2016/01/25

ランナー&ライダーの聖地──皇居外苑

2016.1.9【東京都】──「内濠を歩く_4」



竹橋

 手前の橋が白い御影石(花崗岩:かこう)であることに初めて気付き、毎日新聞社屋のモノトーンデザインは竹橋の白さを意識したのかと。だとしたら見事なセンス!
 ですが、長年毎日新聞のシンパだった実家も、近頃朝日新聞に変わったりして、毎日は大丈夫? と思ったりも……

 橋は家康の国替え(江戸整備)以前から存在するらしいので、由来の一説とされる「竹を編んだ簡単な橋が架かっていた」は、想像しがたいがあり得るかもしれないと。

 以前東京国立近代美術館の中に、日本唯一の国立映画機関「フィルムセンター」(設立1970年)がありましたが、1986年に相模原分館(フィルム保存館)が開設され、現在は1995年オープンの京橋本館に移転した模様。
 魅力的な上映ラインナップでしたが、商業施設ではなく「おヒマならどうぞ」というお役所的なスケジュールのため、足を運べたのは数度だった気がします。味っけの無い施設なので、図書館で映画を観たような印象か。
 右は、併設レストランの入口。


 竹橋交差点で信号待ちの際、すぐ脇から複数の「ガチャガチャ」音が聞こえてきます。北の丸公園への坂道に向かうバイク(自転車)集団のギアチェンジの音です。
 上り坂は、離されると差が広がる踏ん張りどころなので、懸命な姿には迫力があります。
 歩道を走るランナーと違い、車道を走る自転車は信号に止められそうですが、あるタイミングで信号を通過できれば、いくつか先の信号までスルーできる、などのプランがありそうです。


平川門

 竹橋のたもとから平川門まで、帯曲輪(おびくるわ:曲輪とは、城の内外を石垣や堀で仕切る区域で、帯曲輪は、曲輪の外側に造られた帯状の曲輪)があります。
 付近は本丸が近いため、濠を二重にして防備を固めたようです。
 死者・罪人を運ぶ「不浄門」(殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭はこの門から出された)、奥女中の通用門「お局御門」とも呼ばれますが、本丸に近いため徳川三卿(田安・一橋・清水)の登城口とされました。
 平川門に通じる右の平川橋は、橋の上だけ木造の施設が残されます。


旧江戸城本丸跡(皇居東御苑)

 今回初めて平川門から入り、本丸跡へと向かう「梅の木坂」では、もう梅の花が咲いていました。
 暖冬と思えば雪が降るような気候の急変に動じなくなったのは、寒さに弱くなり常に万全の準備をするようになったため、ではよろこべません……

 本丸跡に1本だけ植えられた松にどんな意味があるのか不明ですが、絵になる姿です。
 皇居側の見通しが無いのは当然ですが、この上に立つと以前にも増して高くなった大手町方面のビル群に対しても、威厳で対抗できる気分は変わらない気がします。


行幸通り


 上は、東京駅(奥)から皇居へ真っすぐ続く行幸通り。
 皇室の公式行事や外国大使の信任状捧呈式などに使われる道路で、現役の馬車道とされます。
 実家の相模大野付近にも行幸道路と呼ばれる道がありますが、キャンプ座間が陸軍士官学校だった時分(1937年(昭和12年)市ヶ谷より移転)、天皇が国鉄横浜線原町田駅(現 JR町田駅)から行幸したことに由来するもので、現在では自慢するものではないとも……


和田倉噴水公園


 この公園は平成天皇成婚を記念して作られ、現皇太子成婚を機に大噴水が再整備されたもので、リンク先のライトアップされた絵には落ち着きが感じられます。

 信号待ちは無いはずの皇居ランナーを足止めさせる存在がいました! 二重橋付近の交差点でランニングコースを横切る中国系観光客の群れです。
 信号待ちの間はランニングコース手前で待機させられますが、信号を渡る際は「歩行者優先でお願いしまーす!」との呼びかけを受け、群れに突っ込むランナーはいません。
 そのタイミングに引っ掛からないよう、ペース配分しているようです。


