今回は早稲田方面に寄り道しました。
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戸山町(Map)
地下鉄大江戸線というのは現在の町が形成された後に通された新参者ゆえ、町の中では駅の入口にも存在感が薄く、漫才ではないが「どこから出入りしたものか?」と、とまどうことが多い。
それは、東京都が都電廃止の負い目を感じながらも、地下鉄開業まで時間を要したため、その間に「交通手段は都バスだけの町」として整ったことにあるようだ。
若松町交差点からすっと静かに下る夏目坂は、早稲田へと通じる道だが、この町はどうして変わらず雑然として、汚らしさとも言える態度を示すのだろうか。
もはや、バンカラ学生相手の「お人よし商売」の時代ではなく、三田にあって早稲田にない「町の清潔感」は校風と甘んじたならば、まさかの時代錯誤である。
ふと、司馬遼太郎風な文章(のつもり)を書きたくなったのは、町の雰囲気によるようです。
夏目坂の由来は、漱石の生家が近かったことによるらしいが、漱石云々の評価ではなく、付近の話題性をでっち上げたように感じられる。
穴八幡宮(Map)
関東にある八幡宮は源氏ゆかりの神社が多く、ここは源頼朝の曾祖父にあたる「八幡太郎義家」が、奥州制圧後に八幡様(京都の石清水八幡宮)を祭ったとされます。
義家は、源頼朝(鎌倉幕府)や足利尊氏(室町幕府)の祖先にあたり、武家政権の祖とされます(奥州出陣時に鎌倉源氏山に源氏の白旗を掲げた)。
私見ですが、ここには根津神社に通じる存在感を覚えます。
古墳の上に建立したらしいが、一枚上の立派な石垣を作って大丈夫だったのか?
ここは徳川将軍家とのつながりが強く、8代将軍吉宗が奉納した流鏑馬が現在も高田馬場流鏑馬として伝えられます。
「蟲封じ(かんの虫をはじめ)」で名が知れ、病弱とされた大正天皇も訪れたそう。
上は、ちょっと素通りできなかった布袋像。
上は社殿の柱に飾られる亀の姿で、反対側は当然「鶴」と思いきや「舌を出した亀」の姿があります。
どちらからも生命力は伝わりますがエグい描写の印象があり、人類を守る「ガメラ」誕生に通じる、浮世離れした感性によるようです。
西早稲田(Map)
西早稲田の路地にはいまも下宿屋のたたずまいが健在ですが、むかしの貧乏学生がひどかったことを、五木寛之『青春の門』とシンクロする人は多いのではあるまいか。
道すがら、ヒロイン織江の「信介しゃん」の声を耳にしたような錯覚は、若い時分に背伸びしたあこがれが呼び覚まされるようでもあり、なんだか胸がざわざわしてきます。
サッシ窓の部屋に暮らす現代の苦学生に、この町はどう映っているのだろう……
諏訪神社(Map)
諏訪神社の祭りには、さまざまな灯ろうが飾られます。
祭りでよく目にする奉納者前だけが書かれた提灯よりも、絵やコメントを表現した姿からは思いが伝わってくるので、とても楽しめる試みに思えます。
温暖化時代必須アイテム(?)の、雷雨対策用のビニールが掛けられています(この日は大丈夫でした)。
学習院女子大学 赤門(Map)
学習院大学=目白の思い込みもあり、ここに「女子大」があるとは知りませんでした。
学習院は1877年(明治10年)華族の学校として設立され、戦後に私大とされます。
門は解体修理(2007年)を終えたばかりのキレイな状態ですし、ロープが張られていますが、職員の方が出てきましたから現役のようです。
門というものには、この威厳が必要です。
追悼
以前の同僚である、ニューズウィーク日本版のアートディレクターが亡くなりました。
「芯が太く一途な男」
ありがとう!
通夜の席は、職を離れて時間が経過した自分にとって「職場の同窓会」的な場となり、思いもしなかった方との再会に驚かされました。
それは彼からのメッセージですから、そのつながりを大切にしなければいけません……
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