・アレイ:劇場の意か?」で、民間活力導入による国有地再開発第1号とは言え、気取りすぎてません?
百人町周辺(Map)
JR新大久保駅周辺は百人町に属し、江戸警護を担当した伊賀組百人鉄砲隊屋敷があったことに由来します。
腕利きの連中でも、下の皆中稲荷神社(かいちゅう:すべて的中の意)への願掛けは欠かさなかったとのこと。
この町の路地が真っすぐ甲州街道(敵の侵入口)に伸びるのは、出動のためと『ブラタモリ』で学びました(ホームページは閉鎖された?)。
周辺に管楽器を扱う店が多いのは、明治期に来日した多くの外国人音楽家が「武蔵野の入口:郊外」のこの地に暮らしたことにより、それが現在の「ミュージシャンは中央・総武線沿線を目指す」のルーツなのか?
軍事施設が戦後宅地化される再開発期に、日雇い労働者や在日朝鮮人などのバラックが、空き地や山手・中央・総武線のガード下に並びます。
職業安定所の存在や、ロッテの工場操業(1950年:韓国系企業)により、韓国からも職を求めて人が集まります。
下はかつてバラックが並んだ辺りなのか、コンクリートで固められカラフルにペイントされています(上が線路)。
右手には山手線車窓から見えるラブホテルがあるので、環境浄化的な狙いもあるのでしょうが、わたしでも夜は怖そうな通りです。
右手には山手線車窓から見えるラブホテルがあるので、環境浄化的な狙いもあるのでしょうが、わたしでも夜は怖そうな通りです。
1990年代から韓国・中国・フィリピン・タイ出身者向けの、留学生アパート・店舗・日本語学校などが増えたそうですが、この日は催しがあるのかサリーをまとったインドの方が目立ちます。
日曜日のかき入れ時とはいえ、コリアタウンの人たちは働き者で、「働き者日本人」のルーツは韓国からもたらされたか? と思ったりします。
そこで勝負となれば、それぞれの文化に根ざす「おもてなしの心:滝川クリステルのスピーチ前に書いたのですが…」となりそうですから、サッカーの試合よりも火花が散るかも知れません。
右はコリアタウン店舗前にある、中華街店頭で北京ダックをつるすような、食材を焼くための設備。
以前山手線の車窓から、新宿の職安付近で仕事を求める人の群れを目にした記憶があります。
コリアタウン大盛況の現状からは、朝鮮半島出身者がらみと想像できますし、この日「やはり」と受け止めたことで古い記憶がよみがえりました。
半島出身の出自を持つ小学校の同級生が「お前知らないのか?」と、放課後はクラスメートを遠ざけていた事に思い至ります。
それは社会認識をゆがめてしまった教育の残滓のせいとしても、以前には現在とは比較にならない「被差別意識」を抱き、過ごしたであろう人々がいました……
このところ、主張だけを繰り返し互いにダダをこねるだけの「ガキの外交」で、幼稚さを確認し合う間柄ですから、けんかの後の子どもたちのように、無垢(むく)な気持ちで遊べる日はやってくるはず、とは、楽観しすぎだろうか……
上は、線路沿いにあったドヤ街(簡易宿泊施設:宿以下なので逆さに呼ぶ)の名残。
フェンス内の建物は取り壊され現在道路建設予定地。右下は昔のゴミ出し箱。
追記──祝! 東京五輪開催決定!
久しぶりの大きな明るい話題で、社会人になってから初めて「社会への期待感」を抱くオヤジたちも、「2020年までがんばっぺ!」と、ムチを入れられそうです。
開催時の震災全面復興は無理でも、目標が明確にされた「震災復興宣言」に向け、取り組みを加速させる意志を耳にしました。
プレゼンテーションでの首相の嘘(放射線汚染水は管理下にある)は、必ず達成する国際公約として受け止めるべきと納得できるものです。
ですが、この期に自爆的反論をする腐った東電にかぶせるフタは無いのか?
お前らの仕事の質が問われている時に「何をやってだめでした」の発表ができるのか!(理系の風上に置けない)
大きな夢というニンジンを目の前にすれば、わたしもほえてしまいそうですが、「ホラの実現」こそ政治家の役目と思える気運が生まれました。
今度ばかりは、やってもらわねばなりません!
