2015/12/21

潮が香る町名──日本橋○○町

2015.12.5【東京都】──「日本橋川を歩く_5」

 今回は、兜町の日本橋川対岸にあたり、潮の香りが伝わる町名が「日本橋○○町」と残される周辺を歩きます。




日本橋小舟町(にほんばしこぶなちょう)


 浅草寺の大提灯にある小舟町ってここだったんですね。
 江戸期から関東大震災で壊滅的被害を受けるまで日本橋の魚河岸があった町で(その後築地に移転)、威勢よく活気があったでしょうから、浅草寺での存在感も納得です。
 日本橋三越まで徒歩10分程度の路地には、現在も下町らしい町並みが残りますが、建て替えを機にこぎれいになっていくのは当然の流れです。
 上は、レトロなビルに店を構える雑貨店。


小網神社(日本橋小網町)


 現在改修中で全貌は目にできませんが、「どぶろく祭り:新嘗祭」では「ススキミミズク」が配られるそう(有料)。川向こうは「茅場」町ですから、一面が葦原だった時分からの慣習ではないか? 雑司が谷鬼子母神と同じ言い伝えが残りますが、場所柄こちらがルーツではないかと。
 上はまゆにおみくじを入れた「まゆ玉おみくじ」で、そんな使い方は「おカイコ様に申し訳ない」ように思うが、一本の糸で紡がれたまゆのように「縁が一本の糸で結ばれますように」と願うものらしく、その説得力に女性が引き寄せられています。
 家康が付近の網引きを気に入り、肴御用を命ぜられ町名の由来になったらしい。


日本橋蛎殻町(かきがらちょう)


 小舟町、小網町からは生活感が伝わるが、この名称は「海だった?」と響きます。
 中央区のホームページには「昔は漁師の小網の干し場であり、牡蠣の殻の堆積した海浜であったらしいのですが、町名の由来は明らかではありません」とあります。
 水天宮はこの町に属しますが、現在社殿改築のため浜町の明治座付近で仮住まい中。
 隣接する人形町の庶民的なにぎわいは、明治座観劇後の人の流れのようで、人も町も気取りが無く親しみやすさを感じます。
 名物「人形焼き」ではなく「たい焼き」に行列ができるのは、時の流れか?


霊岸島(れいがんじま)

 前回歩いて以来、金田一耕助が現れそうな名称と共に忘れられないのが、「こんにゃく芸者」(江戸時代に埋立てられた島は地盤が軟弱なため「こんにゃく島」と呼ばれ、そこで働く芸者の通称)のキャッチーな語呂です。
 当時の歓楽街は町外れの水辺にあるため(吉原遊廓の前身は人形町にあった)、似たような形容がありそうです。
 映画に『温泉こんにゃく芸者:中島貞夫監督 1970年』がありますが、関係無さそうなのでリンクは控えます。
 右は、日本橋川(奥)と亀島川を仕切る日本橋水門。

 名称は、島に霊巌寺を建立した僧侶 霊巌に由来し、後に京都知恩院の住持(責任者)となる人物。
 後の大火により一帯は焼失したため、寺は深川に移転し、大名屋敷も郊外に転出します。
 ですが跡地には、他地域の防火対策により移転を迫られた庶民が移り住んだとは、どういうこと?

 右は店舗外から、野菜保冷庫に雪だるまやXmas飾りを施した季節感をのぞいた絵。
 雪だるまは、氷ではなくただの飾りらしい。

 橋をくぐる「日本橋クルーズ」の船は、日本橋川〜神田川〜隅田川を巡る観光船。
 以前NHK『ブラタモリ』で目にした、日本橋を船から見上げる眺めは楽しそうなので、是非一度。
 現在の日本橋川は、飾りっけのないコンクリートに覆われていますが、護岸ディスプレイを工夫すれば「水都東京」という新たな魅力が生まれるのではないか? とも。
 右は、日本橋川が隅田川に合流する付近の豊海橋。


 上の霊岸島水位観測所周辺では、月島の高層マンション群が頭の上に見えても、開けた水路が開放感を与えてくれます。
 ここは、日本の水準測量(高低差測量)の聖地とされる地で、以前日本で最初の全国平均水面の観測所(日本の高さの基準:現在は油壺験潮場)があり、付近に設置される日本で最初の水準点は、「交無号」と名付けられるほど重要な存在です。
 大地震後には地盤の隆起・沈下があるため、変動を続ける大地は常に観測し続ける必要がありますが、現在はGPSが概要をフォローしてくれます(革命的!)。

 今回で「神田川流域」の散策は終了です。
 これまでは、流域の都市化に伴い流路をコンクリートで固め、洪水と戦う宿命を背負うイメージしかなかったが、思いのほか時間を要した広い流域(支流の善福寺川、妙正寺川等)を歩くことで、都心部の主要河川とされる姿を認識できたと思います。


追記──澤穂希選手 引退

 闘志あふれるプレーを続けられないと感じたのですから、燃え尽きたということなのでしょう。
 どこからも彼女に対する「陰口」を耳にすることのない人格と、サッカーに取り組む姿勢には、敬服しかありません。
 彼女が新たなステージに引き上げたと言っていい「日本女子サッカー」を、現状からさらにステップアップさせてくれることと期待しています。
 お疲れ様でした!

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