2015/12/07

日本の中心を歩く──日本橋

2015.11.21【東京都】──「日本橋川を歩く_3」

 今回は、江戸時代に五街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)の起点として定められ、明治期以降も「日本の中心」として認知される日本橋周辺を歩きます。



日本銀行

 右は日本銀行の紋章で、6個の千両箱の上に立つライオンが、両側から「日」の図案を支えます。
 建物の設計者 辰野金吾(東京駅も設計)が、イギリスの国章など、ライオンをあしらう欧州の紋章にならったものらしいが、日本と関わりのない動物ですから、それこそ「欧米か!」です。
 当時日本であまり知られない動物を用いることで、「開国の世」をアピールし、視線を世界に向けさせる狙いがあったのか?
 1957年発行「聖徳太子像の5千円札」の絵柄として馴染みのある世代は、ガキの時分から「百獣の王」の認識を持っていましたから、「強さの象徴」程度には感じていたのだと思います。


 上は、日銀と三井本館の間に残される消火栓で、一帯の遺構を保存する流れらしい。
 アメリカのTVドラマ『宇宙家族ロビンソン』のロボットを想起した、で伝わるか?


三井本館(三井記念美術館)

 右は、関東大震災で被災した旧三井本館(1902年:明治35年)を、建替えたもの(1929年:昭和4年)で、関東大震災の2倍の地震にも耐えられる強度設計とのこと。
 金庫の扉は50トンあり、日本橋の通行を認められず船で運ばれたなど、近頃のグローバル社会では、そんな「企業の意地は不要」と海外投資家に却下されそうですが、当時の心意気が感じられます。
 三井財閥は、三井越後屋(三越・三井銀行)に始まるため、日本橋でも三越と三井本館は軒を連ねます。現在放映のNHK連続テレビ小説『あさが来た』(楽しんで見ている)では、主人公の実家にあたる。
 日本銀行の母体が三井銀行とは知りませんでした……


日本橋三越

 誰にも見られずにライオン像(1914年:大正3年設置)にまたがったり、触った受験生は合格するとされるらしく、ずっと像をいじる右のおばちゃんもまたがったのか?
 モデルはロンドンにある像で、関東大震災や戦火をくぐり抜けた強者にあやかりたい気持ちも理解できるが、ライオンを敬うルーツは旧約聖書の記述により、ユダヤ・キリスト・イスラム教に共通するらしい。
 ますます「そんなの関係ねー!」と思うが、当時の日本は「欧米化!」を目指していたのです……


日本橋

 日本道路網の始点とされる道路元標は、橋(道路)の中央に埋められ近づけず、頭上のシンボルを代替に。
 シンボリックな橋の上に、首都高速を建設した都市開発(1964年東京オリンピックに向けた道路整備)は汚点と批判され続け、ようやく地下化(?)に向けた動きもあるらしいが、かなりの大事業となりそうです。
 現在の橋は19代目で国の重要文化財ですから、多くの人が自慢できる景観を望んでいることは確かです。


東京日本橋タワー2015年竣工

 右は柱に貼られた化粧石ですが、そこから伝わるのは「地球の躍動感」ではなく、寄せ集めによる「混沌」?
 何をやろうが三越や高島屋(下2枚目)の「古典」にはかなわないため、現代アート風を選択したようにも。
 どうせなら、化石が見つかりそうな石の方が話題として広がると思うのは、少数派か?

 下はコレド日本橋ANNEXの、ガラス貼りのキッチン。
 厨房はに閉鎖空間的なイメージがあるが、ここならスタッフもリフレッシュできる? と思うも、彼らは集中していますから、外を眺めるヒマも無さそうです。



日本橋高島屋


 高島屋を訪れる機会はめったにないが、いつもテーマパークを思わせるようなエントランスのディスプレイに感心させられます。その時々の空気感を表現する場には、人々のあこがれの視線が注がれたのでしょう。
 「スゲエ!」と感心するが、関心の無さが見え見えのコメントでスミマセン……


追記──おばぁ(平良とみさん)が死んでしまったさぁ……

 ティダ(太陽)のような存在でしたが、われわれには想像もできない苦難や辛い思いを秘めながらも明るくふるまう心には、若者たちの未来を信じ応援する「沖縄戦経験者の使命感」があったに違いない。
 受け手側の年代で思い浮かぶのが、沖縄出身のモデル知花くららさんの「戦争や基地について知って欲しい」気持ちと「沖縄の自然や文化を見て欲しい」思いは同等で、そこにある大きな溝を「フラットに受け止める」心構えが備わってきた、と語る姿。
 孫の世代まで戦争経験者の思いをキチッと通せたおばぁ世代の努力は、先々まで語り継がれるでしょうが、ヤマト(本土人)にはこの先も伝わりそうにありません。
 まぶしい『ちゅらさん』の3ショットの写真(スーちゃんも不在)からは、沖縄離島ブームの火付け役の功績とともに、おばぁのようなチャーミング+たくましい女性が「甘えん坊の男を育てる」沖縄文化(?)がよみがえります……
 ありがとうございました! おばぁたちを忘れない沖縄は、きっと大丈夫です。

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