東京タワーの祝賀ライトアップは、前回の応援時と2020の表示面が変わりましたが、ほかは変わらない気がします(iPhoneじゃ色が分からない)……
追記──宮崎駿監督引退
体調不良かの心配も「(老眼の)裸眼で集中する疲労」に共感してしまう近ごろ。老眼でも手元の様子を「キッチリ」見たい意識があると、眼鏡を外し裸眼で見ようとしますが、その作業を続けるうちに視力自体の衰えを実感するようになります。
「オオカミおやじ:引退は何度も聞いた」であれば歓迎ですが、まずは今後の活動を応援することに(話題になってしまったので『風立ちぬ』観賞は次週にします)……
2013/09/02
苦学生とともに──若松河田〜東新宿
2013.8.25【東京都】──大江戸線を歩く_15
今回は早稲田方面に寄り道しました。
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戸山町(Map)
地下鉄大江戸線というのは現在の町が形成された後に通された新参者ゆえ、町の中では駅の入口にも存在感が薄く、漫才ではないが「どこから出入りしたものか?」と、とまどうことが多い。
それは、東京都が都電廃止の負い目を感じながらも、地下鉄開業まで時間を要したため、その間に「交通手段は都バスだけの町」として整ったことにあるようだ。
若松町交差点からすっと静かに下る夏目坂は、早稲田へと通じる道だが、この町はどうして変わらず雑然として、汚らしさとも言える態度を示すのだろうか。
もはや、バンカラ学生相手の「お人よし商売」の時代ではなく、三田にあって早稲田にない「町の清潔感」は校風と甘んじたならば、まさかの時代錯誤である。
ふと、司馬遼太郎風な文章(のつもり)を書きたくなったのは、町の雰囲気によるようです。
夏目坂の由来は、漱石の生家が近かったことによるらしいが、漱石云々の評価ではなく、付近の話題性をでっち上げたように感じられる。
穴八幡宮(Map)
関東にある八幡宮は源氏ゆかりの神社が多く、ここは源頼朝の曾祖父にあたる「八幡太郎義家」が、奥州制圧後に八幡様(京都の石清水八幡宮)を祭ったとされます。
義家は、源頼朝(鎌倉幕府)や足利尊氏(室町幕府)の祖先にあたり、武家政権の祖とされます(奥州出陣時に鎌倉源氏山に源氏の白旗を掲げた)。
私見ですが、ここには根津神社に通じる存在感を覚えます。
古墳の上に建立したらしいが、一枚上の立派な石垣を作って大丈夫だったのか?
ここは徳川将軍家とのつながりが強く、8代将軍吉宗が奉納した流鏑馬が現在も高田馬場流鏑馬として伝えられます。
「蟲封じ(かんの虫をはじめ)」で名が知れ、病弱とされた大正天皇も訪れたそう。
上は、ちょっと素通りできなかった布袋像。
上は社殿の柱に飾られる亀の姿で、反対側は当然「鶴」と思いきや「舌を出した亀」の姿があります。
どちらからも生命力は伝わりますがエグい描写の印象があり、人類を守る「ガメラ」誕生に通じる、浮世離れした感性によるようです。
西早稲田(Map)
諏訪神社(Map)
諏訪神社の祭りには、さまざまな灯ろうが飾られます。
祭りでよく目にする奉納者前だけが書かれた提灯よりも、絵やコメントを表現した姿からは思いが伝わってくるので、とても楽しめる試みに思えます。
温暖化時代必須アイテム(?)の、雷雨対策用のビニールが掛けられています(この日は大丈夫でした)。
学習院女子大学 赤門(Map)
学習院大学=目白の思い込みもあり、ここに「女子大」があるとは知りませんでした。
学習院は1877年(明治10年)華族の学校として設立され、戦後に私大とされます。
門は解体修理(2007年)を終えたばかりのキレイな状態ですし、ロープが張られていますが、職員の方が出てきましたから現役のようです。
門というものには、この威厳が必要です。
追悼
以前の同僚である、ニューズウィーク日本版のアートディレクターが亡くなりました。
「芯が太く一途な男」
ありがとう!
