2015/07/20

東京駅が背負うもの

2015.7.4【東京都】──「雨の日企画」

 関東地方の梅雨明けが発表され、「雨だったらどうしよう?」と腐心した時期を蹴散らすような暑さが到来しました。



東京駅丸の内口

 この日計画していた秋葉原を歩き始めると、あやしげな空から雨が落ちてきます。
 しばらく様子を見るもNGと判断し「どこ行く?」と考え始め、雨の日でも歩ける場所がいくつも思い浮かぶことに、さすが都会だなぁ〜と。
 リニューアル後の東京駅を見たいと思っていたので、この機会に歩きました。


 先ず目指した丸の内口は「両サイドの方が…」と思い出し、上は北口改札を出たロビーのドーム天井。鳥の侵入防止用ネットが写らずホッと……

 日本の鉄道は、西南の役(1877年:明治10年)による財政難のため官設鉄道は新橋〜神戸間しか建設できず、着手できない他の主要路線は国の後ろ盾を受けた「日本鉄道」等の私鉄(半官半民ながら資金は華族・士族の持ち出し)が建設することになります。
 東京周辺では、上野から東北本線・高崎線、日暮里から常磐線や、赤羽〜品川(新宿側の山手線原型)が日本鉄道に建設されました。


 日本鉄道は1906年国有化され、官の事業として新橋〜上野間の高架鉄道建設、皇居正面の中央停車場建設は日露戦争終了後の08年に始まり、東京駅は14年(大正3年)に開業します。
 その後の経済活動は天皇のお膝元を目指すため、前回の万世橋駅周辺のにぎわいも衰退していきます。

 空襲で焼失した本駅舎は、安全確保のため元の3階建てを2階建てとして修復されましたが、2007〜12年の工事を経て創建当時の姿に復元されました(上はホテルの窓)。

 右上は南口(はとバス乗り場方面)の2階回廊から、改札口を見下ろした絵。
 2階は自由に立ち入れますが、3階の回廊には人影はないので難しいかも知れません。
 駅舎内は、東京ステーションホテル、ステーションギャラリーやレストラン等の店舗とされ、自由に立ち入れる場所は限られます。
 もっとディープな駅舎内はご利用の際に、が売りでしょうから仕方ありません。

 右は東京駅開業と同時期に製造されたポストで、100周年記念として茨城県の保育園から移設されたもの。


丸の内口地下街


 2007年完成の「新丸の内ビルディング」は、旧丸ビルに比べ敷居が低い印象のためか足を運ぶ回数が増えるも、やはりわたしの居場所はなさそうです。
 上は、化石が含まれそうな地下入口の柱。中央のCH下の模様は化石じゃない? 詳しくないが「何かありそう」と関心を持つ大切さは、大人になっても変わらないはず……

 旧東京中央郵便局舎再開発(リンク先を見て行きたくなった)により「KITTE:JPタワー」方面の地下道は整備されましたが、駅前広場・地下街再整備は2017年完成予定。


 皇居から東京駅に伸びる行幸通り中央車線は、天皇行幸と信任状捧呈式に向かう外国大使送迎車馬通行のみに使用される専用道(送迎は車か馬車とされ運転手・御者は宮内庁「車馬課」職員)で、キャロライン・ケネディ米駐日大使の馬車列(YouTube:最後尾の糞処理隊の軽トラは黒塗りじゃないんだ)が印象に残ります。
 地下にあった駐車場は、2007年地下道+行幸地下ギャラリーに整備されます(上)。
 展示中の写真展「世界の鉄道・街の鼓動」で、台湾映画『恋恋風塵(YouTube予告編)』の舞台平溪線の十分(Shifen)(YouTube)の写真を目にします。当時初々しかったワンやホンも、やかましい中年になっちゃったのか?


八重洲口

 リニューアルした八重洲口は、裏玄関とされないようモダンなデザインで生まれ変わりますが、右の眺めのいいグランルーフ2階に足を運ぶ人は少ないようです。
 東京駅開業当時の八重洲側は外濠(現八重洲口前を横切る外堀通り)に面し、改札口もありませんでした。
 整備後も戦災・火災を受けますが、鉄道会館ビル(1954年)建設でようやく足場が固まります。
 そのビルには、代名詞の大丸東京店ではなく、不慣れな上京者を支える都道府県の出張所(アンテナショップ)が並ぶ「東京の迷子案内所」の印象が残ります。


 日本のセントラルステーション東京駅には様々な思いが交錯するため、駅構内は結構歩きにくかったりします。
 大きな荷物を引く人には注意を払うも、ビジネスマン姿には相手も避けるだろうと思うと、出張でとまどう人だったり…… 首都の玄関口東京駅には外観の威厳も大切ですが、ソフト面でも多くを求められています。
 上は翌週立ち寄った際のもの(丸の内北口)。カメラ背後にこの光景を写生する方がいたように、多くの人が様々な思いでセントラルステーションを見つめています。

 これをアップした日の晩、NHK『ブラタモリスペシャル』でディープな東京駅周辺が紹介されますが、「ぜ〜んぶスルーしちゃった」ので、また行かねばと思っています……


追記──新国立競技場建設計画「白紙撤回」と、戦争法案への強硬姿勢

 「国民の皆さまの声に耳を傾けながら…」ようやく新国立競技場建設を「白紙撤回」しましたが、これまで「是」としてきた神経を疑います。東京オリンピック組織委員長 森喜朗の圧力なのでしょう。
 一方、戦争法案で「国民の皆さまの声に耳を傾けず」世論を切り捨てるならば、過激な行動をつつしむ子育て世代〜戦争を経験したお年寄りに至る、「草の根」的な抗議行動が広がりそうな空気感があります。こちらは中曽根康弘の圧力か?
 引退した連中が裏で政治を操ることなど認めたつもりはないのに、そんな体質を持つ自民党を選んだのは国民の責任です。
 だからこそ国民は「平和憲法は自分たちが守る!」と、立ち上がりつつあります。
 軍隊を持たない「不思議の国」こそ国民が望む姿であると確認でき、一段とこの国が好きになりました。
 ですがこの先はいばらの道ですし、島国根性には気をつけねばなりません……

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