2014/05/26

下町になじむアジアの庶民──三河島

2014.5.3【東京都】──「隅田川を歩く_9」


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三河島(みかわしま)(Map)

 駅周辺に残る「未踏の空白域」に一度降り立ちたいと思っていました。
 日暮里の隣駅らしく(?)華はないが、駅前には再開発の「のろし的?」な高層マンションが完成間近です。

 駅前の商店街で、韓国語が当たり前のように飛び交う様子には戸惑いますが、近所の方と日本語で世間話する姿には、確固たるアイデンティティを盾に異国で生きるたくましさがあふれています。
 周辺に済州島出身者が多いのは、戦前に移り住んだ若者が軍需関連の仕事で日本当局に顔がきいたため、そのコネで故郷の知り合いを呼び寄せたとされます。
 明治期の周辺は、畜産会社の工場、屠殺場、皮革工場、肥料工場、油脂工場が作られ地場産業として栄えました。
 屠殺場から出回る豚の耳、しっぽ、内臓等は、当時の日本人に食習慣がなく、韓国出身者が食材に利用したのが、近隣韓国料理店のルーツとのこと。

 荒川区に暮らす朝鮮半島出身者(南北含む)の数は、23区内では大久保が属す新宿区に次ぐ多さで、韓国キリスト教会や韓国仏教寺院も見かけます。
 中でも東京朝鮮第一初中級学校は存在感あるが、日本の「学校教育法」に当てはまらない各種学校とされます。

 地域にはインターナショナルな「つて」で、アジアからの流入者が集まるらしく、右のアパートではフィリピンの言葉(?)を耳にします。
 この絵はどう見ても下町の光景ですから(突飛なものはない)、海外からの移住者も日本流の生活になじみつつ、近所付き合いをしているようです。

 訳ありだから、目立たぬように暮らすのか?(失礼) 最初の店舗写真は、竜の絵から中国系に見えますし、一帯はアジア系庶民の巣窟となっているかも知れません……
 1962年付近で発生した「国鉄戦後五大事故」の一つとされる三河島事故(力作のCG)の後、事故による地域のイメージ悪化防止のために地名を変更したとされます。
 そこには海外からの移住者の存在を隠したい意図があったようにも感じます(まだ民族差別意識が強い時代)。
 線路脇の狭い路地に軒が連なる一帯は、バラックがあった場所に家を建てたような窮屈さにも、他人には入る隙のない共同体的な結束力を感じます。
 右は事故現場に近い線路下の道路。

 右は「カンカン森通り」の桜並木で、その名は道沿いの「神々森猿田彦神社」に由来します。
 通りの三ノ輪側は正庭(まさにわ)通りにぶつかる丁字路で、正庭通りにも桜並木が続く様子から双方とも以前水路で、桜はその土手に植えられたように思えます(三河島駅近くの七五三通りにも桜並木がある)。
 以前町屋付近で水路跡に見えた両岸にも並木が続いたと考えると、以前の隅田川沿いにはのんびりとした田園風景が広がっていた様子が想像されます。
 都電三ノ輪橋の駅名は、現在は暗きょとされた王子から分流した石神井川の支流に架けられた橋に由来。

浄閑寺(Map)


 上は浄閑寺(じょうかんじ)にある「新吉原総霊塔」の供え物。
 吉原は江戸時代に設置された幕府公認遊郭で「新」とされるのは、元は現在の人形町付近にあったが大火で焼失後、この付近に移転したことを指します。
 安政の大地震(1855年)で多くの遊女が死亡した際、亡がらが寺に投げ込まれたことから「投げ込み寺」と呼ばれ、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と粗末な扱いが伝えられ、総霊塔が建てられます。
 現代の化粧品が供えられるのは、つけさせてあげたかった、という理由だけなのか?