通夜の席は、職を離れて時間が経過した自分にとって「職場の同窓会」的な場となり、思いもしなかった方との再会に驚かされました。
それは彼からのメッセージですから、そのつながりを大切にしなければいけません……
今回は早稲田方面に寄り道しました。
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戸山町(Map)
地下鉄大江戸線というのは現在の町が形成された後に通された新参者ゆえ、町の中では駅の入口にも存在感が薄く、漫才ではないが「どこから出入りしたものか?」と、とまどうことが多い。
それは、東京都が都電廃止の負い目を感じながらも、地下鉄開業まで時間を要したため、その間に「交通手段は都バスだけの町」として整ったことにあるようだ。
若松町交差点からすっと静かに下る夏目坂は、早稲田へと通じる道だが、この町はどうして変わらず雑然として、汚らしさとも言える態度を示すのだろうか。
もはや、バンカラ学生相手の「お人よし商売」の時代ではなく、三田にあって早稲田にない「町の清潔感」は校風と甘んじたならば、まさかの時代錯誤である。
ふと、司馬遼太郎風な文章(のつもり)を書きたくなったのは、町の雰囲気によるようです。
夏目坂の由来は、漱石の生家が近かったことによるらしいが、漱石云々の評価ではなく、付近の話題性をでっち上げたように感じられる。
穴八幡宮(Map)
関東にある八幡宮は源氏ゆかりの神社が多く、ここは源頼朝の曾祖父にあたる「八幡太郎義家」が、奥州制圧後に八幡様(京都の石清水八幡宮)を祭ったとされます。
義家は、源頼朝(鎌倉幕府)や足利尊氏(室町幕府)の祖先にあたり、武家政権の祖とされます(奥州出陣時に鎌倉源氏山に源氏の白旗を掲げた)。
私見ですが、ここには根津神社に通じる存在感を覚えます。
古墳の上に建立したらしいが、一枚上の立派な石垣を作って大丈夫だったのか?
ここは徳川将軍家とのつながりが強く、8代将軍吉宗が奉納した流鏑馬が現在も高田馬場流鏑馬として伝えられます。
「蟲封じ(かんの虫をはじめ)」で名が知れ、病弱とされた大正天皇も訪れたそう。
上は、ちょっと素通りできなかった布袋像。
上は社殿の柱に飾られる亀の姿で、反対側は当然「鶴」と思いきや「舌を出した亀」の姿があります。
どちらからも生命力は伝わりますがエグい描写の印象があり、人類を守る「ガメラ」誕生に通じる、浮世離れした感性によるようです。
西早稲田(Map)
西早稲田の路地にはいまも下宿屋のたたずまいが健在ですが、むかしの貧乏学生がひどかったことを、五木寛之『青春の門』とシンクロする人は多いのではあるまいか。
道すがら、ヒロイン織江の「信介しゃん」の声を耳にしたような錯覚は、若い時分に背伸びしたあこがれが呼び覚まされるようでもあり、なんだか胸がざわざわしてきます。
サッシ窓の部屋に暮らす現代の苦学生に、この町はどう映っているのだろう……
諏訪神社(Map)
諏訪神社の祭りには、さまざまな灯ろうが飾られます。
祭りでよく目にする奉納者前だけが書かれた提灯よりも、絵やコメントを表現した姿からは思いが伝わってくるので、とても楽しめる試みに思えます。
温暖化時代必須アイテム(?)の、雷雨対策用のビニールが掛けられています(この日は大丈夫でした)。
学習院女子大学 赤門(Map)
学習院大学=目白の思い込みもあり、ここに「女子大」があるとは知りませんでした。
学習院は1877年(明治10年)華族の学校として設立され、戦後に私大とされます。
門は解体修理(2007年)を終えたばかりのキレイな状態ですし、ロープが張られていますが、職員の方が出てきましたから現役のようです。
門というものには、この威厳が必要です。
追悼
以前の同僚である、ニューズウィーク日本版のアートディレクターが亡くなりました。
「芯が太く一途な男」
ありがとう!
通夜の席は、職を離れて時間が経過した自分にとって「職場の同窓会」的な場となり、思いもしなかった方との再会に驚かされました。
それは彼からのメッセージですから、そのつながりを大切にしなければいけません……
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