皇居外苑


 毎週日曜には「パレスサイクリング:平川門交差点〜祝田橋交差点間を自転車に解放」が開催されます。専用レンタル自転車は無料ですし、空が開けた広い道路を走るのは気持ち良さそうです。
 当然ライダーたちも集結し、いたるところにチームの群れが見られます。
 あるレディース集団の別れ際の会話「わたしは池袋方面」「わたしは渋谷…」「では、またお会いできれば!」から、ここで出会った人と走っていた様子がうかがえ、日曜の皇居外苑はライダーにとっても聖地であることを初めて知りました。
 
 ランナーが「今日は2周で終わりにする」と話す皇居周辺を、4回に分けた内濠散策は今回で終了になります。
 皇居(旧江戸城)周辺に様々な思いが渦まくのは、この国では当然のことですが、それを受け止めようとする天皇のおかげで、安らげる場になっているのではないか……


追記──デヴィッド・ボウイという人の幕の引き方

 死の2日前に発売され遺作となったアルバム「★」(ブラックスター)を聴きました。
 まさに遺言として制作された作品で、歌詞を理解すること無くても、彼が初めて注目を集めた「Space Oddity:1969年」を受けた幕引きの曲で、わたしは「一度耳にできれば十分」と受け止めます。
 自分の意思で幕を引くことはある意味理想的ですが、そのためには生命力が必要であることを示そうとしたのではないかと、その衝撃にシビレました……

2016/01/18

国が反省を示す地──北の丸公園

2015.12.27【東京都】──「内濠を歩く_3」

 北の丸公園には戦時中まで軍隊の施設がありました。
 戦後は、武道館や千鳥ヶ淵による平和的イメージ作りが功を奏しますが、靖国神社を含む一帯では戦争従事者は不在となっても縁者がいる限り、半永久的に国が反省を示し続ける地であることが求められます。




九段会館

 本施設は、2011年東日本大震災時の天井崩落で死者2名を出したことより休館に至ります。
 国の昭和天皇即位記念事業で「軍人会館」として開業し、愛新覚羅溥儀(ラストエンペラー)弟 溥傑と、嵯峨家(侯爵)浩の結婚式が行なわれた施設で、国が(財)日本遺族会に無償貸与していたが、建て替えが決まります。
 戦後はGHQに接収され「アーミーホール」の名称で連合軍の宿舎に使用されますが、デビュー当時のサザンオールスターズがコンサートを開くなど、武道館公演へのステップとされる会場でした。
 後方の高いアンテナは千代田区役所。


昭和館

 九段会館前には、昭和館(1999年に開館した厚生労働省所管の国立博物館)がそびえています。
 戦中・戦後(昭和10年頃〜30年頃)の国民生活に関する資料を展示する施設の意識は、戦没者遺族に向いているようで、遺品のひとつも届けられなかった多くの遺族に対する、国からの償いという位置づけらしい。
 わたしが遺族の立場だったら「償いよりも、二度と繰り返さないこと」を望むのではないか。
 右下の武道館が「希望の象徴」なら、左の昭和館は過去を封じ込めた「石棺」のようにも……

 田安門付近にある右端の高燈篭(常燈明台)は、1871年(明治4年)靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊(明治維新に功のあった志士)のために建てられます。
 建設当時は、東京湾の船から目印となる燈台の役割を果たしたとのこと。
 田安門を境として、奥の千鳥ヶ淵と手前の牛ヶ淵の水面には10m以上の高度差があり、左の水路から水が落とされています。
 九段下駅から武道館コンサートに向かう際の坂道ではずんだ息は、期待感を高める効果があったようにも……