2014.5.10【東京都】

「栄西と建仁寺展」──東京国立博物館(展示会ホームページ)


 国宝に指定された美術品「風神雷神図屏風:江戸時代作」などは博物館で保管されるため、所蔵の寺にはレプリカが置かれたりします(上は尾形光琳の模写。周囲がパシャパシャやるので、カメラ持参も遠慮がちにiPhoneで撮影)。
 対面して思い出した「建仁寺ではなく東京で観た?」の薄い印象を調べると、2008年11月「大琳派展」(同博物館)で出会っていました。
 前回同様この日も「ピンと来なくてちょっとガッカリ」の感想なので、見る目は変わらないというか、成長していないようです。

 栄西(NHKは「ようさい」と読むが、教科書で習った「えいさい」も可らしい)が建立(1202年)した建仁寺独特の禅文化、様式や水墨画に代表される「質素さ」の美学は、ぜひ京都で体感してください! 江戸時代の絵には感じられない存在感があります。
 調べていて三十三間堂の風神・雷神像に至り、2度見たことを忘れない国宝像と、2度見てもモヤモヤする国宝屏風絵の違いを、自分の価値観として明確にしておくべきと思い始めました……


追記
 New Macから見える景色_4──美学を失わないApple

 昨年あたりから目にする新規格の「Thunderbolt」(周辺機器接続用規格)では、同一ポートからディスプレイ、DVD等外部機器やネットワークまで接続可能となりました(現在Thunderbolt→Ethernetケーブルを使用中)。
 しかし画像を扱う必要のないWindowsでは不要なため、近いところではFirewire(USBのライバル的存在)のように、Mac周辺の「方言規格」となりそうです。
 そんなルーツとして思い浮かぶのが「AppleTalk」で、Ethernet(パソコンネットワーク)が一般に普及する以前に、Appleが独自に画像データ通信を実現したシステムです。
 初代パーソナルコンピュータとして日本で爆発的に売れたNECのPC98シリーズには、一人で黙々と遊ぶゲームしかなかったのですが、MacではそのAppleTalkネットワークを利用した4人麻雀(4台で対戦)ができました(だから何だ? でも楽しかった!)。
 Appleは当初から「ビジュアル系」を目指したので、Windows陣営とは一線を画すため「独り相撲」に見えましたが、大衆に「楽しさ」を気付かせたのがiPhoneと言えます。
 現在もAppleのフロンティア精神(ジョブズの精神)は健在、と感じられる技術はよろこばしいのですが、Thunderboltケーブルの値段の高さは何とかならないか?
 それは「高級ではなく、高い要求」であるのがAppleらしさと感じますが、iPhone景気に浮かれた瞬間に転げ落ちてしまうような高みに上ってしまいました。
 「ビジュアル系」が大衆に受け入れられた現在、ライバルはWindowsではなくさまざまな切り口から参入してくるニューカマーと思われ、そんなライバルたちを味方に引き込めるだけの「Appleの美学」を保てるかが、ジョブズ不在の今後のテーマと思われます。

 本連載は今回で終了です。また何か気付いたことがあれば掲載します。


追記2──厚木基地騒音訴訟で「自衛隊機の夜間・早朝の飛行差し止め判決」(5月21日)

 基地騒音訴訟の損害賠償で過去最高額「約70億円」が命じられるも、近隣住民が求めているのは賠償ではありません(実家も「住宅防音工事助成区域」に含まれる)。
 裁判所も「現状の夜間・早朝飛行騒音の大半は米軍機」と認めた上で、「支配の及ばない第三者の行為の差し止めを国に求めるもので、棄却を免れない」とした、米軍機訓練を止めさせたいのです。
 国も司法も認識しながら動こうとしない現状を変えるには、基地移転要求しかないが、それは沖縄の普天間基地移転と同じで、移転先探しが求められます。
 首都防衛のため横須賀を母港とする空母艦載機の訓練場は近くに必要だからと、房総・伊豆半島沖を埋め立てられるものではない(沖縄はあれでよし、の意見ではない)。
 そのような成り立たない議論ではなく、考え方を変えなければ解決の糸口も見つからない、と思うところです……

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