日本武道館

 若者も「武道館」と漢字で書けるでしょうが、コンサート会場と認識する人の方が多いように感じます。この施設は、柔道が1964年東京オリンピックの正式種目とされた際に会場として建設されたもの。
 その後柔道は世界に広まり、日本の金メダルはゼロの大会もあるほどで、世界の柔道家には講道館同様の聖地かも知れません。
 五輪から2年後のビートルズのコンサートに際し、「日本の武道を冒涜する」の声が上がるのも分かる気がしますが、「BUDOKAN」は世界のミュージシャンに知られる存在となりました。
 大学の入学式はここで行なわれた記憶があります、


科学技術館

 体験型科学実験で人気の米村でんじろう先生は、この施設に勤務する方と思っていたら、有限会社でんじろうサイエンスプロダクション代表取締役だそう。実験を通じて科学に関心を持ってもらいたいとの姿勢は、とても素晴らしい取り組みです。
 実験設備を整えるにはお金がかかりますが、技術者の卵である子どもたちに企業をアピールする施設なのに、入場料(大人720円)を取るのはどうかとも。
 ハマった子どもはカミナリに打たれたように、輝かしい夢を抱くかも知れません(右はアーク放電:リンク先はYouTube動画)。

 ここには原子力発電に関する展示もあり(右は原子炉の模型)、理解なくして判断できないとはいえ「原子燃料サイクル」「ガラス固化体:地層処分による封じ込め方法」など「リサイクルできない高レベル放射性廃棄物の処分方法」まで紹介されます。
 加えて「放射線」「放射能」「放射性物質」は、空気中や身の回りに存在すると説明しながらも、放射性物質による汚染についての説明はありません。
 そんな取り組みで、ガキどもの放射性物質アレルギーを「処分」できると考えているのだろうか?


東京国立近代美術館工芸館

 右は、1910年(明治43年)に建設された大日本帝国陸軍の近衛(このえ)師団司令部庁舎を改修・保存したもので、以前北の丸公園は近衛師団兵営地でした。
 近衛の名は、公家や軍隊にあるため混乱しますが、どちらも「天皇側近」という意味で、近衛家は摂関家の筆頭、近衛師団は天皇及び御所護衛目的の軍隊。
 近衛家は明治維新以降公爵とされるも政治の舞台から排除されるが、近衛師団は日清戦争から海外に従軍するようになります。

 今回の見聞からは、国民に還元されたのは公園と武道館だけで、千鳥ヶ淵の桜は戦没者慰霊の花と感じます。
 神格化される靖国神社にしがみつき地元後援会受けを狙う政治家よりも、春の花を愛でながら平和を謳歌する庶民の姿こそ、戦没者の願いなのではあるまいか……


追記──大学入試センター試験という関門

 田町駅東口にある東京工業大学キャンパスも大学入試センター試験会場とされ、夕刻に流れ出てくる受験生に遭遇します。安堵、落胆、疲れ、2日目への気合い、などの表情が入り交じっており、表現が難しい様子です。
 わたしもまだ、勉強や研究(詳しく調べること)への意欲を持ち、問題をクリアしていく意欲はあるものの、試験という関門に挑むだけの気力・体力はもう無いと、即座に白旗を揚げてしまいそうです。
 そんな彼らのパワーが未来を切り開き、この国を変えていくのであろうと、オヤジの馬力不足を自覚させられます……

2016/01/11

江戸城をめざした玉川上水──半蔵門

2015.12.23【東京都】──「内濠を歩く_2」

 半蔵門周辺には通ったことや訪問の機会も多くありましたが、記憶からスポッと抜けていたため、忘却の彼方から呼び戻しながらの楽しい散策となりました。




半蔵門(由来の服部半蔵のリンクはこちら)

 玉川上水の終点、四谷大木戸から半蔵門へと続く新宿通り沿いの、麹町付近で発見された江戸水道幹線の遺構は、江戸城内に上水を供給するための施設とのこと。
 これまで、玉川上水のおかげで武蔵野台地に耕地が広がったと紹介しましたが、最大の目的は江戸城への上水供給なので作物も大切ですが、当然将軍様の上水確保が最優先でした。
 以前は内濠に供給されるも、現在は最下流の馬場先門付近(1.43m)から取水〜浄化し、付近に放水するそう。
 右写真手前の桜田濠の水面の高さは3.82mですが、この奥の半蔵濠と千鳥ヶ淵の水面は15.98mで、内濠でもっとも高い水位を保ちます。
 以前、カメラ背後の「TOKYO FM」に足を運んだ目的が思い出せない……


英国大使館

 所在地「千代田区一番町一」の2013年路線価は約700億円とされ、皇室との交流から一等地に英国大使館があってしかるべきと思うも、経緯には曲折がありました。
 開国当初、高輪にあった領事館は公使館となりますが、数度に渡る攘夷派の襲撃や、生麦事件、品川御殿山に建設中の公使館が高杉晋作の焼き討ちに遭うなど、幕府〜明治政府の腐心の様がうかがえます。

 右は国章なのでデザイン化もしかるべきとは思うが、どうもピンとこないのは文化背景の違いのようです(他国の国章に意見するのもおかしいが……)。


千鳥ケ淵戦没者墓苑


 千鳥ケ淵戦没者墓苑は、第二次世界大戦戦没者で遺族に引き渡すことのできなかった遺骨を安置する施設。戦没者を慰霊する場は、爆弾騒ぎに巻き込まれる靖国神社ではなく、このように静かな施設がふさわしいとも。
 戦没者を出した国には慰霊施設があるわけで、その方法に海外からケチをつけられる理由はないにせよ、戦争を起こした当事国が、被害を与えた国々の「かんに障る」態度を改めない姿勢には反省が感じられない、と映るのは当然かも知れない。


千鳥ヶ淵緑道ボート場


 ボート場の営業期間は3月1日〜11月30日のため閉鎖中ですが、きちっと片付けられている様子に、観光地の自負が感じられます(千代田区が管理)。
 桜の名所とされた「フェアモントホテル」は2002年に閉館し、跡地に億ションが建設されます。
 GHQの要請で外国人向けのホテルとされますが、売りは桜だけの努力不足では、他の新しいホテルに対抗できないのも当然か。
 右は付近のアンティークショップ。


【番町通信】

 秀和三番町ビルは取り壊され、現在大妻女子大学のキャンパスを建設中。PHP研究所は豊洲に移転。トニーローマ(レストラン)は健在(懐かしい! いまもミニスカートか?)。
 きんつばが有名な和菓子店、よく通った中華料理店や、町の電気屋が元気なこと等々、忘れていた記憶との再会を楽しんだりするのは、ジジ臭いか……


2016.1.11──新宿区成人式会場@京王プラザホテル

 今年は京王プラザホテルで、立体交差の上から見下ろして撮ろうと思ったら大間違い。メインの玄関は地上にあり、庭園もないため散策する姿も見られず、仕方なく室内の暗い写真に。彼女可愛いのに……
 ホテルを出ると、サッと雑踏にまぎれてしまう場所柄も、会場にふさわしいとは思えません。
 喫煙所周辺にはヤンキー連中がたむろしており、その手の係員ばかりかパトカーが何台も集まる状況ながらも、どちらも慣れた様子に見えるところが、新宿区らしさと言えるのか?


追記──NHK大河ドラマ『真田丸』出帆

 三谷幸喜の脚本が羽目を外さないか心配ですが、魅力的な主人公 真田信繁(幸村)を取り巻く役者陣も揃っているので、どんなくせ球も打ち返してくれそうです。
 以前は「すかし野郎」にしか見えなかった草刈正雄(失礼!)のまねのできない存在感や、怪優 高畑淳子さん登場! に、期待が高まります。


追記──50歳前後の壁

 昔の仲間が51歳で亡くなりました。
 知り合いにこの年代に亡くなる方が多いことは、ちょっとショックです……
 病名(癌)を聞くと宿命的と思う面もありますが、働き過ぎに違いないと感じます。
 ずいぶん前ですが、友人からもらった景品のおもちゃを彼に渡した際の、「こういうの子どもがよろこぶんですよー!」との、目尻のだらしない父親の表情がいまも鮮明に思い出されます。戦いの中で見せてくれた「おやじの顔」はとても素敵でした!
 ゆっくり休んでください……


追悼──デヴィッド・ボウイ

 出会ったのは、奇抜さが影を潜めた『Young Americans』(1975年)ですが、独自の世界観の中で誰にもまねできないパフォーマンスを見せ切るエンターテイナーには、ミュージシャンというよりパフォーマーに近い印象がありました。
 彼の楽曲を見事に映像と一体化させた、フランス人映画監督レオス・カラックスに嫉妬を覚えたように、彼の影響力は連鎖を生み出すことから「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」とされたのではないか。
 若い時分、コンサートチケットを持っていながら、急な現場出張で見られず悔しかったことが思い出されます。
 常に気になる存在であり続けるために、いつも爪をとぎ続けていたのでしょう。
 ありがとうございました!

2016/01/04

年末年始の風景──東京都、神奈川県

 東京近郊の2015年末〜16年始は、天候・気温とも穏やかな陽気が続いたので、誘われるように外出された方も多かったのではないかと。

2015.12.30──築地


 中央卸売市場の豊洲移転は2016年11月で少し先ながらも、最後の年末となる築地へ。
 活気ある場所で働く人たちのキビキビした動きは気持ちいいもので、客も乗せられる面を楽しんでいそうです。
 豊洲は広くなるにしても交通は不便になるので、どんな様子になるのか? と言うか、銀座から徒歩圏内だったのは恵まれ過ぎでした(場外は付近で営業するらしい)。


2015.12.31──鶴岡八幡宮(鎌倉)


 現在、鶴岡八幡宮参道の「段葛:だんかずら」は補修工事中で通行できません(2016年3月完成予定)。桜並木も植え替えているらしくお花見もお預けとなりそうですが(すぐキレイには咲かないでしょう)、いつかやらねばならないのでしばらくは我慢のようです。
 上の2010年3月に倒れた大銀杏の古木と、右「ひこばえ:若芽」のサイズ感の違いに、樹齢1000年とされた古木のようになる頃、この国はどんな姿になっているのか? とも。
 これまた1000年続くのであろう、新年の神職アルバイト諸君が持ち場へ向かいます。


2015.12.31──片瀬海岸(江ノ島)

 大晦日の日没は見物客に配慮してくれたようで、富士山などは雲に隠れているが、日の沈む瞬間は太陽が顔を見せてくれました。
 こんなに海が穏やかな日でも、彼方に黒ずくめのオットセイ(サーファー)の影が見えます。彼らも乗り納めをしたい心情なのか?
 とりあえず新年だけでも穏やかに迎えられれば、と願う人々が夕日を眺めています(近頃は結構増えてます)。



2016.1.2──横浜

 日本海側の方には申し訳ないのですが、太平洋側では穏やかな年始を迎える事ができました。
 中華街は新年から華やかですし、肉まんをかじりながら歩くだけでも参加している気分になれますから、とても安上がりに楽しめます(元町はいつものように、通り抜けるだけ)。
 この正月は気温も高く気持ちもゆるみ気味なため、仕事始めには気を引き締めねば、の気持ちもゆるみがちです。
 右手前は赤レンガ倉庫。



2016.1.3──第92回箱根駅伝 復路@田町


 昨年に続き青山学院大がぶっちぎりで、応援側も力の入れどころが見つかりません。
 最終区間なので、繰り上げスタートの影響から順位が分からないこともあり、とりあえず「ガンバレー!」と声援を送っています。
 ですが、新春の若者に対する声援を、自分に対するエールと受け止めれば、今年も何とかやっていけそうな気がしてきます……